会った
「は、っん………、っ」
ティッシュを二、三枚抜いて欲の跡を拭い、丸めてごみ箱へ放り込む。額に浮いた汗を軽く拭って、漸くひと心地ついた。
ベッドへとなだれ込み、一人寂しい部屋で大きな溜息を吐く。
一人で抜いたのは、何ヶ月ぶりだろうか。
ここ最近、性欲処理に関しては困る事がなかったので、久し振りの自慰行為はなんだか真新しく感じる。
(…別に、相手が居ない訳ではないんじゃがの)
名前と付き合い出したという噂が広まってからも、俺と関係を強要してくる女は沢山居た。けれど俺はそれを尽く断っている。
別に名前との恋人関係はゲームな訳だし、俺が他の女と関係を持とうがどうしようが構わないとは思うが(名前の事だからまたいつもの淡泊な調子で「これって浮気じゃないの?」と質問でも吹っ掛けてくるのではないだろうか。)、何となく、そんな気になれなかった。
だって、もし行為の途中で名前の真っ直ぐな顔を思い出したら、きっと俺は自己嫌悪に陥る。それならば一人で味気無く処理している方がまだマシだ。
(彼女が居ながら他の女を抱くことくらい、平気なはずだったんじゃが)
どうしてか、名前と付き合い出してから俺の中で何かが変化していた。
(……夜風に当たりたい)
財布と携帯だけをポケットに詰め込んで、俺は家を出た。
外は、深夜だというのに蒸し暑い。
夏の気配はもうそこまで来ていて、そういえばもうすぐ俺達の最後の大会が始まるのだと今更実感した。
名前は試合を見に来たりするのだろうか。昨日の練習の後、帰り道では珍しく興奮した様子でテニスって面白いと騒いでいたし、来るかもしれない。
もしそうならば、誰よりも俺を一番に応援して、
(……ほしい?俺が?名前に?)
ごく自然に頭の中に浮かんだ願望に、何よりも俺が驚いた。
けれど、本当に、心から、
名前には俺を一番に見ていて欲しいと、そう思った。
(ああ、でも)
大会が始まる頃には、もう俺達は恋人同士ではないのか。
名前に、俺を見ていてくれと言う事もできなくなるのか。
そう考えると、何故だか心臓の辺りに小さな穴が開いたような気分になった。
「あれ、雅治…君?」
「!」
名前のことを考えながら当てもなくさ迷っていたら、どうやら近くのコンビニまで来ていたらしい。
特に何が欲しい訳でもなかったが、少し寄って行こうか。そう思って、明かりに惹かれる蛾のようにふらふらと足を進めたら、
「…名前」
ビニール袋を片手に、驚いた顔をした名前が居た。
「なんでこんな時間にこんなとこに?」
「…それはこっちの台詞じゃ」
こんな夜中に女一人で出歩くな。そう言外に伝えれば、一応危ない事は自覚していたのであろう名前はバツの悪そうな顔をしてアイスが食べたくなったんだ、と笑った。
「…で、雅治君はなんでコンビニに?何か買い物?」
「いや、散歩してたらたまたま此処まで来てしもうた」
「夜に徘徊なんて不健康」
「こんな時間にアイス食っとるおまんには言われたくないのう」
「相変わらず言うことキツイなあー」
そう言って名前は笑うと、おもむろにコンビニ袋からアイスを取り出し、俺に投げて寄越した。ソーダ味と書かれた袋はひやりと冷たく、この気温と湿気の中で既に少し汗をかいている。
「それあげる」
「…名前の食う分じゃなかったんか?」
「もう一本あるから」
珍しくニッと歯を見せて笑う名前につられて、俺も口角が上がる。
「そこの公園で、一緒に食べよ」
「…おん」
踵を返し、率先して近所の公園へと向かう名前の背中はやっぱりいつものように綺麗で真っ直ぐで、コンビニのライトを反射して白く光っていた。
隣に並んでごく自然に手を握り締める。軽く握り返される感触に、何かが満たされた気分になった。
心臓に開いた小さな穴が、いつの間にか塞がっていた。
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