第20話


 四限終わりのお昼休み。出会い頭「あ、」と声を上げたのはほぼ同時だった。今日はお弁当を持ってこなかったので食堂へ行くために階段を降りていたところ、階段を降りた先できょとんと目を丸めている影山くんに遭遇した。腕いっぱいにパンを抱えている。購買で買ったのだろうか。というかそれ全部ひとりで食べるつもりなのだろうか。
 影山くんは私を見るなりぺこ、と頭を下げてきたので、私もそれに倣って返した。

「みょうじさん」
「影山くん。今日はお弁当じゃないんだ」
「弁当はもう食ったんですけど、なんか腹減って」
「……ええ」

 まさかの二食目だった。影山くんは背が高いけど、大地さんや旭さんみたいながっちり系の体格ではない。腕も足も長くて、どちらかというとスラっとした感じだ。でも、やっぱり育ち盛りの男子高校生なんだなぁと感心してしまう。それだけ食べてその体型を維持できるって、本当に羨ましい。影山くんと常に競っている日向くんも小柄なのによく食べるし。きっと二人の胃袋には宇宙が広がっているんだろう。男の子ってすごいなあとしみじみ思った。

「みょうじさんはこれから昼ですか」
「あ、うん。今日お弁当なくて食堂いくの」
「……一人で?」
「そうだよ。一緒に食べてた子が部活の集まりあるとかで」

 そう。今日はぼっち飯なのである。二年の時に毎日一緒にお昼を食べていた百合とは三年でクラスが離れたので、今はまだ決まったメンバーというのがない。高校三年生というのは特別な年だ。悔いのないよう部活に打ち込む子、恋人と最後の高校生活を謳歌しようとする子、受験のためにお昼も一人で勉強している子、残された一年をどう過ごすかは人によって様々だ。
 コミュニティも人それぞれ。私は一人でご飯を食べるとかは全く気にならないタイプなので、どうせなら今日は普段利用しない食堂を使ってみようと意気込んでみた次第である。影山くんは私の言葉になにやら考え込むようなそぶりを見せた。もしかして「ぼっち飯可哀想」とか「友達と上手くいってないんじゃ」とか思われてるんだろうか。それはそれでショックな気もするが、わざわざ言い直すようなことでもないかと頷く。

「……えと、それじゃ」
「あの!」

 影山くんとの世間話も良いが、いよいよお腹が空いてきたので、声をかけてその場を後にしようとした。しかし影山くんが引き止めてきたので、私はまた立ち止まる。まさかフォローの言葉でも掛けられるんだろうか。

「俺も一緒にいっていいっすか」
「へっ?」

 予想もしていなかった言葉に、つい腑抜けた声が出てしまった。一緒にいってもいいですか、ということは、影山くんと二人で一緒にご飯を食べると言う事。そんな当たり前の事を頭の中で再確認した。
 食堂で影山くんと二人でご飯。イメージ図がふわふわと浮かび、即座にぱちんと弾けた。

「あ、あの」
「ダメですか」
「……ダメじゃない、けど」

 断る理由はない。一人ご飯も平気だが、そりゃあ話し相手がいた方がいいに決まっている。それがあの影山くんだとしても。
 ……本当に?

「わ、わたしさ」
「はい」
「その……たぶん緊張して、ご飯食べられないかも」

 気になる異性に不様な姿を見られたくないと言う心から、食事姿を見られたくないと言う女性は多くいる。私もそのタイプだ。だから今、影山くんと二人きりでご飯を食べる事を想像して気づいてしまった。
 影山くんに対しても、既にそういう感情が芽生えているということ。影山くんへの気持ちが明らかに変化してきているということ。改めて自覚させられて、途端に恥ずかしくなった。

「緊張?どういう意味ですか」

 わかってはいたけど、影山くんはそこまで女心に鋭いわけじゃない。本当に意味がわからないようだった。これをどう説明していいものか、私も言葉に詰まる。影山くんには理解できない感情かもしれないし、そもそもハッキリと伝えられるような内容じゃない。

「えと……いっぱい食べるなあとか、思われたりするの恥ずかしくて」
「?俺もいっぱい食いますけど」
「いや影山くんはいっぱい食べていいんだけど」
「?」

 それとなく意図を伝えようとしても、わけがわからないと首を傾げている影山くんに、これ以上なにをどう言ったらいいものか。むしろ何だか見当違いのことを言っている。影山くんはこういうところ天然なんだなと思う。階段下で二人してうんうん頭を悩ませている姿は側から見たら滑稽だろう。別に男女二人で食堂でご飯を食べるくらい他人からすればどうってことない事なんだろうけど、私と影山くんは何を隠そう、今はとってもフクザツな関係なのだ。

「つーか俺は、みょうじさんがいっぱい食べるとこみたいです」
「……どうして?」
「好きだから」

 突然何を言い出すのかと思えば、一瞬のうちに心を突き刺された。影山くんは至って真面目に、好意を容赦なく伝えてくるから、受け身をとる間も無く一気に攻め込まれてしまう。突然の告白に私が呆気に取られていれば、影山くんが私の手を引いた。

「ダメじゃないなら、連れて行きます」

 影山くんの、男の子らしい骨張った硬い手のひらが触れる。私からの返事を聞くこともなく食堂に向かって進んでいく影山くんの背中に、黙ってついていくしかなかった。強引なのに、嫌な気持ちは一つもない。頬がどんどん熱くなるのを感じて、とうとう自分の足元しか見れなくなる。

 つい最近まで彼氏がいたくせに、影山くんから向けられる真っ直ぐな好意に心が綻ぶ自分がいる。別れ際彼氏から受けた言葉に深く傷ついたこともあり、優しい言葉や思いやりに甘えたいと言う感情が芽生え出しているのも事実だ。ちょっと刺激されれば簡単に絡めとられてしまいそうな不安定な心。結局、影山くんに伝えた言葉と気持ちに矛盾が生じていることに恥ずかしくなって、心臓がぎゅうと痛くなった。告白を保留にするなんて。あの時の私、よくも偉そうなことが言えたものだ。


***



「ラブラブ見せつけてくれちゃってー!あんたたちやっとくっついたのかしら?」

 にやにやにやにや。効果音が聞こえてきそうなほどハッキリとしたにやにや顔の百合に、私はこれでもかというくらいの顰めっ面をくれてやった。

「……百合、見てたの」
「もーバッチリ!影山くんと仲良くおてて繋いで食堂に来てなまえがおうどん一本ずつ恥ずかしそうにすすってるところまでバッチリ見させてもらったわ」
「こわい!」

 羞恥心で死にそうだ。頭を抱え込んで机に伏せれば百合は愉快でたまらないといったようにゲラゲラと笑う。百合が食堂に居たのは全くの想定外だ。影山くんと別れて教室に戻る途中の廊下で百合に捕まり、今に至る。昼休みもあと5分ほどで終わるのに、わざわざ私の教室まで来てからかいにきたのだ。そもそも食堂に居たならその時声をかけて欲しかったが、それはそれでややこしいことになっていた気もするので何とも言えない。
 以前、食堂で影山くんと偶然会った時もそうだった。あの絡み方は酷かった。でも今日みたいにコッソリ見守られてるのもなんか腹が立つ。百合とセットで西谷くんまでいたらもうそれは取り返しがつかないことになりそうなのであえて考えない事にする。

「もう影山くんのこと好きじゃん」
「う、それは、」
「いーじゃん。もう認めなよ。あれはあんたが好きな人の前でうどんすする顔だった」
「もう!百合のバカ!」
「あら。あーらら。否定しないんだ?」

 意地悪な誘導をされなくったって、もう半分認めているようなものだ。はっきり好きとは言えない、などと本人には言っておきながら、影山くんと会うたびに、自分への好意を口にされるたびに、私の中の影山くんに対する感情が大きくなっている。影山くんがとめどなく与えてくれる愛情によって、傷ついていたはずの心がすっかり満たされ始めているのだ。

「保留したくせに、もう気が変わったとか自分がワガママすぎてありえない」
「あんた何言ってんの。影山くんはそれを今か今かと待ってんでしょうーが。むしろウェルカムすぎるワガママでしょーが」
「……そうなのかな」
「てか油断しちゃだめよ。相手はなんせあの一躍有名人の超モテモテ男子、影山くんなんだから」

 それはよくよく理解しているつもりだ。あの影山くんが私のことを一途に想ってくれていて、さらには私の我儘を受け止めて待っていてくれる。それがどれだけ幸福なことか。

「あの様子じゃ他校の女子からも人気でちゃったりするかもね〜」
「うん。まあ、そうなるだろうね」
「あらまあ余裕ですこと」
「そ、そういうわけじゃ……!」
「はいはい。わかってるって。でも好きなら好きって早く伝えてあげなよ?影山くん、めちゃくちゃ頑張ってなまえに伝えてくれてんじゃん」

 それこそ、誰かに言われなくてもわかっているつもりだ。このところ影山くんは、私に会うたび「好き」と言葉にして伝えてくれる。そんな事、過去の恋愛で一度も経験したことがない。今まで好きになった人たちとは違うことばかりで、正直戸惑う部分も多々ある。

「影山くんのことはさ、私のこと好きになってくれたからとか、彼氏と別れたからとかじゃなくて、自分からちゃんと好きになって告白したいというか……」
「……うん? でももう好きじゃん?」
「と、とにかく!もう少し慎重に考えたいの!」
「慎重にね〜。まあ確かになまえは今まで突っ走ってたもんね。とくに自分が好きになった人には。暴走しがち」
「……そう。だから」
「まあ影山くんなら大丈夫だと思うけどね。今までにないタイプだし。あんたが暴走してもそれ以上の愛で返してくれそうじゃない?」

 あたし影山くんのことあんま知らないけど、と百合はニッと呑気に笑った。私だってそうだ。影山くんはバレーが大好きで、勉強が苦手で、それでもバレー日誌は毎日書いてるくらい熱心で、人付き合いが少し苦手で不器用だけど礼儀正しく真面目なひと。そしてきっと誰よりも私のことを想って、それを行動でも言葉でも伝えてくれる優しいひと。

「うん。だからわたしも同じくらい、好きになりたいと思ってる」

 だからこそ、ゆっくり時間をかけたい。この気持ちを大切に育てたい。他の誰にも、邪魔されることなく。

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