第29話


 風吹けば緑香る、春の終わりの匂い。
 暖かい夜だった。影山くんの横に並び、通学路の坂を下りていく。ふたりで一緒に帰るのは、これで何度目だろうか。やっぱり彼は必要以上の会話をしない。私も、気を遣って何かを話したりはしない。そんな空間をいつのまにか心地よく感じていたりする。
 影山くんと出会って一年。本当に色々なことがあった。烏野のバレー部にとって最初の革命が起きたのは、影山くんと日向くんの変人速攻が生まれた時だろうか。あの時の衝撃は今も忘れられない。二人の出会いはきっと運命だったのだろう。そして、二人が揃って烏野に入ってくれたことも。

「影山くん今日の試合本当にすごかったね。とくに最後のサーブ」
「うっす。実際調子はかなり良かったっす」
「なんかわたし色々思い出したなー。初めて町内会チームの皆さんと試合したこととか。烏養コーチが練習見にきてくれて、旭さんが復帰して、西谷くんと旭さんが仲直りして、それで、菅さんが…………っ、ぅう」
「……みょうじさん。自分で話し始めて思い出し泣きするのやめてください」
「ご、……ごめん」
「いや、謝らなくていいですけど」

 三年の春にして、すでに情緒不安定だ。それくらい、去年の一年間は私にとって特別なものだった。頼りになる先輩たちがいて、大好きな同級生達がいて、烏野に新しい強さを与えてくれた一年生たちが居てくれた。いわば黄金時代というやつである。でも、過去に思いを馳せてばかりでは前に進めない。今のチームで、また一からスタートを切る。その準備が、少しずつではあるが、整い始めていた。

「っ、そういえば、あの子との居残り練習はどうだった?」
「……別に、どうってことは。普通です」
「ええ。そんなことないでしょ? そういわずに教えてよ」
「……アイツ、真紘がそんなに気になりますか?」

 真紘律まひろりつ。あの子のフルネームは今日完璧に覚えた。あんな強烈なインパクトを残してくれたのだ、もう忘れるはずがない。
 気になるか、と聞かれたらそりゃあ気になる。だってあんなに上手なセッターと影山くんの練習なんて、頼まれなくても見たかったやつだ。私はほんの少し不貞腐れていた。

「だって、影山くんきょう練習誘ってくれなかったし」
「……それは」
「いつも声かけてくれるのに。気づいたらいないし。しかも秋倉さんに声かけたっていうし」
「……お、俺は、ただ」
「ただ?」
「……真紘がみょうじさんに、興味持ったりするのが嫌で」

 口に出してみると、私は案外根に持っていたようで、その勢いで影山くんに詰め寄ってしまった。不機嫌が顔に出ていたかもしれない。影山くんは私の勢いに怯みながらも、ちゃんと理由を答えてくれた。口をもごもごさせている。あまり良くない理由だと、自分でも思っているのだろう。でも、それなら私だって同じだ。

「わたしだって、いやだよ」

 ふと、二人して道端で立ち止まった。
 バス停までは次の角を曲がれば、もうすぐだ。だから、ちょっぴり名残惜しかったのかもしれない。

「秋倉さんに、影山くんとの居残り練習、とられたくない」

 影山くんは、瞬きもせず私を見た。私もじっと影山くんに視線を返す。あと三分ほどでバスが来るのに、急ぐ気にはなれなかった。私の想いが影山くんにちゃんと伝わるまで、ここに居たいと思った。

「みょうじさん」
「……なに?」
「あの、抱きしめてもいいですか」
「……なに?!」

 まさかの発言すぎて、私は思わずその場から飛び退いた。影山くんは相変わらず真顔のままだ。冗談を言っているわけじゃない。

「いや、可愛いなと思って」
「……っ、…なに、を」
「それで、だめですか」

 またデジャヴだ。そして、何故、言われた私の方が赤面しなきゃならないんだろう。だめかと聞かれたら、別にだめではない。
 ……けど、やっぱりだめだ、今は無理。心の準備が出来ていない。私は一度影山くんに抱きしめられたことが、ある。だからこそ、私の傾きはじめた心は、影山くんからの抱擁に、たえられない事がわかっていた。

「…………ま、またこんど」
「わかりました」

 何の今度なのかはわからない。しかも影山くんは、私の意味不明な提案を快く了承してしまった。じゃあ、もしその今度がきたら。私、その時はもう逃げられない。



***


 

「俺は見た」
「…………なんとなくわかるから、その先は言わなくていいです」
「なまえと影山の、超、ウブ!かつ、ラブ!な光景を」
「だから言わなくていいです」
「つーか俺以外にも見た」
「……ちなみに?」
「三年。全員」
「終わりだ」

 面倒臭めのテンションに仕上がった西谷くんがやってきた。四限終わりの昼休み、とくに約束もしていないのに「なまえー!メシ食おうぜー!」と私の教室にでっかいお弁当を持ち込んできたのだ。何を突然とたずねたら、私に話したい事があるという。なんと珍しい。こんなお誘いも中々ないので、私は快く応じた。それなのに、開口一番これである。

「……話ってそれ?」
「いや。元々はちげーんだけど、これが今一番ホットな話題だったからよ」
「……ていうかついて来てたの?後ろからコソコソ?みんなして?わざわざ遠回りして?」
「いや縁下がさ、今日は二人がいい感じだったって言ってたから、つい」
「縁下くんめ……」

 縁下くんにまんまとやり返されてしまった。やはり、彼は侮れない。まあ、今の二、三年生たちには私と影山くんのあれやそれを大体知られているので、今更噛み付くことでもない。それでも、わざわざ口に出されるのは恥ずかしいのだ。

「もう付き合う?」
「……ううん。まだかな」
「お前いつまで焦らす気だ?影山だって早くなまえとあーんなことやこーんなことがしたいかもしれないだろ!」
「うるさいな!その話するならわたし違うとこいく!」
「ちっ……わーったよ。俺がほんとに話したいのは真紘のことだって」

 西谷くんは不貞腐れながら、どでかいおにぎりを頬張った。お弁当とは別におにぎりが三つ。やっぱりさすがの育ち盛りである。
 そして真紘くん。ようやく西谷くんからその名前が出て、私は興味津々にたずねた。

「そうだ!それわたしも聞きたかったの。千鳥山で一緒だったんだよね。その頃からあんなに強かったの?」
「いや、あいつ、俺がいた時はそんなに目立つ奴じゃなかった気がすんだよな。つーか名前とプレーが全然一致しねーの。あんなやついたか?ってレベルで」
「……へぇ。それはなかなか興味深いね」

 お弁当につめた卵焼きをもしゃもしゃと咀嚼しながら、西谷くんの話をふんふんと聞く。

「サーブもトスもレシーブもさ、上手いんだけど、なんか既視感ねえ?」
「あーそれわたしも思った。あと影山くんのトス真似たやつとかもすごかったし」
「だよな。まーあのレベルならすぐセッターで起用されてもおかしくはねぇと思うけど、なんか腑に落ちねえ。というか、アイツ俺と全く目合わさねえんだよな」
「あはは、もう怖がられてる」
「あははじゃねーよ。これから一緒にプレーすんだぞ?気遣われたらどうしようもねぇじゃん」
「西谷くんなら大丈夫でしょ。わたしその辺はあんまり心配してないよ」
「……何を根拠に」

 西谷くんが珍しく難しい顔をしている。二年の時は自由奔放かつ明るいムードメーカーで人気の彼だったけど、三年生にもなるとやはりそれだけじゃダメということだろうか。でも、私は本当に、西谷くんが悩む理由がわからない。

「だって西谷くん嫌うひと、この世にいないんじゃない?」
「…………お前なあ」
「それに、もし一年生が西谷くんのことを嫌っても、わたしは西谷くんのこと大好きだから。安心して」

 西谷くんがくれた言葉を、そっくりそのままお返しする。すると、西谷くんは口からぼろりと米粒を落っことした。

「わ、ちょっと、出てる」
「こんの、人たらしめ!」
「それ西谷くんがいう?!」

 西谷くんが顔を真っ赤にして怒り出した。私はそれを見て爆笑してしまった。
 でも、やっぱり去年とはなにか違ってきている。西谷くんがこんな風に部活のことを相談してくるなんて、今までにないことだった。影山くんも西谷くんも、皆、チームのために、ちゃんと必死に考えてくれている。その事実がものすごく嬉しくて、こんなにも心強い。

「西谷くんが真紘くんに言いにくいことはさ、わたしが代わりに言ってあげるよ」
「……いーや、それはだめだ」
「え、なんで?」
「影山が嫉妬する」

 そんなことはない。とも言い切れない。本人にもそのようなニュアンスの言葉を言われたからだ。でも、それは私とて同じこと。

「大丈夫。恋愛と部活は別だから」
「ま。お前らはたぶんそうだよな」

 部活中はそう。
 でも、部活外のことは、やっぱり見逃してもらうことにする。

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