トリップ女と第一の遭遇


時刻は丁度お昼時、ちなみにカレンダーによると今日は土曜日らしいので学校は休みのはずだ。…とは言っても、きっと氷帝学園のテニス部は今日も練習があることだろう。月曜から通う学校を下見でも、と思ったので一応の目的地は氷帝学園にしたが、そうは言ってもどうせ学校の周りを見て帰る程度のもの。私は見知ったキャラクターとの遭遇なんてこれっぽっちも予測していなかった。

…はずなのに、


(うおおおお、なんだアレは…!)

家の近所の商店街を通り抜けた辺りで、私は心臓の止まりそうな思いをする羽目となった。


(すっげ、生忍足だ生忍足!)

藍がかった長めの髪に丸眼鏡、歩く姿はなんとやら。生で見るその姿は正しく漫画やアニメで見た忍足そのもので、昔ハマっていた頃はあの変態くさい喋り方が鼻についてあまり好きではなかった彼だが、いざこうして見てみると感動すら覚える。制服を着ているので学校へ向かっているのだろうか。それとも練習を終えて帰宅する途中?
忍足がこちらへ向かってくるので私は思わず電柱の陰に隠れる。私の横を歩いていく忍足はこちらを一瞥もせず、通り過ぎていった。氷帝学園に向かう私とすれ違う形で歩いてきたのだから、きっと学校帰りなのだろう。今日は昼からは練習がなかったらしい。忍足が完全に私の視界から消え、そこでようやく急な出会いに上がった心拍数をなんとか落ち着けて電柱の陰から出る。この出会いの感動を噛み締めながら、私はまた目的地に向けて一歩を踏み出した。


「ちょい、そこのお嬢ちゃん」

「ぎゃっ!?」

踏み出した、かと思ったら、いきなり後ろから肩を掴まれた私は踏まれた犬のような悲鳴を上げる。反射的に振り返ればそこにはさっき通り過ぎていったはずの忍足がなんとも言えない顔をして立っていて、間近で見るその顔はむかつくことにとても整っていて、声も記憶に残ったエロボイスそのままだし、嗚呼私はこのエロボイスが心底苦手でだから忍足お前は変態臭いんだ、

頭の中が酷く混乱していた私は、


「あ、アデュー!」

「は?え、ちょっ待ちいや!」

気付けば脱兎の如く逃げ出していた。

後ろからは呆気に取られた忍足の声が聞こえてきたが、私は足も止めずに駆ける、駆ける。忍足から逃げるのに確固たる理由はなかったが、とにかく、私はまだテニプリキャラと出会う心の準備ができていなかったのだ。今こんな所で忍足と鉢合わせても困る。このまま逃げ切って、心を落ち着けて、できれば月曜日まで誰とも合わずに、厳かな気持ちで氷帝学園に…。
そう願わずにはいられなかった私だが、ひとつ失念していた。


「…つかまえたで」

「おああああ…!」

相手はあのびっくりテニスをする人間なのだという事を。

脱走からものの数十メートルで呆気なく捕まった私はさながら猟師に捕えられた兎のよう。息ひとつ乱していない忍足に首根っこを掴まれて、身を縮こませるしかなかった。


「ホンマ、急にびびらせんといてえな」

「うう…」

呆れたような声に、更に身を縮こませる。見上げれば、忍足は値踏みをするような目で私を眺め回していて、その視線に居心地の悪い思いをするもののただ大人しく眺め回されるしかない私を尻目に、何かしらの結論を出した忍足は合点のいったような顔をして口を開く。


「俺の顔見た途端隠れるし、声かけたら急に逃げるし…何、もしかせんでもお嬢ちゃん、俺のストーカーなん?」

「違うわっ!」

あまりに失礼な言い掛かりに、思わず首根っこを掴んでいた手を跳ね退ける。忍足は驚いたように目を瞬かせてなんやお嬢ちゃん日本語喋れるやん…って、なんて失礼な男だ!テニプリキャラと出会った感動も声を掛けられた緊張も何処へやら、私はアニメを見ていたときの変態臭い印象や苦手意識すらもどこかへすっ飛ばしてこの男と対峙していた。


「私はただの一般人!」

「じゃあなんで俺の顔見た途端に隠れたりしたん?」

「そっ…れは…」

「それは?」

「…げ、月曜日から転校する事になった学校の、制服を、着た人が歩いてきた、から…その、驚いて」

…我ながら、なんて苦しい言い訳だろう。一応半分は真実な訳だが、それにしたって苦しすぎる言い分だ。ふうん、と相槌をうったきり何も言わない忍足の顔はいかにも疑わしげで、確実にこれは私の言葉を信じていない。さながら、捕まったストーカー女が搾り出した必死の言い訳とでも受け取られているのだろう。見た目だってどう考えても大学生以上。中学生には見えない。
…ああもう、この際警察に突き出されてもいい。とにかく、この無言の圧力から逃げ出したくて仕方がなかった。


「…ほな、お嬢ちゃん。…ついといで」

「は?え、ちょっ、」

ああ、やっぱり警察に突き出されるらしい。私の腕を掴んだ忍足は有無を言わさず何処かへ向かって歩きだした。そもそも足の長さが全く違う私は、半ば小走りになりながら必死に彼に着いていく。
連れていかれるのは警察署…と思っていたのだが、


「…着いたで」

「え、ここ…」



「お嬢ちゃんが月曜日から通う、氷帝学園や」



目の前に聳えるのは無駄に豪奢な建物。
門柱には荘厳に氷帝学園と印されており、私は予想を遥かに超えるスケールにただ圧倒されていた。…どうしてここへ?まさかあの言い分を信用した?いろいろなものに呆気に取られ棒立ちになっていると、隣に立つ忍足がどないしたんやと声を掛けてきた。彼を見上げる。


(嗚呼…)

違った。
彼の顔にはほんの少しだって信用はなくて、要するに此処が"警察署"だというだけの話だった。さしずめ校長か誰かの前に突き出して私の言った事が嘘だったと証明するつもりだろう。…下手に警察に突き出されるより質が悪い。なんて底意地の悪い男なのだ。

そう叫びたくなったけれど、見透かしたような顔をした忍足は私が叫びだすよりも一瞬早く、腕を掴んで校門を潜った。


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