夜明けの境界線


薄いカーテン越しに部屋を満たす青い光の中に響くのは、二人分の呼吸の音だけだった。
くしゃくしゃに乱れた白いシーツの上に投げ出された足は、シーツに負けないくらいに白く、部屋の青さの中では病的ですらある。


「……蔵ノ介」

呼んだ名前は空気に混じって消えてしまいそうなほどに小さく掠れていたが、どうやら彼には届いたらしい。無力に天井を向いていた爪先が、ひくりと反応した。

けだるい身体に鞭打って、蔵ノ介の顔に手を伸ばす。今は見えない顔をこちらを向けようと頬を引き寄せれば、小さく抵抗された。


「蔵ノ介、」

「…いやや」

「なんで」

尚も抵抗する蔵ノ介を、強引にひっくり返す。こちらを向いた色素の薄い顔にはくっきりと涙の伝った跡が見えた。青い光を反射する目には未だにたくさんの涙が湛えられていて、少しでも触れれば溢れかえってしまいそうだった。


「なんで泣いてんの」

思わず問う。
きっと、今の俺はとても困った顔をしているのだろう。蔵ノ介の目から、たちまち涙が溢れ返った。真横に流れ落ちた涙はサラサラの髪を濡らし、シーツに小さな染みをつくった。
程よく筋肉のついた胸が、嗚咽に上下する。


「なあ、蔵…」

「…やって、名前が…」

漸く開いた口からは、か細い声がこぼれ落ちる。俺は、それを一言たりと聞き逃すまいと震える口元に耳を寄せた。


「名前が、……っ名前、ちっとも俺とエッチしてくれへん…っ」

紡がれた声は、俺の鼓膜を震わせて、胸のあたりに落ちて、心臓を引っ掻いた。チリッとした痛みを感じる。


「……してる、やろ。蔵、…蔵ノ介は気持ち良うなかった?」

「気持ち良かったけど…っ」

「なら………っ蔵は、腹も股も精液でベトベトにしてるくせに、エッチじゃないって言うの?」

「違うっ!俺は…―――ッ」

慌てて、蔵ノ介の口を塞ぐ。綺麗な顔の下半分を覆い隠した指の隙間から、小さな嗚咽が溢れ出る。口は封じたのに、俺を見詰める涙まみれの目は雄弁に途切れた言葉の続きを語っていた。


「…駄目、や」

「………………っ」

「俺は男や。蔵ノ介も、男や」

「………………」

「これ以上先に行ったら、きっと二人とも駄目になる」

「………………」

「ここが、最後の境界線や」


――そう、俺と蔵ノ介がマトモで居られる最後の境界線。


その言葉を紡いだ瞬間、今まで弱々しく涙を零していただけの蔵ノ介の瞳に強い光が宿った。


「…境界線があるんやったら――」


越えなあかんやろ。



三度に渡る吐精を経た身体の何処にそんな力があるのか、蔵ノ介は俺の腕を取ると勢い良くひっくり返した。ベッドのスプリングが派手に軋む。無駄のない動きでマウントポジションを奪った蔵ノ介が、笑った気がした。


「名前、好きや」

「くら……っ」

視界いっぱいに端正な顔が迫って、貪るように口づけられた。蔵ノ介の腹にぶちまけられていた二人分の精液が俺の腹になすりつけられる。


「ふぁっ、名前、っは…はぁ…っ」

「……蔵、お前っ」

あんな激しい口づけの最中に、いったいどんな余裕があったというのだろうか。蔵ノ介は、脱ぎっぱなしにされていたシャツを使っていつの間にか俺の両腕をベッドの支柱に固定していた。


「…ええ格好やで、名前」

「蔵ノ介、解いてくれ」

「駄目」

蔵ノ介は一度俺の頬に口づけると、俺の下半身に顔を埋め、今は萎えているそれを躊躇いもなく口に含んだ。


「蔵、!」

ぴちゃぴちゃと音を立てて俺のモノを舐める蔵ノ介に俺は酷く欲情したが、同時に焦りも強く覚えた。


「ふ、んむっう…名前、あいひてる、んんっ」

「んぁ、くわえたまま喋っ…な…!」

慣れた動きで確実に俺を絶頂に導こうとする蔵ノ介を、なんとか足で退かせようとするが上手い事抑え込まれてどうにもできない。


「蔵、蔵っ…も、アカンってば…!」

「ん、ん…っは、名前、おっきくなったで…」

今にも吐精せんと張り詰めるそれを見て、蔵ノ介は嬉しそうに笑った。頬を赤くして唾液と先走りを滴らせて笑う姿に、更に下半身には熱が集まる。


「名前、名前チョーダイ」

「蔵ノ介…っ」

――蔵ノ介を、目茶苦茶に抱いてやりたい。

鎌首をもたげた欲望をなんとか理性で抑え込む。
駄目だ、と言おうとした口を、伸びてきた蔵ノ介の手に塞がれた。視線で懇願すれば、猥らに笑っていた筈の蔵ノ介の顔が、くしゃりと崩れた。


「…もう、何度もエッチしよて言うてんのに、名前はちっとも聞いてくれへん。気持ち良くなって射精すんのもエッチやて名前は言うけど、そんなんただのオナニーやん。俺は、名前が欲しいんや。名前のが欲しい」

(だって、それ通り越したらもう冗談では済まんようなるやろ)

「一線越えたら駄目になる言うんやったら、俺は名前んこと好きになった時点でもう駄目やわ」

(でもこんな関係はおかしいんや。必ず終わりは来る)

「名前は先のこと考えるんがツラいんやろけど、俺は…名前に愛してもらわれへん今がツラいんよ」

(……………………………)

「やから…」

貰うことにした。



蔵ノ介が、悪戯っぽく笑った。


「ふっ…あぁあああああッ!」

「く、ぁ…!」

ようやっと口元を覆っていた手を離されて俺が言葉を発しようとした時には既に、


「へへ、…初めて名前、もろた」


蔵ノ介は俺の上に、深く深く腰を下ろしていた。

ロクに慣らしもせずに挿入したものだから、蔵ノ介の中はギチギチと狭くて痛い。が、きっと入れられている側の蔵ノ介の痛みはこの比じゃないだろう。
証拠に、蔵ノ介の額にはびっしりと汗の玉が浮かんでいて眉間には深く皺が刻まれている。


「…蔵、」

「は、ぁ…っ名前、好きや…」

痛みに歪んだ顔に、それでも幸せそうな笑顔を浮かべて愛を囁く。白い手を胸につき、小さく身体を上下させ始めた。
接合部が不自然に濡れているのはきっと切れてしまったからだろう。苦痛にきつく結ばれた唇からは、絶えず吐息が零れ落ちる。


「蔵、蔵っ、も、やめろって、」

「ややっ、ぁ!名前、好きっ、すき、」

あまりの痛々しさに何度も制止を呼び掛けるが、蔵ノ介は首を振るばかり。しかし、律動を繰り返すにつれて痛みに掠れていた声に甘いものが混じり始める。


「ふぁ、あ、あっあっ名前っひぁ、あぁっ」

「蔵、ノ介っ」

「んんっひ、気持ちい、あっふぁあああっ!」

ぐりぐりと腰を押しつけるようにして俺を深くくわえ込んでいた蔵ノ介から一際高い声がした。どうやらいい所を掠めたらしい。
反らされた喉の艶かしさに、俺自身が肥大したのがわかった。
それは、蔵ノ介にも伝わったのであろう。彼は、花が咲くような笑顔を浮かべた。


「名前、な…俺ん中、気持ちい?」

「く…、」


「名前、な、名前のこと好き…好きっ!離したないっ…ずっと、ずっと…っずっと好きや…!」

「…蔵ノ介」

くずおれるようにして胸に額を押し付け、嗚咽混じりに訴える蔵ノ介の名前を呼ぶ。
上げられた顔は、涙と鼻水と精液に塗れていて普段の男前の影もなかった。


「…情けない顔やな」

「んな、名前のせいや…っ」

「腕、解いて」


「…………………っ!」


乞えば、蔵ノ介は悲痛な顔をした。暫く唇を噛み締めて俯いていたが、ひとつ頷くとのろのろと腰を上げる。こぷりと音を立て、張り詰めた俺自身が蔵ノ介の中から抜け落ちた。俺自身には少なくない量の赤い血が付いていて、やっぱり蔵ノ介は傷ついていたのだと眉を寄せる。

鈍い動作で腕を拘束するシャツを解かれれば、ごめんと小さな謝罪を述べられた。


「蔵ノ介…」

「ごめん、名前…おれ、名前んことなんも考えとらんかった」

「蔵ノ介」

「おれ、でも、どうしても名前が…ッ!」

放っておけばいつまでも止まらないであろう蔵ノ介の言葉を遮るように、口づける。そのままそっと肩を押して、既に乱れ精液のこびり付いたシーツの上に蔵ノ介を組み敷いた。
蔵ノ介は、予想だにしなかった事態に目を丸くしている。


「…名前?」

「ホンマに…、お前って、時々とんでもない事やらかすよな」

男である俺に告白してきたり。キスもお前からだったし。このセックスまがいの行為も仕掛けてきたのは蔵ノ介の方だった。


「折角俺が我慢しとったのに、いっつもお前がぶち破るんや」

「あ…ごめ…」

また謝罪を述べようとした唇を、慌てて塞ぐ。
血のこびりついた臀部に手を伸ばせば、白い肩がひくりと震えた。


「……痛かったやろ」

「あ……まあ」

「無茶しよって」

「……………」

「ごめんな、蔵ノ介」

謝れば、訳が解らないという顔をされた。
なんでもない、と言って髪を撫でれば気持ち良さげに目を細める。…まるで猫の様だ。
髪を撫でる手を頬へと滑らせ、もう一度唇にキスを落とす。


「蔵ノ介……また、少し痛いかもしれんが我慢してくれな、」

「…え、」

蔵ノ介が言葉の意味を理解するより先に、俺は先程まで挿入されていた蔵ノ介の中に、俺自身を再び埋め込んだ。


「ひ、あぁあああぁあぁあ!」

「…ッ!」

一度交わったそこは予想以上に滑りが良く、俺は襲い来る吐精感に眉を寄せながら腰を動かした。
がくがくと細い腰を掴んで揺さぶれば、蔵ノ介は信じられないという顔をした。


「ふぁあっああっんぁ、名前、名前っ!なんっなんでえっ!?」

「蔵っノ介がっ、悪い…!最後の境界線、あっちゅう間に破るから…っあれだけ我慢しとったのに、!」

「あぁうっうっン!んっは、幸せ、やっあ…名前がっ俺んこと、あっああっ!」

両足を抱え込むようにして深く何度も付き上げれば、蔵ノ介の声は更に上擦る。激しく腰を打ち付ける音と水音と、高い嬌声が部屋に溢れ返っていた。

青く幻想的ですらあった部屋はいつの間にか白んでいて、蔵ノ介の欲情しきった顔を克明に照らしている。
生理的な涙をいっぱいに溜めた瞳には、蔵ノ介と同じくらいに欲に溺れた俺の顔が映り込んでいて、嗚呼本当に境界線を越えてしまったのだと思った。


「あぁあっ名前、んあっ名前っ!愛してる…愛してるっ!」

「蔵ノ介、…っ俺も…愛してるでっ…!」

一際高い声を上げて達した蔵ノ介に続き、俺も蔵ノ介の中へと精液を吐き出した。
ずるりと自身を抜き去り、くたりと力なく横たわる蔵ノ介の額に張り付いた前髪を払ってやれば、キスをせがまれる。望まれるままに唇を落とせば、やっぱり蔵ノ介は花のように笑った。





「…折角俺の引いたボーダーラインが、台なしやわ」

「ええよ、そんなもんなくて。名前が邪魔なライン引く度に俺はそれ越えて名前に触りに行くからな」

「…恐ろしいこって」



朝の光で満たされる部屋で、俺達はまたキスをした。

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