第22話
「五月の強化合宿、そして東京遠征ですが、マネージャーは全員同行してもらうことになりました。よって各日程、それぞれの役割分担を明確にしておくこと。そして新入生は、三年のみょうじさんと二年の谷地さんに習い、マネージャーとして全力で選手達を支えてあげて下さい」
武田先生が教卓の前に立ち、私たちマネージャーにそう告げた。そう、五月に入ればさっそくゴールデンウィーク合宿が待ち受けている。マネージャー業務も普段の部活とは異なる点が多いため、初っ端から教えなければならないことが山積みだった。私は三年生マネージャーとして、これから皆を率いていかねばならない。マネージャーだけではなく、そもそも部員が倍以上に増えたのだ。今までと同じ通りにやるだけでは到底追いつかないことは明白である。
部活以外のことに、今は頭を悩ませている場合ではない。ふぅ、とため息をついて、自分自身に喝を入れる。
「……じゃあ、今日はまず各備品の保管場所を覚えることから初めようかな。色々案内したいから、私についてきてくれる?」
ミーティングを終え、私は一年生三人を率いて廊下を歩いていた。今日のところは通常のマネージャー業務を仁花ちゃんにお願いして、私は後輩たちの指導についていた。三人とも中学の頃は何かしらの部活に属していたというが、マネージャー業務は未経験の子たちばかりだ。一から十までを懇切丁寧に教える必要がある。私も潔子さんにそうしてもらった。全く同じようにはいかないかもしれないが、できる限りの準備はしてきた。
春休み中に潔子さんに相談し、私はマネージャー向けのマニュアル本をコツコツ作っていた。仁花ちゃんのアドバイスを受けながら、誰もが見やすいレイアウトになるよう工夫をした。武田先生にも内容を確認して頂くと、ものすごく感動してくれた。マニュアルがあるのとないのでは、飲み込みのスピードが全然違う。あの人にはこう言われた、この人にはああ言われた、などという食い違いも起こらない。三人いるマネージャーひとりひとり、仕事を覚える早さも当然違うだろうから、最初から差が出てしまわないようにという気持ちも込めて作ってみたのだ。
「このマニュアルすげー見やすいっす。俺ノート取るのとか苦手なんで、こういうのすげえ助かります」
「ならよかった。いろいろ書き込めるスペースもあるから、使いやすいように使ってね」
「みょうじさん!ありがとうございます」
素直に喜んでくれてホッとした。私と一年生はまだ軽く挨拶をした程度で、互いのことをよく知らない。とはいえ私は先輩なのだから、こちらから積極的に歩み寄っていかねばなるまいと意識はしていた。
「緊張しなくていいからね。ゆっくり覚えていけばいいから」
かくいう私も、実はかなり緊張していたりする。もともとそこまでフレンドリーなタイプでもなければ、リーダーシップのある先輩、みたいな貫禄もない。そんな頼りない私の言葉でも、二人は素直に頷いてくれた。そして、もう一人。──秋倉さんは、やっぱりどこか品定めをするような顔つきで、私のことをじっと見つめていた。武田先生や仁花ちゃんがそばにいなくなって、それがより顕著に現れている。緊張の主な原因は、まさしくコレだった。
「みょうじ先輩。この後で良いので、ここ一年間の活動日誌とスコアシート、見せて頂いても良いですか?」
「…………え?」
淡々と放たれた言葉を理解するのに数秒ほどかかった。活動日誌、スコアシート。私はまだそんな話、ひとことだってしていない。渡したマニュアルにはさほど興味がなさそううで、彼女はパラパラとそれをめくり、すぐに閉じていた。私より十センチほど背の高い彼女から見下ろされると、言いようのない圧を感じる。なぜ秋倉さんがいきなりそんなことを言い出したのか、私にはまるでわからなかった。
「い、いいけど……その辺りはとりあえず私か仁花ちゃんがやる予定だよ?」
「そういうの得意なんで、私でもできると思います」
一瞬たりとも迷わず、ハッキリと言いきった。秋倉さんの自信たっぷりの笑顔に、私以外の二人も若干引き気味になっている。
「……わ、わかった。じゃあ、もしかしたらお願いするかも」
私は即、折れた。これだけ強気でこられたら、突っぱねようがない。しかも、彼女は別に悪いことを言っているわけではない。自信があって、さらにやる気があるのはむしろとても良いことだ。
ただ、早速わかってしまったことだが、私は秋倉さんのようなタイプの女の子に、かなりの苦手意識がある。仁花ちゃんはどうだろうか。……仁花ちゃんは、多分私より小心者だから、なんとなく予想がつく。
「そういうのって一年とか二年とか三年とか関係なく、得意な人がやれば良いんじゃないですか?」
彼女が言うことは、確かに正論だ。でも、それを入ってきた初日から言ってしまえる度胸が、私にはものすごく怖く感じた。ちく、ちく、とお腹に針を刺されたような痛みが広がっていく。私に対しての悪口とか、直接攻撃されているわけでもないのに、どうしてこんなに気持ちが沈むのだろう。
縁下くんだけじゃなく、私にもしばらく胃薬が必要そうだ。
「みょうじさん、なんかあったんすか」
びく、と夢から醒めたみたいに意識が冴えていく。すぐ横にいる影山くんが、怪訝な顔で私を見ていた。
「…………あ、ごめん、考えごと」
「肉まん、冷めます」
手元でほかほかと湯気を出す、まんまるな肉まんをぼんやりと見つめた。こんなに美味しそうなのに、何故か食指が動かない。
今日も今日とて、部活終わりの影山くんにトス練のお誘いを受けた。いつものようにお付き合いをした後、私はなぜか坂ノ下で影山くんに肉まんを奢られていた。そういえば何でこんな展開になったのかもよく覚えていない。影山くんに練習の後送ると言われて、歩いてる途中で腹が減ったと言われて、気づけばなんとなくここに来ていた。
「ボール、三回に一回は落っことすし」
「…………う、」
「肉まん、食わないならもらいますけど」
「い、いただきます」
ぱく、と一口齧り付く。坂ノ下の肉まんは分厚い皮がほの甘く、優しい味がする。一口食べたらだんだんと食欲が湧いてきて、結局あっという間に完食していた。そういえば、横隣だと相手の視線が気にならなくて良い。一緒に食堂でご飯を食べた時のことをふと思い出して、たった今、良い解決策を見出した。ちなみに影山くんは二個目に突入である。カレーまん、美味しそうだ。影山くんはあまりお喋りなタイプじゃないけれど、むしろその方が居心地が良い。こちらも頑張って喋る必要がなく、影山くんも無言を気にしない。
夕焼け空が暖かく見える。春の少し乾燥した空気が、優しく肌を撫でている。今日は一日中ピリピリしていたから、ようやくホッと出来る空間に肩の力が抜けた。肉まんも食べたし、少し元気も出てきた。そこでハッとあることに気づく。
「あの、影山くん。ありがとね」
「?」
「あ……私が元気ないから、肉まん奢ってくれたのかとおもって」
「ああ、ふぁい」
さすがに自惚れたか、と思いきや、どうやらそれであってはいるらしい。影山くんはもぐもぐと口を動かしながらコクリと頷いた。肉まんで元気が出ると思われていたのなら少しアレな気もしたが、本当に少し元気が出たので影山くんが正しい。坂ノ下の肉まんは、元気みなぎる美味しさなのだ。
「やっぱ元気ないですよね」
「…………まあ、少しだけ」
「……みょうじさん、もしかして、秋倉からなんか言われたりしましたか」
──ぐりん! と大きく首を振って、影山くんの方を凝視した。影山くんは私の勢いにウッと身構えた。まさか図星を突かれると思わず、まんまると目を見開いてしまう。影山くんの口から初めてその名前を聞いた。秋倉、って、呼び捨てで呼ぶんだ。
「いや……アイツかなり気強くて。女バレの先輩とかとも当時かなり揉めてたし」
「そ、そうだったの……?」
「まあ、そういう性格のヤツなんで、みょうじさんは何も気にしなくていいと思います」
影山くんがここまで鋭いのも驚きだったが、秋倉さんが北一の女バレで揉めていたというのは全然知らなくて、思わぬ衝撃を受けた。あの影山くんが「気が強い」って言うんだから、たぶん相当だ。
そして、影山くんはやっぱり秋倉さんのことをよく知っているらしい。本当に、先輩と後輩だったんだ。そんな当たり前のことが頭に浮かび、気づけば私は影山くんに問うていた。
「あ、あのさ、影山くん、秋倉さんと一緒に練習したりしてたって、ほ、ほんと……?」
何故だか死ぬほど吃ってしまった。語気が強くなり、必死な感じが出てしまう。いったい、それを聞いて何になる。聞いた私もわからない。
「…………まあ、何回か?」
影山くんは小難しい顔をしていた。聞いておきながらなにも言葉を返せずにいると、影山くんがジワジワと眉間に皺を寄せ、唇をムとひん曲げた。これは、影山くんがなにかに不満を感じているときの顔だ。
「……みょうじさん、間違っても俺にアイツと一緒に練習しろとか言わないで下さいよ」
「へっ?」
「俺は、みょうじさんに見て欲しいんで」
予想の斜め上をゆく発言に、私は一瞬惚けてしまった。言葉を理解するより早く、頬に熱が上っていく。
「べ、別にそんなつもりは」
「ならいいです」
フイ、と影山くんが私から目を逸らし、身体ごと正面に向き直った。耳がほんのりと赤い。言った本人も少し照れているようだった。
でも確かに、言われてみれば。練習は私とやるよりセッター経験者の秋倉さんとやるほうが、影山くんにとってはるかに効率が良いかもしれない。ただ私がその結論に行き着く前に、影山くん本人から釘を刺された。
「また秋倉になんか言われたら、全部俺に言ってください」
「それは……うん」
無理である。そんなことをしたら、間違いなく修羅場だ。秋倉さんは影山くんに特別な感情を抱いているのに、ただでさえ、秋倉さんに良く思われていない私が影山くんをけしかけるような事をしたら……なんて考えて、ものすごく悲しくなった。私、どうして最初から秋倉さんに敵視されているのだろう。ちゃんと話したこともないのに、自分の気がつかないところで、彼女に何かしてしまったのだろうか。
「つーか、みょうじさんの言う事は全部聞けって、アイツに言ってあったはずなんすけどね」
「…………ん?」
……あ。理由、わかったかもしれない。
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