仁王君と私と周りの人達


最近雅治君は色んな顔を見せてくれるようになった、と思うのは私の独りよがりなのだろうか。

朝から頬にキスするのはやめてと頼んだら、替わりに毎朝会う度に抱きしめられるようになって、その度に見上げる雅治君の表情はとても穏やかだ。抱きしめられるのもどうかと思うのでやめてと言いたいのだが、あんなに落ち着いた表情をする雅治君を見ているとなんだか言い出しにくい。
まだまだ周りの視線は鬱陶しいけれど、私よりも少しだけ温かくて、とてもいい匂いのする雅治君に抱きしめられて始まる一日というのは、悪いものでもなかった。

そういえば、初めて話をした頃から暫くの間はよくわからない無表情とか意地悪な顔ばかりをしていたように思うけど、最近は笑ったり泣いたり困ったり甘えたり、仁王君の表情の名前がわかるようになったと思う。それは嬉しかったけど、泣いたり困ったりする雅治君は出来れば見たくなかった。私が、雅治君を困らせたり泣かせたりするのが嫌だった。

お見舞いに行った日、鍵を開けるのに手間取ってガチャガチャしている雅治君の、漸く扉を開けることができた時の顔は、なんだか可愛かった。こんなことを言っちゃ不謹慎かもしれないけど、真っ赤な顔をして寝癖をつけて、髪も結んでいなくて、そんな雅治君は詐欺師なんてあだ名のこれっぽっちも似合わない、普通の男の子の顔をしていた。こんなこと、本人には言わないけれど。
話を聞いたら雅治君は朝から薬飲んでないなんて言うし、何も食べてないって言うし、看病してくれる親も居ないし、私は彼ほど馬鹿な人を見たことがない。今日一日、馬鹿みたいに彼のことばかり心配していた私が、本当に馬鹿みたいだ。

ゼリーを食べさせてあげて、薬を飲ませて、独りが嫌だという雅治君の願いを聞いて私は暫く彼の隣に居る事にした。あの事がばれないかとひやひやしていた私だけれど、結局のところ案の定気付かれてしまって、私は、雅治君を泣かせてしまった。


(ごめん、ごめんね雅治君、なかないで)

なかないで。

私は、一番心配をかけたくなかった彼に、一番悲しい思いをさせてしまった。



(それもこれも丸井のせいだ、ばか)

そもそも丸井が私にプリントを託しさえしなければ雅治君を悲しませてしまうこともなかったのだ、と。それが逆恨みも甚だしいことは理解しているけれど、それでも私は友人を恨まずにはいられなかった。


昼休みに、この間の女の子達とは別の子達に呼び出された。案の定話というのは雅治君のことで、雅治君が今日休んだのは私のせいだと言われてしまった。私がどうして雅治君に風邪を引かせられるというの。現実的でない彼女達の言い分を跳ねっ返すことは簡単だったけれど、心当たりだって全くなかったけれど、もしかして、と一瞬でも思ってしまうと、もう何も言い返せなかった。彼女達の為すがままに殴られて、蹴られて、そんな時に助けてくれたのが丸井だった。


「何してんだよぃ」

「あ…ま、丸井君」

突然現れた丸井に酷くうろたえた彼女達は、私を一瞥した後はなにも言わずに去って行った。丸井は立ち去る彼女達には目もくれず、私の方に来て、大丈夫かよの一言。何があったと聞かれたけれどなんと答えていいかも解らずに、私はただぽつりと呟いた。


「…理不尽ね」

丸井は、何故だか傷ついたような顔をした。


私と丸井の関係なんて、ただ過去に同じクラスだったというだけのはず。でもその割には仲は良い方で、今でも廊下ですれ違う度に声を掛けられたり掛けたりする。そういえば私と雅治君の関係が"こう"なって以来、少し声を掛けられることが少なくなったっけ。気にはしなかったけど、少し淋しかったのが本音。
そんな珍しくウマの合う私達だったから、その一言から私が何も話したくないという事を悟ってくれたみたいで、あとは黙って保健室に連れて行ってくれたことには感謝する。


(感謝はしてるんだけど、)

どうしてよりによって私にプリントを託すのか。雅治君に傷のことがばれてしまったらどうしてくれるのか。プリントを届けてくれなんて言われて、断るに断れなくて、ひやひやしながら持って行って、結局は気付かれてしまった。

丸井の馬鹿、今度廊下ですれ違ったら足を引っ掛けてやる。



廊下と言えば、最近幸村君ともすれ違う度に挨拶を交わすようになった。

彼はいつ見ても穏やかに微笑んでいて、これでいて鬼のようにテニスが強いというのだから人は見た目によらないものだと思う。去年の冬からこの間まで入院していたそうだが、もうよくなったのだろうか。去年彼に負けた他校のテニス部員が毒を盛ったとか呪いだとか、根も葉も無い噂話が飛び交っていたのは記憶に新しい。まさかそんな噂話に流されはしないが、全く気にならないでもない。けれど、きっと私が突っ込んで聞けるようなものでもないだろうから、真相は幸村君の心の中にある、ということにしておく。

幸村君との話題といえば、専ら雅治君のことで、彼がいつ部活をサボっただとか、最近は少し真面目だとか、そんなことをよく聞く。
幸村君は話すのが上手なので、彼と過ごす廊下でのささやかな時間は嫌いじゃなかった。



そして今、私の手を引いて廊下を歩く二年生の男の子。名前は切原赤也君。確か雅治君の練習を見に行った時にこの子も居たように思うから恐らくテニス部員だろう、と私が記憶の箱を引っ張り出していれば、切原君本人から俺も仁王先輩と同じテニス部員だと紹介があった。にっかりと笑う顔は人懐っこくて、可愛らしい後輩のいる雅治君が少しだけ羨ましかったりして。私を引き連れながら堂々とサボり宣言をしてしまう彼を、先輩という立場的には私が叱ってやらなければならないのだろうけれど、生憎私はあまり"いい先輩"ではないのだ。このところ真面目に授業を聞いていた私も、久しぶりにやんちゃになってみたくなった。

保健室の先生に、雅治君は今日は一度も来ていないと言われて落ち込む私を励ますように明るく笑ってくれる切原君は、悪い先輩な私と違ってとてもいい後輩だ。彼の元気な声に釣られて、私も元気が出てくる。

その後で彼の言う心当たりとやらを探し回った私達だけれど雅治君は一向に見つからなくて、まさかそんな機会は訪れないだろうけれど、雅治君に隠れんぼをしようと誘われても絶対にやらないと心に決めた。走り回って火照った身体は少しだけ疲れていたけれど、普段は運動不足なのもあって久しぶりに走り回ったのは結構清々しかった。ただ、切原君は中々見付からないことを気に病んでしまったらしくて、私が雅治君の居場所を切原君だけに考えさせていたのが悪いというのに彼はすっかり落ち込んでしまっていた。本当に、人のことでこんなにも落ち込んだり悩んだりできるいい後輩がいるだなんて、仁王君はずるいなあ…とか、彼氏相手に嫉妬をするなんて、変な話だった。
とにかく、切原君に任せっきりにするんじゃなくて私も雅治君の居場所を考えないと。

(彼の居場所、といえば…)


「あー…私にも、ひとつだけ心当たりあるかも?」

もしかしたらだけど。
私と雅治君の思い出なんて、精々10日もあれば良い方だけれど。そんな私が思いつくような場所に、都合よく雅治君が居たりする訳もないけれど。それでも私の思い付いた場所は、ハズレではないような気がした。


「それじゃあそこを探しましょうよ」

「そうだね」

切原君が再び元気を取り戻して立ち上がると私もホッとした。先導して歩きだすと切原君が隣に並んで、手を繋いだ。切原君の掌は随分と温かいと思っていたのだが、今は少し温く感じる。それは私の身体が温まったからか。
可愛い後輩と手を繋いで、雅治君を心配していて始めたはずの探索はなんだかちょっとした冒険になっていた。夏の陽射しが差し込む白い廊下を、隣では授業中だということも忘れて、二人して騒ぎながら駆け抜ける。切原君と手を繋いでいたら私も足が速くなったような気がして、後ろから怒る先生の声はすぐに小さくなった。



近道をした訳でもないのに驚くほど早くに私達は屋上に繋がる階段に到着していて、いつかの雅治君ではないけれどまるで魔法に掛けられたみたいだった。


「名前先輩の言う心当たりって、ここ?」

「そうよ」

切原君曰く、彼は暑い季節には涼しい所を好むそうだが、屋上にはあまり日を遮るものはない。あるのはいつか私がボールをぶつけた給水塔くらいで、風も吹いてはいるが、涼むのには些か強すぎるので居心地は良いとは言えない。切原君も言葉には出さないまでも表情は雄弁にまさかこんな所に仁王先輩が、と語っているが、私は何故だか確信に近い形で雅治君はここにいると思った。

薄暗い廊下から、扉を開くと夏の香りと共に陽射しが私と切原君を包み込んだ。これは完全に、夏だ。初夏なんて生温い言葉の似つかわしくない陽射しの暴力に、私の確信は少しだけ緩んでしまった。…切原君の、暑いという呟きを聞いて、さらに緩んだ。

眩しさを少しでも遮ろうと手で庇をつくって、勇気を振り絞って夏の下へと踏み込む。彼が居るならば今の時間帯には丁度日陰になっている、私達の出てきた昇降口とは反対側しかない。何故だか音を立てないようにそっと扉を閉めて、足音を忍ばせながら周り込む。途切れ途切れの微かな話し声が聞こえてきて、恐らくは、とは思うけれど声が小さすぎて確信にはならない。後ろを振り返って切原君を確認したら、彼にも声はよく聞こえないらしい。

ひとつ周り込んで、無駄に深呼吸して、そっと角の先を覗き込む。
給水塔の円柱状のシルエットの中に、強く吹く風の中に、大好きな銀色の髪を見付けて、私は嬉しくなった。


「雅治君っ」

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