第23話


 死ぬほど気が重い。
 秋倉さんのことで私に気を遣うようなことはしなくていいと、あの後影山くんにはしっかりと釘を刺しておいた。影山くんはかなり不満そうだったが、渋々了承はしてくれた。
 良いか悪いかは別として、影山くんは純粋に私を心配してくれたがために、そのような行動を起こしたのだ。ただ、結果として、状況はかなり良くない方に傾いている。秋倉さんは私に対して必要以上の会話をしてくれないし、マネの仕事について何かをたずねる時は必ず仁花ちゃんの方へ行く。別にそれはそれで良い。私もいちいち変な緊張感を抱かなくて済む。
 ただ、いつまでもそうしているわけにはいかない。選手はもちろん、マネージャーだってチームワークが重要なのだ。合宿に向けての準備期間も、もう残り僅かしかない。直接的な出来事があって揉めている訳でもないのに、気まずいのはやるせない。影山くんや仁花ちゃん、あとの二人のマネージャーはいわずもがな、他の部員たちの中にも、私と秋倉さんの間に流れる微妙な空気を察知している者がいる。

「なに、さっそくそっちも修羅場?」
「…………う、縁下くん」

 四限終わりの昼休み。ここ最近、常に胃の辺りを気にしている仲間が私の元へやってきた。合宿の正式なスケジュールが決まったらしく、そのプリントを渡しに来てくれたのだ。そして、開口一番にこれである。やっぱりこの人は気づいているだろうなと思っていた。

「こっちも練習内容に文句言うがヤツ出てきてさ。てかまだ一週間だぞ?それで西谷田中コンビが……な」
「心中お察しいたします」
「影山も月島も基本一年ガン無視だし」
「まあ、あの二人は優しく教えてくれるタイプではないよね……」

 主将も主将で、さっそく悩んでいらっしゃる。縁下くんはたいそう大きなため息を吐いた。私は最近裏方ばかりだから、みんなの様子を実は良く知らない。活動日誌は練習を見てくれている仁花ちゃんに任せているから、ずっと預けっぱなしだ。秋倉さんは基本仁花ちゃんに着いてまわり、さっそくスコアを付けたりしているらしい。少し心配していたのだが、秋倉さんと仁花ちゃんはちゃんと上手くやれているようだ。

「みょうじもそろそろ見にこいよ。雰囲気ひっどいから」
「……うん、そうしたいのはやまやまだけどさ。こっちも合宿の準備でバタバタしてて」
「秋倉さんに遠慮してるわけじゃなく?」

 …………さすが、縁下主将だ。
 痛いところをついてくる。

「まあ、それは、なきにしも」
「みょうじ、お前、三年だろ」
「……一年とか三年とか、学年は関係ないって」
「いやあるだろ。少なくとも、秋倉さんよりみょうじの方が部員を知ってる。田中や西谷だってお前が言えばおさまることもあるだろうし、影山や月島も、何かしら考えてくれるかもしれないだろ」
「……それは、主将じゃだめなの?」
「俺はまだ半人前だから。お前の力も借りたいんだよ」

 正直、驚いた。縁下くんが私に弱味を見せてくることも、素直に私を頼ろうとしていることもだ。そこでハッと思い出す。私、潔子さんにも頼まれていたんだった。「ちゃんと、みんなのこと見てあげてね」って。縁下くんが言っていたひっどい雰囲気は、確かに大問題だ。新体制になった烏野がいきなりそんなことでは、家業の合間に来て下さっている烏養コーチにも申し訳が立たない。今日はちょうど、夕方から町内会チームの皆さんが来て下さるという予定もある。この機会に、新しい部員とマネージャーの紹介もしておきたい。

「……わかった。じゃあ今日は仁花ちゃんの代わりに私がそっち担当するよ」
「うん。頼むよ」

 縁下くんはホッとしたような笑みを浮かべた。私が見に行ったところで雰囲気自体は何も変わらないかもしれないが、少なくとも、田中西谷コンビを宥めることくらいはできるはずだ。私も必死だったとはいえ同じ三年なのに、主将の縁下くんばかりに部を任せきりであったことを改めて反省した。縁下くんだって本当は自分の練習もしたいだろうに、この様子では、きっとそれも難しかろう。主将の手が届きにくいところをきっちりサポートするのも、マネージャーの大切な役割だ。

「わたし全然知らなくて、ほんとごめんね」
「いや、俺も。正直全然そっちのこと気にしてやれてなかったし」
「…………頑張るしかないね」
「お互いにな」

 大地さんや潔子さんたちも、最初はこんな風に悩むことがあったのだろうか。縁下くんと私は、あの二人に憧れている仲間同士だ。いつかあんな風になれたらいいねと話をしたこともある。まだまだ半人前。だからこそ、力を合わせて一人前への道を繋いでいく。少しずつしか前に進めないけど、たぶん今はそれで良い。
 遠くに行くは、必ず邇きよりす。武田先生に教わった、とても大切な言葉だ。気持ちに焦りが生じたり、立ち止まってしまいそうな時にいつも思い出すことにしている。何事も一つずつ、確実にやっていくしかない。




「ところでさ」

 突然、縁下くんの顔つきが変わった。私はとっても嫌な予感がしている。

「秋倉さんとみょうじ、いったい何があったの?」
「…………いや、うーん」

 やっぱりそこを聞かれるか。ただ、私が秋倉さんと何かあったというよりは、影山くんと秋倉さんのあれこれが、私に飛び火しただけともいう。はっきりいって、私はなにも悪くない、と思う。
 しかし、これを言って良いものか。影山くんが秋倉さんの態度を注意したせいで、気の強い秋倉さんは私に敵意のようなものを抱いている。その根底にあるのは、秋倉さんが影山くんに特別な感情を抱いているという事実だ。言葉にすればするほど不毛で複雑な関係である。私が秋倉さんを何かしらフォローしたところで、彼女は到底納得しないだろう。むしろ余計に煽ってしまう可能性すらある。

「あの子、影山にしか興味がないだろ」
「…………さすがだね」
「主将の観察眼」
「お見それしました」

 さすが縁下主将。私などが説明せずともとっくにご理解されていた。私の言葉に縁下くんは何か確証を得たようで、またもや大きなため息を吐く。さて、少し困ったことになった。主将の縁下くんにそう思われているのは、秋倉さんにとってあまり良くないことかも知れない。

「注意しようか?俺が」
「え?!いや、でも、それは、ちょっと」
「そのせいで、みょうじはやりにくいんだろ」

 注意、といっても、縁下くんはなんと伝える気でいるのだろうか。秋倉さんのあの感じは、たとえ主将の言葉といえど、素直に意見をきいてくれるような気がしない。部活の先輩にも平気で物申してしまうくらいなのだから、一筋縄ではいくまい。

「みょうじと秋倉さんがいつまでもピリピリしてたら、影山だって気にするだろ。それに、ただでさえ今は人数も多いんだから、マネージャー同士ちゃんと協力してほしいし」
「……うん。そうだよね、ごめん。揉めてる場合じゃない」
「みょうじは何もしてないだろ」
「う……まあ、正直私にどうしろと?だけどさ」
「こういうのは当事者じゃなく周りが言ってやらなきゃ気づかないこともあんだよ」

 説教されつつ、庇われてもいる。縁下くんが私の今置かれている状況と立場をキチンと理解してくれていて良かったなと思う。
 味方でいてくれるはずの影山くんが、私の敵を作ってしまったというこの、なんとも悲劇的な状況。影山くんは、秋倉さんと何かあれば自分を頼れと最後まで念を押してきたけれど、それはかえって逆効果だ。それを理解してもらうには、そもそも秋倉さんが影山くんに特別な想いを抱いていることを影山くん御本人が知る必要があって……と、考えれば考えるほど、言っちゃ悪いがめんどくさい! 何かないか。この状況を穏便かつ俊敏に片付けることのできる、なにか。

「やっぱみょうじが影山と付き合えば、秋倉さんもある程度は諦めつくんじゃないか?」

 優しい笑顔なのに、こんなに圧が強いこと、あるんだ。
 
「……結局そこに落ちるんだ」
「どうせ最終的にはそうなるんだろ。私と影山くんは正式にお付き合いしてますって部に公表しちゃえよ。そんで面倒な奴全員黙らせろよ。できるよみょうじなら」

 縁下くんが、ストレスでだいぶおかしくなってきている。他人を納得させるために影山くんと付き合うなんて、とても考えられない。縁下くんには悪いが、そんな勢いで、ことを押し進めるつもりはない。影山くんへの気持ちを、他の人に邪魔されたくない。
 秋倉さんだって、たぶん私と同じだ。影山くんへの想いを邪魔されたくないという気持ちが、きっとあの子をそうさせている。側から見れば盲目すぎて怖いのだろうけど、私は彼女の気持ちも良くわかる。何より私がずっとそういう人間だったから。

「まあ、合宿までにはなんとかするよ」
「……ん?影山と付き合うってこと?」
「じゃなくて!秋倉さんのほう!」
「なーんだ」

 縁下くんはいつもこういう風に隙をうかがって急かしてくる。影山くんと私の行末を早く見届けたいらしい。そんなに心配しなくても、私はちゃんと前向きに考えているから大丈夫だ。秋倉さんの強気な態度に私はつい怯んでしまったけど、私にも私なりのプライドはある。影山くんのバレーをずっと見ていたいのは、私も同じだ。
 だからこそ、私と秋倉さんは本来ならきっと上手くやれていたはずだ。バレーが好き。影山くんのバレーはもっと好き。レベルは天と地の差があるが、お互いバレー経験者という共通項もある。今回は初動が悪かっただけだ。まずは彼女と面と向かって話さなければならない。でも、私の方から歩み寄らないと、彼女はきっと応えてくれない。

「きょう部活後にちゃんと秋倉さんと話す」
「……え大丈夫?泣かされない?」
「いや、泣かないし!」

 後輩に言い負けて泣かされる先輩なんてみっともなさすぎる。絶対泣くものか、と意気込む私。後に、予想もしていなかった現実を知るのである。

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