第28話


 無事、秋倉さんの目に闘魂が戻ったところで、私は彼女が所持していた部活日誌を預かり去った。これ以上、彼女と話すことはない。部室でのことを謝ろうと思っていたけど、それももうやめた。秋倉さんのしおらしい姿を見て、気が強い所ばかり見ていた昨日までよりも、だいぶ印象が変わってきた。もう彼女を怖いと思うこともない。多分、普通に話もできる。だからこそ、不用意な気遣いはしないと決めた。

 体育館の隅に寄り、パラパラとページを捲りながら歩く。仁花ちゃんも秋倉さんも、ちゃんと潔子さんや私の記述を真似て書いてくれているのがわかり、少しほっこりした気分になった。
 ふと体育館の時計を見上げる。思ったよりも時間が経っていた。これは少し急がないとまずい。何せ今日は書くことがありすぎるのだ。普段の私なら、一日中練習風景を追っていることなんてまずなかっただろう。色々ありはしたけれど、今回は本当に良い機会だったと思う。
 さあ何から記そうかと考えながら、いつもみたいに舞台の隅に腰をかける。いつも使っているお気に入りのペンで、するすると文字を書く。急いでるからほぼ走り書きだ。記憶が確かなうちに全部記録したいのもある。

 それからしばらくすると、前方から縁下くんが走り寄ってきた。

「……あ、縁下くん。お疲れさま」
「みょうじ、今日はホントありがとな」
「なあに改めて。てかわたしほんと今日なにもしてないよ。ずっと練習見てただけ」
「うん。それだけでだいぶ効果あったと思うよ」

 効果? と首を傾げる。縁下くんはその先を語ることはなく、にこりと微笑むだけだった。「じゃ、また明日よろしく」と短く言葉を切り、さっさと元いた場所に戻っていった。お礼を言われたということは、まあそれなりの働きは出来たのだろう。こちらとしても収穫はあったし、それなら良いことづくしだ。
 足先をぷらぷらと浮かせながら、膝の上で日誌を広げる。一年生のこと、二年生のこと、三年生のこと。一人一人の表情と動きを思い出しながら、ひとつずつノートに書き記していく。早く一年生の顔と名前を覚えないといけないな、と思いながら、名簿のコピーを貼り付けたページを開ける。名前と出身校と身長、経験したポジションが記録されている。個性豊富な一年生の中でも、やはり気になるのはあの三人のことだ。しかもそのうち二人は影山くんと西谷くんの後輩である。

 そういえば影山くんとは同じ北川第一出身の秋倉さんのことは話しても、ウィングスパイカーのあの子のことは話してなかった。今度またどんな感じの子かたずねてみようと思ったが、中学時代の影山くんはチームメイトのことで色々と揉めていた頃だし、そもそもあの後輩くんに興味があったのかどうかも怪しい。青城の及川さんのことはめちゃくちゃ意識していたようだけど、そのほかはどうだろう。北川第一出身の子が多い青城の中だと、及川さんのほかに岩泉さん、金田一くん、国見くんの三人が一緒だったと聞いている。試合の時の印象しかないけれど、親しげに言葉を交わしていたような記憶はまったくない。だとしたら、やっぱり影山くんに中学の時の話は聞かない方がいいだろうか。
 いや……ならば、秋倉さんに聞くという手もある。一瞬考えてはみたのだが、彼女も彼女で昔から影山くんにしか興味がなかったのだとしたら、それも意味がないことに気がつく。ここまでくると、私本人が彼と話して彼の人となりを知るのが一番手っ取り早い気がしてきた。

 じゃあ、千鳥山のセッターの彼はどうだろうか。あんなに素晴らしいトスを上げるし、あのキレキレストレートはただ者じゃない感があった。でも、事前に西谷くんから彼について何かを聞いた覚えがない。あれだけ上手ければ何かしら話題にしても良さそうなのに。不思議だ。まあ西谷くんとならいくらでも話す機会があるし、何ならこの後聞いても良い。
 西谷くんはどこにいるかな、とコートの方に目をむける。モップをかける一年生の中に、西谷くんのツンツン頭を見つけた。内容は聞こえないけど、みんなに何か話している。西谷くんはあの影山くんにすら尊敬の眼差しを向けられるほどの男だから、今日の試合できっとますます彼のファンも増えたことだろう。西谷くんは普段からかっこいいヤツだけど、バレーをしてる時がやっぱり一番キラキラしている。癖強一年生たちの中にも、日向くんみたいな素直な子たちは一定数いる。そういう子にこそ、西谷くんの漢気は刺さりまくるのだ。
 ニンゲン同士、相性の良い悪いはもちろんある。勿論、ピタリとはまれば言うことなしだが、私たちはなんといっても"烏合の衆"だ。統一性はかけらもなく、ただそこにあるバレーという餌に、寄り集まって喰らついているだけ。だからこそ、烏野は強い。今年のクセモノ一年生たちも、来るべくしてココに来たという感じだ。

「このチームで、絶対に勝ち上がりたい。」日誌のラストはそう締めくくり、私は舞台を飛び降りた。


***




 やっとのことで書き終えた日誌を、職員室にいる武田先生に届けてきた。武田先生は渡した日誌をその場で開き、私の超長文かつ、所々あらわれる象形文字に律儀に赤チェックを入れながら、目を凝らしてそれを見ていた。すべて読み終わった後、「さすがですね」と笑顔で言われた。何を指してさすがなのかはわからなかったが、多分褒められたので良しとする。
 職員室を出て、廊下の窓から外を眺めると、すっかり夕日が落ちていた。でも、このところはだいぶ日が長くなってきたように感じる。朝の寒さも和らいできた。春から夏へ向かってゆく季節の移ろいを目と肌で味わって、ほんのりと寂しい気持ちになった。本当、あっという間に時間は通り過ぎていく。高校最後の夏が、もうすぐやってくるのだ。




「……あれ?みょうじひとり?」

 校舎を出て、部室へ向かうその途中。体育館から出て来た縁下くんにまたまた声をかけられた。まだジャージのままだから、残って練習をしていたのだろう。

「ん? どういうこと?」
「いや、てっきり今日も影山と居残り練習してるのかと」
「……あ、そういえば」

 縁下くんに言われて気がついた。後片付けを終えてから、影山くんの姿を見ていない。だいたいいつも私が日誌を書いてる途中で声をかけてくるのに、今日はそれがなかった。日誌を書くのも久しぶりだったから、いつものお約束がすっかり頭から抜けていた。そういえば、最後に影山くんの居残り練習に付き合ったのは、一週間ほど前になる。もちろん、私がしばらく裏方に徹していたせいもあるだろう。
 
「影山くん、もう帰ってた?」
「いや。まだ荷物あったと思うけど」
「……ふーん。そっか」
「気になるなら見にいけば?どうせ第一体育館の方で誰かとなんかやってんだろ。もしかして秋倉さんに誘われたとか」
「……あーありえる」

 縁下くんは確実に私を煽っている。その証拠に、意地悪を言う時の、このしたり顔だ。

「私のだって奪いにけば?」
「……やだ。わたし、練習の邪魔したくないもん」
「いーから行けって。素直じゃないなあ」
「いい!いかないってば!」

 縁下くんがやけにしつこいので、ついムキになって言い返した。彼は最近ますます私に対するアタリが強い。主将になって度胸も意地悪度も増した。これは、田中くんや西谷くんに揶揄われてるときと、まったく同じ気分である。縁下くんはあの二人に比べてまだ私に遠慮があったはずなのに、今やもう見る影もない。嬉しいような、めんどくさいのが増えただけのような、複雑な気分だ。

「……ま、秋倉さんは本当にしらないけど。みょうじじゃないなら、たぶん影山、あの一年セッターと一緒かも」
「…………へ?」
「アイツと影山、練習終わりになんか喋ってた」
「あの、それ、はやく言ってください」

 縁下くんお得意の、突然の爆弾投下だった。それならまったく話が変わってくる。あの二人が一緒にいるのだとして、いい事が起きるワケがない。また彼が影山くんにちょっかいを掛けているのだろうか。だとしたら、かなり心配だ。

「……ちょ、縁下くんも一緒に来て!」
「は?なんで」
「喧嘩してたらどうするの!私ひとりじゃ止められない!」
「ッハハ。大丈夫だって。日向影山コンビじゃあるまいし」

 私は本気で言っているのに、縁下くんは呑気すぎる。さっきの二人のやりとりを間近で見ていた私にはわかる。影山くんはまたあんな風に煽られて大人しく黙っていられるほど、気が長いわけじゃない。さっきはあくまでも部活中だったから、堪えられていただけだ。
 影山くんはあの試合を通して彼を見て、何か思う事があったのだろうか。自分のコピーと言われて、腹が立っただろうか。今、彼と何を話しているのだろうか。あの時の私は、影山くんの気持ちも考えないまま、少しはしゃぎすぎてしまったかもしれない。一年生たちの実力の高さに興奮して、良い方に考え過ぎていたのかも。今さらになってキリキリと胸が痛くなる。最近なにかと後悔してばかりだ。

「………っでも、やっぱり」
「あ、ホラ。後ろ」

 縁下くんが私の後方を指さした。え、と振り返ると、第一体育館がある方から、影山くんがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。私は一瞬の間もなくその場から駆け出して、影山くんの方に向かっていた。

「……っ影山くん!」
「みょうじさん……?てっきりもう帰ったかと」
「だ、大丈夫?喧嘩してない?」
「喧嘩?なんのことすか」

 ソワソワしている私とは対照的に、影山くんはきょとんとしていた。パッと見た感じ、とくに変わった様子はない。

「だってあの、セッターの子と、」
「……ああ、アイツなら」
「俺と影山先輩ならもう平気ですよ。みょうじ先輩」

影山くんの後ろから、ひょこっと彼が顔を出した。そんなにすぐ近くにいたのか。影山くんにばかり目がいって、全く気が付かなかった。
 影山くんは怪訝そうに眉を寄せながら、ピッと自分の後ろを指でさす。

「コイツと練習してました」
「影山先輩死ぬほどスパルタで、俺もう死ぬかと思いました」
「嘘つけ。ずっとヘラヘラしやがって」
「もともとこういう顔です」

 ……あれ? なにやら、私が思っていた展開と、全く違うことが起きている様子だ。二人が目の前で言い合う姿に、私はまだ理解が追いつかなかった。

「え、影山くん、この子とは練習しないって……」
「俺が練習付き合わねえとみょうじさんに声掛けるって言われたんで、まあ仕方なく」
「俺的にはみょうじ先輩もいて欲しかったんですけどね。影山先輩ガードが硬すぎて突破できなくて」
「みょうじさんはな、今スゲー忙しいんだよ」
「影山先輩はいつも練習付き合わせてるのに?」
「俺とお前は別だ」
「わーお。真顔ですごいこと言いますね」

 なんだか、すごく普通だ。二人とも普通に言い合っている。さっきの練習中に感じたあの殺伐とした雰囲気ではない。というか練習? 練習って。二人で練習? 影山くんと、彼の、ツーセッター?

「な、なんで」
「みょうじさん?」
「なんでわたしも誘ってくれないの……?」
「あはは。ほら、影山先輩。俺の言った通りじゃないですか。秋倉なんかに頼むから」
「あ、秋倉さんはみたの?!ふたりの練習?!」
「あ……ハイ。なんかすんません」

 なんて、惜しい事をした。影山くんと彼の練習風景なんて、そんなの何より私がみたかったに決まっている。いくらなんでもそんなの、秋倉さんがずるい。ずるくてたまらない。

「まあ、みょうじ落ち着けって。練習なんてこれからいくらでも見られるだろ?それより影山、一年の練習付き合ってくれてありがとな」
「うっす。縁下さんも、またクイック合わせましょう」
「あ、縁下先輩、俺もお願いします」
「お前はまだ先輩たちと合わせる段階じゃねえ」
「じゃあ影山先輩がまた付き合ってくれるんですか?今度はみょうじ先輩も込みで」
「みょうじさんをついでみたいに言うな」

 死ぬほど悔しがっていたら、縁下くんに宥められてしまった。でも何にせよ、影山くんが一年生と接点を持ってくれたのは、ものすごく良い事だ。まさかこんな展開になるとは思っていなかった。上手くいくかはわからないけど、ここから自然に二、三年と他の一年生たちとの交流が広がってくれればいい。
 あと、先ほどの話の中で、影山くんが私を気遣ってくれていたのもわかった。でも、自分の練習は例外だと言い張っていたのが、自信満々でなんだか可愛らしかった。例外というか、私が好きでやっているだけなので、もちろん否定はしないでおく。

「あ、みょうじ先輩。もう暗いし俺送って行きますよ」
「……え? でも」
「練習のこと色々相談したいし、俺先輩とバス同じ方面です。通学の時良く見かけます」
「そ、そうなの?全然気づかなかった」
「みょうじ先輩、いつも爆睡してるから」
「は、恥ずかしい……」

 まさか、見られていたなんて。最近夜遅くまで起きているせいだ。これでもう通学中に油断できなくなってしまった。他人なら気にしないが、同じ部活の後輩の前ではさすがに恥を晒せない。

「ね。だから俺と一緒に帰りましょう」

 彼の申し出は大変ありがたい。
 ただ、私にはそれをきちんと断る理由があった。

「……せっかくだけど、ごめんね。わたし影山くんに話したいことあるから、先に帰っててくれる?」
「……あーなるほど。わかりました」

 にこ。と気安い笑みをくれてから、彼はあっさりと引いてくれた。お疲れさまです、と私たちに言い残して、彼は部室の方へ向かっていく。その背に手を降り、見届ける。
 その間、横からずっと影山くんの視線を感じていた。気づかないふりをしていたけど、ようやく振り向きなおる。

「みょうじさん。俺に話って、なんですか」

 話したいことならたくさんある。まずは練習中に彼から詰め寄られていた私を助けてくれたこと、町内会チームとやった練習試合のこと、そして居残り練習のこと。

 でも今は、影山くんに真っ先に伝える言葉を用意していた。

「……あ、ううん別に」
「別にって」
「影山くんといっしょに帰りたいなと思って、あの子に嘘ついちゃった」

 えへへ、と声を高くして笑ってみたりして、ほんの少し可愛こぶってみた。本当は影山くんと話したい事があるし、なんならあの子と二人で帰るのはちょっとまだ気まずい感じがして、影山くんに逃げただけだ。
 それをふとした思いつきで、聞こえが良いように言ってみたまでのこと。なのに、どうやらそれが思いのほか効果てきめんだったらしい。影山くんはあからさまに照れてくれて、そっぽをむいた。

「だからさ、バスまで送ってくれる?」
「あ、あたりまえです!」

 影山くんがめずらしく動揺している。ほんの思いつきだけど、言ってみて良かったと思った。
 あと、これにはほんの少しの嫉妬心も含まれている。「俺はみょうじさんに見てほしい」って自分で言ったくせに、秋倉さんに練習を頼むからだ。

 部活中は、私情を持ち込まない。でも、部活後くらい、私の好きにさせてもらう。

「みょうじ、俺がいるって忘れてる?」
「縁下くんはわたしの味方でしょ?」

 そしてなぜか、縁下くんまで赤面している。彼も意外とウブなんだ。

- ナノ -