助言


あの日、後輩の切原君と共に雅治君捜索という名のサボりを決行してから、私にはどうやら深刻なサボり癖がついてしまっているらしい。もう冷房がかかるようになり、本来ならばひんやりと涼しく快適なはずの教室に居ることすら、もう面倒くさい。ただじっと座って教師の言葉に耳を傾けながら板書に勤しむのが、たまらなく苦痛だった。だって、教室の外は太陽に照らされてこんなにも鮮やかに輝いている。完全なる夏本番、だ。こんなことを言うと柄にもないと思われがちだが、私は一年の内で夏が何よりも好きである。きらきらしていて、暑くて熱くて、無性に駆け出したくなるのだ。
ただ、もう今までのように屋上をサボりポイントには出来そうになかった。屋上、即、熱中症。頭の中に浮かんだ嫌な公式を払うように、首を振る。
そんなこんなで私が選び出した夏用サボりポイント、それは、


「図書室っていいよね」

誰にともなく呟いた言葉は、静かに広がる書架の隙間に響くこともなく低く唸る冷房の稼働音に掻き消されてしまった。カウンターに座っている司書のお姉さんに気付かれることすらない。授業中なので利用者も殆どおらず、ただ一人だけ後輩らしい男の子がパソコンの前に座って、調べものか何か知らないが難しい顔をしていた。
私は、図書室の出来るだけ奥まったところ―――小難しげな外国の本だの図鑑だののおいてあるところの、更に奥にあるテーブルに腰をおちつけた。途中、芸術書の置いてあるあたりで見付けた画集を広げる。


(…アルフォンス・ミュシャ)

なんだか、発音が難しそうな名前。


「…みゅ、」

「"ミュシャ"という表記は、フランス語の発音によるものだ。彼の故郷、チェコ語の発音を日本語表記すると"ムハ"または"ムッハ"となる」
「わ、」

…気付かなかった。いつの間にやって来たのか、私の隣には長身の男子生徒が覗き込むようにして私の広げていた画集を見ていた。屈み込むように背を丸めているはずなのに、まるで背筋を伸ばして立っているかのように綺麗な立ち振舞い。何処かで見掛けた事のある、確か、


「テニス部員の」

「柳蓮二だ」

「そう、」

そうだ、柳君。雅治君の部活を見学しに行くと、必ず目につくのだ。自然体で、物静かで、とても美しいひと。思慮深そうな落ち着いた話しかたや表情なんかは、私も見習いたいほど。それにしても、どうして彼のようなサボりとは無縁そうなひとが授業中にこんなところにやってくるのだろうか…と、私が疑問を口にするよりも先に柳君が控えめな笑顔と共に自習だと答えをくれた。


「苗字のクラスは今、数学の授業中のはずだが」

「うん、そう。私のクラスも自習」

冗談めかして言う言葉に、柳君はまた口角を上げて笑顔を浮かべる。すこし皮肉の効いたそれは、きっと、私の嘘なんか見破っているのだろう。ぺろりと舌を出すジェスチャーで返事をする。少し遅い五月病なのよ、なんて言ってみたり。


「前、座っても構わないか?」

「どうぞ」

椅子を引いて、浅めに腰掛ける姿勢はやっぱり綺麗。彼はじっと私のほうを――目が見えないから、本当は何処を見ているのかわからないけれど――見る。よくよく確認してみれば柳君の手元には本の類いはなく、もしかして彼は私に何か話があってやってきたのだろうか、とか。ありそうにもないことを考えてしまう。


「16日目か」

「なあに?」

唐突に呟いた言葉に、一瞬呆ける。問い返したが、柳君は笑うだけで答えてくれない。もう一度問おうとして、はたと思い至った。


「あ、雅治君のこと?どうして柳君がそんなに詳しい日数を知ってるの」

「その日の仁王は部活中に浮かれていたからな」

「嘘。雅治君も浮かれることあるの?っていうか浮かれてる雅治君見ただけで看破するなんて変なひと」

柳君はやっぱりどこを見ているのか解らない様子で佇んでいる。そういえば彼は何をしに来たのだろう。雅治君のことを話しに?何故?改めて疑問が浮かび上がり、今度は柳君に先を越されることなく口を開いた。


「柳君、私に何か用事?」


「気をつけたほうがいい」
「え、」

何を、という疑問はやっぱり言わせてもらえなかった。立ち上がった柳君は私が何を言う間もなく去ってしまった。予言めいたことを言い残してどこかへ行ってしまうなんて、柳君は案外意地悪い。…もう少し物静かな言葉を聞いていたかったのに、とか、ミュシャやいろんな画家や、もっと私の知らないことを教えてほしかったのに、とか。柳君は気を持たせるひとだ。開きっぱなしの画集から、綺麗な曲線を描く女性が意味深な笑顔をこちらに向けていた。

丁度よくチャイムが鳴ったので、画集を閉じて立ち上がる。元のコーナーに戻し、図書室を出るべくカウンターのあたりまで来れば、ふてくされたような雅治君がいた。…彼もサボりにきたのか。


「柳と何を話しとったん」

「なあに、聞いてたの?悪趣味よ」

「………プリ」

「別に何の話もしてないよ、ていうか」

私にもわかんないの。
のし掛かるように私を抱きしめる雅治君を宥めながら、図書室を出た。図書室を窺っていたらしい小さな影、――慌てて逃げるように翻ったスカートが、階段のほうへ消えた。

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