抓った


二人で入るには小さい傘からは、やはり肩がはみ出してしまう。名前に濡れられるのも嫌だったので小さな傘の半分以上を名前にかけて歩いていれば、家に送り届ける頃には俺の右肩はぐっしょりと濡れてしまった。でもそんな事は構わなかった。少しでも名前を守りたかった。たかが傘を差し出しただけで、一体何から守ろうというのか。自分の中の強烈なエゴに吐き気がしたが、気付かないふりをする。
しかし降りしきる雨は強く、俺が肩を濡らした甲斐もなく名前の半身も濡れてしまっていて、なんだか強烈に雨が憎らしくなってしまった。


「今日はどうもありがとう」

「いんや、構わん」

玄関先で笑う名前は、いつも通りを心掛けているようだが全然上手に笑えていないように見える。いつもは強い光を宿しているその目が、ひたひたと濡れて、揺らいでいた。そんな、そんな名前は…、


「…話しんしゃい」

「何を?」

「何でもええ」

何でもいいから話せ、なんて。無茶振りにも程があるが、とにかく、名前の口から何か言葉が欲しかった。これも俺のため。名前を守りたいという俺のため。解っていても、それでも俺は名前を守りたかった。名前は少し困ったような顔をしてから、上がっていってと笑った。上がっていってって、名前の家に?予想だにしなかった言葉にひどく動揺した自分自身に驚いた。


「ホラ、私のせいで雅治君が濡れちゃったから。タオル貸すよ」

「いや、これくらい何とも」

「病み上がりが何言ってるの」

くすくすと笑う名前は先程までの表情よりは少し柔らかい顔をしている。タオルとってくるからちょっと待っててねと言って駆けていく家の奥からは名前以外の人の気配がない。共働きなのだろうか。
玄関の、扉越しに聞こえる雨音は弱まる気配もない。人工的な電気の光の下に立っているのがなんだか寒々しかった。


「おまたせ。はい、タオル」

「ありがとさん」

しばらくして戻ってきた名前から受けとったタオルに顔をうずめると名前と同じ匂いがして、しばらくそのままの格好で浸る。動かない俺を怪しんだ名前に名前を呼ばれ、慌てて顔を上げる。わしわしと乱雑に髪を拭けば赤い髪留めが弾けて落ちた。…傘をさしていて尚髪が濡れるとは、どれだけ雨が強かったのだ。しっとりと肌に張り付くシャツの上から押さえるようにして水分を拭い、そんなものでは到底乾く訳もなかったが一先ず滴るようなことはなくなった。タオルを名前に返す。
上がって、と促す名前に頷いて、靴を脱いで隅に揃える。お邪魔しますと小さく呟いて、先をゆく小さな背を追って静かな廊下を歩く。



「ここが私の部屋だよ」

招かれた先には廊下と同じ木製の扉。プレート等は一切掛かっていない。扉を開く名前に続いてお邪魔すれば、予想していたよりも雑然と物の多い空間が俺を出迎えた。机の上には勉強できるだけのスペースを残して紙の束だの時計だの本だのが積まれ、俺の肩程の高さのある本棚には色々な種類の本が詰められて、入りきらなかったものは隣に積まれている。傍には何故かひょっとこのお面が置いてあった。決して狭い部屋ではなかったが、名前の興味の対象となるあらゆるものが詰め込まれた部屋には少し窮屈な印象を受ける。けれど、散らかっているという感じはしなかった。紙の束はあくまでもきっちり揃えられているし本棚の中身は言わずもがな、隣に積まれたあぶれ物も綺麗に揃っている。ゴミらしきものは見当たらず、ベッドだってきっちりとなおされているし。


「…ちょっと、あんまり眺めまわさないでよ。汚い部屋なんだから」

「ん、すまん」

「どうせ女の子らしくないとか言うんでしょ」

「そんなこと誰も言っとらんじゃろ」

名前は顔を歪めて言ったが俺はこの部屋が気に入った。ここは正真正銘"名前の"部屋なのだと思った。殺風景な、カラッポな俺の部屋とは違う。居心地が良かった。
勧められて、椅子に腰掛ける。名前はベッドに腰を下ろして、一瞬、無言の間ができた。ざああと窓越しの雨音はフィルターにかけられたみたいに滲んで耳に届いて、なんだか眠くなる。…今、立ち上がって、無防備にベッドに腰掛けている名前の肩を押したら、とか。すぐにそんな事ばかり考えてしまう自分が憎い。こんなシチュエーションで、指一本触れることさえ出来ない関係が憎い。これ以上の沈黙が嫌で、俺は口を開いた。


「名前」
「あのね、雅治君」

嗚呼なんてタイミングの悪い。
思い切ったような顔をして口を開いた名前の、その言葉を遮ってしまうなんて。先にドウゾって、俺は名前の話を聞きに来たのに。首を振って、名前に続きを促した。髪留めをなくした銀髪が、ひたっと頬に当たって気持ち悪い。俺の見守る前で名前は、言葉を探して唇をすり合わせている。


「…えっとね、傘…ね」

「おん」

「壊されてたの。ゴミ捨て場で見付けたよ」

気に入ってたのになあと笑う名前は、残念そうな顔ではあったけれど泣いてはいなかった。あの夢の残滓も掠れた今、もしかしなくても俺は空回りしていたのではないだろうかと思う。俺が勝手に悲しんでいるはずだと思った名前はいつものような淡泊な表情をしていて、薄暗い雨のまやかしが、夢が、どうやら勝手に俺の中の名前に悲しい顔をさせていたらしい。


「私、傘壊されたことは悲しくないの。ただ、凄く悔しいのよ」

「…………………」

「面と向かって、喧嘩出来ないのがすっごく悔しいの。傘を壊したところで、犯人は私にどうしてほしいの?ぜんぜん理解できない。顔が見えない悪意なんて、ずるい」

犯人見付かったらガツンと文句言ってやるんだから。
名前は、あくまでも凛としていた。さっきはひたひたと濡れて見えた瞳はしんと光っていて、力強くて、嗚呼やっぱり名前は綺麗だ。俺が守るまでもなく、向けられる悪意に真っ向から対峙している。


「…じゃ、そん時は俺もガツンと」

「あは、なんで雅治君がガツンと言うの?イジメられたの私だよ?」

「俺の可愛い彼女イジメた奴は許せん」

「なにそれ」

こらえきれないように吹き出す名前の頬に朱がさして、一層綺麗になる。俺はそっと手を伸ばして、笑顔の名前の頬を少し抓った。痛いと睨まれるがそのまま見つめる。


「あんまり名前が気丈じゃと俺、寂しいぜよ」

指を離せば、ほんのりと赤みを帯びていただけの頬に真っ赤な跡がついていた。

|
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -