風邪引いた


「風邪引いたけん、学校休むぜよ…」

だから、今日は一緒に学校行けん。

腫れて狭まった喉からは、信じられないくらいに掠れた声しか出ない。電話越しに解ったと言う名前の声が遠くて、もっと近くに居てくれればいいのになんてらしくない事を思う。


『それじゃあお大事にね』

「ん…」

気遣う言葉を残してさっさと切れてしまったた電話に物足りないと思うが、何よりも俺の身体は睡眠を欲していて、名前もその事に気付いて早めに電話を切ってくれたのであろう。

落ちる瞼には抗えず、俺は大人しく眠気に身を委ねる。










俺が目を覚ましたのは昼を過ぎたあたりで、たっぷりと睡眠をとった身体は少し楽になっていた。携帯を確認すればブン太と柳生から一件ずつ心配のメールが入っていて、普段ならば気にもかけないはずなのにそこに名前の名前がないのが残念で仕方なかった。


(…つまらん)

俺は再び瞼を閉じ、携帯を耳元に当てる。何処に繋がっているでもないが、携帯にはまだ今朝の名前の声が残っている気がして、我ながら女々しいとは思うが俺はそのくらい、名前を欲していた。




♪♪♪♪♪♪―――――


「!!」

しばらく何処にも繋がっていない携帯から名前の声を探していたら、唐突に何者からかの着信が俺の鼓膜を盛大に驚かせた。
慌てて携帯を耳元から引っぺがし、ディスプレイを確認する。




『着信中 苗字名前』




俺は、無意識のうちに名前に向けて電波を飛ばしていたのかもしれない。
真剣に、そう思った。


「……、もしもし?」

『あ、雅治君。もしかして今寝てた?』

「いんや、丁度起きたとこ」

『そ?なら良かった』

調子はどう?と問う声が朝よりも鮮明で、もっと近く、もっと近く、名前の声をもっとよく聞きたくて携帯に頬を擦り寄せる。


「ずっと寝とったから、随分楽になったぜよ」

『本当?朝の電話の時、死にそうな声だったから心配だったの』

「……すまん」

心配させてすまん、名前に心配されている事が嬉しくてすまん。
多重の意味を篭めて謝れば、電話越しに笑った気配がした。


『ふふ、謝らないでいいよ。雅治君が元気になってくれたらそれでいいから。あ、それとね、今日お見舞い行ってもいい?』

「ん?別に構わんが」

『よかった。丸井にね、雅治君にプリント届けるように頼まれたの』

…ブン太に?
名前が"丸井"と呼ぶ響きには俺の名前を呼ぶ時とは違う、もっと近い距離感が見えて、それに胸を引っ掻かれるような痛みをおぼえる。そんな些細な痛みは無視出来たけれど、ただ疑問は残った。


(なんでブン太がわざわざそんな気遣い見せるんじゃ)

いつもならば彼女にプリントを托すどころか、俺の机にプリントを放り込んでそのまま放置だろうに。
級友の、妙な行動に違和感を覚えたが、それを指摘する間もなく名前が声を上げ、俺の疑問は遮られた。


『それじゃ、夕方になったら行くけど、部屋汚くても片付けとかしちゃ駄目だからね?薬飲んで大人しく寝てるんだよ?』

「………名前は俺の部屋にどんなイメージ持っとるんじゃ」

『ふふ、秘密。…じゃ、またあとでね』


ぷつり。
着信が来た時と同じ唐突さで電話が切れる。暫くの間無機質なディスプレイを眺めていたが、意味のないことと思って瞼を閉じた。

夕方までもう一度寝よう。
そう思ったのに眠気は一向にやって来ず、俺はただ無意味な時間を過ごした。














ピンポーン――――


「!」

家のチャイムが鳴る音でハッと意識が明瞭になる。慌てて時間を確認すればもう4時半を回っていて、眠れない等と言っていた割に俺はまどろんでしまっていたらしい。
まだ少し重たい身体を引きずって玄関まで向かい、覗き穴を覗く。そこにはいつものように真っ直ぐに立つ名前の姿が見えて、ああ早く、早く硝子越しでなく名前の姿を見たい、電波越しでなく名前の声を聞きたい。そう思うのだが、思いと裏腹にうまく力が入らず鍵を捻ることができない自分の指がもどかしい。何度か失敗しながら漸く玄関を開けたそこにはなんとも変な顔をした名前が立っていた。


「……何、がちゃがちゃしてたの?」

…俺の動揺は、ハッキリと音になって名前に届いてしまっていたらしい。
なんでもあらんと言いながら名前を招き入れる。部屋は、そもそも物があまりないから汚くはないはずだ。名前は部屋を見回して少し驚いたような顔をした。


「…一人で住んでるの?」

「ん、言っとらんかったか」

「初耳だよ…。丸井に聞いた住所がアパートだったから変な気はしたんだけどね」

はいコレお見舞い。
そう言って手渡されたコンビニ袋の中にはスポーツドリンクとゼリーが入っていた。…あと、何故かこの間夜中に会った時に貰ったのと同じアイスも入っている。


「病人には何がいいのかわかんなかったから、適当に買ってきちゃった。嫌いなものある?」

「いんや」

「良かった。…で、お昼はちゃんと薬飲んだの?」

「……………」

飲んでいなかった。
それどころか、朝から水しか口にしていない。起き上がる気にもなれず、食欲もないし、っていうか俺の部屋にはあんまり食べるものもないし…
心の中でつらつらと言い訳を思いつくが、何一つ口には出来ない。


(…名前、また怒っとる)

冷たい光を宿す名前の目に見つめられて、俺はただ硬直するしかなかった。
謝るべきか、ごまかすべきか…いやいや、むしろ開き直るべきか……何をしても名前の逆鱗に触れそうで、やっぱり俺はただ硬直するしかなかった。


「…雅治君」

「な、なん」

「今日、何も食べてないのね?」

断定的な問い掛けは鼻についたが、事実なので頷くしかない。名前は大きな溜息をついて、俺の手を引っ張る。強引にベッドへと座らされれば、ひやりと冷たい掌が俺の額にそえられた。…気持ちいい。ずっとこうしていてもらいたい。そう思ったが、無情にも名前の掌はどこかへ行ってしまい、代わりにスポーツドリンクのペットボトルが差し出された。


「とりあえず水分」

「…ん」

「もう、まさか何も食べてないなんて思わなかった。雅治君って馬鹿なの?何も食べてないって知ってたらもっとマシなもの買ってきたのに。どうせ雅治君のことだから、家にはお米とかもないんでしょ」

「…………」

記憶になかった。
米を買った覚えもないから、名前の言う通りこの家には米はないのだろう。
無言を肯定と受けとったらしい名前は呆れたような顔をして、買ってきたゼリーの封を開けた。


「お米がないならお粥も作れないじゃない。本当に君は仕方ないなあ…ほら、これだけでも食べて、薬飲んで」

差し出されたプラスチックのスプーンにはつやつやと光るゼリーが一口大。


「………口移しで」
「風邪が移るから却下」

「…ちえ、手厳しいのう」

拗ねたような声を出せば、当たり前でしょと叱責されながらスプーンを口に押し込められる。つるりと冷たいゼリーが熱い喉を滑り落ちる感触は心地好くて、もっとくれと催促すれば、名前はまるで親鳥と雛ねと笑いながらゼリーを食べさせてくれた。


聞きたかった声と、見たかった笑顔と、冷たい掌もさらさらの髪も、


寂しくて仕方なかった朝が嘘のように俺は満たされていた。


|
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -