ターコイズに恋心
東京から越してきたとかいうこの女は、いつだって楽しそうに笑ってた。
やっぱり本土から来たらうちなーぐちは難しいだの慣れないだのとぼやいてるけど、それでも楽しそうだった。
今日もよく日に焼けたうちなーんちゅの中で一人だけ生っ白い顔をして、クラスの女子と訳のわからない話で盛り上がっていた。
(…何がよういーるきさんぬか解らねーらん)
言葉もロクに通じてないくせに。
何故かは解らないが、わんはとにかくいつ見ても楽しそうにしているこの女が気に入らなかった。
「えぇ、苗字!」
「あ、えっと、甲斐君。何?」
「やー、ぬーんちひっちーあんしーういーるきさんかいしはるんやっさー?フラーんあんにか?」
きゃんきゃんとかしましい女共が居なくなった所で苗字に声をかけた。わざとうちなーぐちで、それも早口気味に話してやれば苗字は何を言われたのか解らなかったのだろう。ぽかんと口を開いて馬鹿面を晒していた。
(いい気味さー)
そう、内心ほくそ笑んだのもつかの間。
苗字はなんと、次の瞬間わんにビンタしてきやがった。…結構痛い。
「ぬ、ぬーするんばぁよ!」
「甲斐君今、私のこと馬鹿にしたでしょ」
「はあ?」
「私がうちなーぐち解らないと思って、馬鹿にしたでしょって言ってんの」
「なん…っ」
何で解ったんだ。
まさかこの女、わんの知らん所でうちなーぐちの勉強してたんさー!?
「…なんて言ったのかは解らなかったけど、顔と態度見ればそれくらい解るっての!」
「!?今度はわんの心読んやっさー!!苗字、ゆーしーねーエスパー!?」
「…甲斐君って馬鹿?」
「んなっ!フラーってからあびる方がフラーやっさー!」
「ふら?から…あび?」
「バカって言った方がバカって意味さー」
また馬鹿面を晒す苗字に、意味を教えてやる。フンッと鼻を鳴らし胸を張ると、苗字は微妙な顔をして、やっぱり甲斐君は馬鹿だと言いやがった。
「くぬっ!くそフラー!フラー!」
「あっ痛!ちょっと、女の子の髪引っ張るなんてどんな神経してんの!?」
「ぬーがいなぐやっし!」
馬鹿馬鹿と喚く苗字に、髪を掴む手を叩かれる。ちょっと痛かったので更に掴む力を強くしたら、ぎゃあと悲鳴が上がった。
…いなぐならもう少しちゅらかーぎー悲鳴あげろよ。
「甲斐クン、一体何やってるんですか」
「!」
「げっ!」
ぐえぐえと潰れた悲鳴を上げる苗字が面白くて、何度も髪を引っ張っていたら不意に後ろから声をかけられた。よく知った声に慌てて振り返れば、案の定そこには我等がテニス部部長の木手永四郎が立っていた。
「こ、ここ2組なのになんでやーが居るんさー?」
「平古場クンが、今2組で甲斐クンが面白い事になっている…と言っていたんですよ。それで見に来たんですがね…」
「り、凛のやつ…!」
「それよりも甲斐クン、早く手を離して差し上げなさいな」
「ちえっ」
永四郎に指摘されて、掴みっぱなしだった苗字の髪を離す。苗字は頭を押さえながら、すかさず永四郎の後ろに隠れた。
背中越しに顔を半分だけ出して、わんを威嚇してくる。
(そんなチラしても怖くねーし。てゆーかなんかムカつく)
なんだか永四郎を頼る苗字に腹が立ったので、睨んでや「甲斐クン」…永四郎がどこからともなくゴーヤーを出してきたのでやめた。
「ちえっ…苗字のくそフラー!」
捨て台詞を残し、教室から駆け出す。
扉の所で凛がニヤニヤと立っているのを見付けたので一発どつこうとしたら、上手いこと避けられてしまった。
そのまま考えもなく駆けていれば、いつの間にか屋上についてしまった。
*****
なんだったんだ、今のくそがき。
未だにじんじんと痛む頭を押さえながら、彼の駆け出して行った方の扉を見ていれば、何だか楽しそうな顔をした平古場君が教室に入ってきた。
「永四郎ー、言ったとおりさー?」
「平古場クン…。全く、あの馬鹿犬は…」
平古場君は、私を助けてくれたリーゼント君に話し掛ける。リーゼント君はちらりと私を一瞥すると深い溜息をついた。
「あの…えっと、助けてくれてありがとう」
誰かは解らないが、きっと甲斐君達の友達なのだろう。眼鏡越しの鋭い視線には少し怯んだが、礼を述べる。リーゼント君は少し笑って、構いませんよと言った。
平古場君は、相変わらずニヤニヤと私を見ていた。
「ねえ平古場君。今の甲斐君、一体何だったの?」
「さあ?わんは知らねーらん。裕次郎に直接聞くさー」
「えー…でも甲斐君どっか行っちゃったよ」
甲斐君は意地悪だったが、肩を竦めてそっぽを向く平古場君も甲斐君とはまた違った意地悪だと思った。このニタニタ顔、どう考えても何か知ってる。
助けを求めるようにリーゼント君を見れば、彼は肩を竦めて教室を去ってしまった。
…何なんだ、ほんと。
「…裕次郎ならきっと屋上やっし」
「え?」
仕方ないから甲斐君が戻ってくるのを待って問い詰めようと決め、席に戻ろうとすれば平古場君に肩を掴まれた。上を指差して、再び屋上と言う。
…今から行けと?わざわざ?私が?
「いや、でももう授業始まるし」
「どうせ次の授業ははげちぶるぅの授業やくとぅ、問題ねーらん」
転校して二週間でサボりとか、したくないんだけどなあ…。
そう言ってやりたかったが、平古場君は有無を言わさず私の背中を押す。ぺいっと教室から放り出され、ちばりよーと言って扉を閉められた。
「千葉りよ?…何のことだよ…」
はあ。
溜息をついて肩を落とすも、教室の扉は閉じたままだ。擦りガラス越しに、私が教室に戻らないように金髪が扉を押さえているのが見える。
「平古場君のフラー、だっけ」
なんだか、ここで無理矢理教室に戻るのも面倒だ。それに今日はよく晴れていて気持ち良い。こんな日には、屋上でゆっくりと過ごすのもいいかもしれない。
(まあ…甲斐君が居るならゆっくりさせてもらえそうにないけど)
ロクに話した事もなくて、ただちょっぴり格好いいし目立つから存在を知っていただけのクラスメイト。何故かいきなり私に難癖つけて、意地悪してきたいじめっ子。しゃべると騒がしくて、どうやらちょっと頭が悪いらしい、やたらとスタイルのいいリーゼント君には頭が上がらないらしい、馬鹿犬扱い。
甲斐君について私が知っている事を指折り数えながら歩いて居れば、ついに屋上に到着してしまった。
「ああー、やだなあ…ロクに喋ったこともないんだってば…」
私は、ぶつぶつと文句を言いながらも屋上へと繋がる扉に手をかけた。
*****
(苗字のフラー…)
手摺りにもたれかかって、グラウンドを見下ろす。眼下ではどこかのクラスが体育をしていて、このくそ暑い中で楽しそうに走り回っていた。
…苗字と、初めてまともに喋った。
転校してきたのが二週間くらい前で、それから同じ教室で勉強してきたけれどお互い接点も何もなかったから話をすることもなかった。苗字はいっつもかしましかったからよくわんの視界に入ったが、まさか苗字がわんのこと知ってるとは思わなかった。
――甲斐君。
なんか、耳がこそばゆい。
(…フラー)
ビンタされて思わず掴んだ髪がサラサラで、白い首とかほっそいし、頭真ん丸だし、なんか口悪いし、悲鳴かわいくねーし、わんよりも永四郎の所に行くとかムカつくし、なんかヘンだ。
「苗字…」
「なあに、甲斐君」
「んあ!?」
「うわっ!な、何よ…」
思いっきり振り返れば、わんの肩に手をかけようとした格好で固まった苗字が居た。
「や、やー、ぬーしんかい来ちゃんやっさー?」
「え、ごめん、何て言ったの?」
「なにしに来たんだよっ」
困った顔で問い返され、慌てて苗字に解る言葉になおす。これで意味は通じたはずなのに、苗字は更に困ったような顔をした。
「んー…何しに来たんだろ」
「はあ?」
「いや、甲斐君が私にちょっかい出した理由聞きに来たんだけどね」
…そんなこと、わんが教室に戻ってから聞けばいいことだろ。
そう返せば、苗字もそうだよねえと頷く。さらさらの髪が、てぃーだに照らされて眩しい。
苗字はわんの隣に立って、わんと同じように手摺りにもたれかかる。少し背が足りないから不格好だ。
「ほんと、なんで来たのかなあ」
「やー、じゅんにフラーやっし」
「甲斐君よりはマシだし」
「くぬっ!」
思わず苗字に手を伸ばしたら、苗字はまた髪を引かれると思ったのだろう、目を閉じて首を竦めた。
わんは、できるだけそっと苗字の頭に手を乗せた。
「…フラー」
わさわさと、痛くない程度に髪を掻き混ぜる。
「……髪、ぐちゃぐちゃになるんだけど」
「知らねーらん」
「馬ー鹿」
「くそフラー」
わさわさ、わさわさ。
馬鹿だの犬だのとぼやきながらも、教室でみたいに手を叩かれたりはしない。
おとなしく目を伏せて、わんに撫でられている。
(…ぬーよ、コレ)
ちむどんどんする。
なんかヘンだ。
苗字が、苗字から、なんか、
目が、手が、離せない。
(わん、うかーさい)
ヘンだヘンだヘンだ。
わん、
「………甲斐君?」
「…しちゅん」
わんが何を言ったのかわからなかったのだろう。苗字はぽかんとしていた。
それでよかった。
「でーじ、しちゅん…苗字」
お前のことが、好きみたいだ。
苗字は、意味も解ってないくせに解っているみたいな顔をして、笑った。
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エセ沖縄弁については突っ込まない方向でお願いします…