第15話


「でもあの彼氏がすんなりと別れてくれるかねぇ」
「何かあったら俺がぶっ飛ばしてやるよ」
「そか。そうなったらあたしも参加する」
「やめてください」

 現在、四限終わりの昼休みである。私はまず「彼氏と別れようと思う」と、お弁当を広げながら何気なく百合に伝えた。なんだかんだ、彼と付き合う前も付き合ってからも一番近くで応援してくれたのが百合だったから、彼女には真っ先に伝えようと思っていたのだ。唐突な告白に百合は数秒固まったあと「波乱だ……!」とわざとらしく口元を押さえながら立ち上がった。一瞬にして私の前から姿を消し、そしてまた数秒後に息を切らして戻ってきた。西谷くん付きで。

 二人は相変わらず気が合うようだ。物騒なことを言いながら拳を突き合わせている。百合は悪ノリしているだけだからともかく、西谷くんは本当にやりかねない。

「だって折角なまえが決心したのにさあ〜」
「つーかそんなクソ野郎に律儀に話につけにいく必要あるか?メールも電話も拒否して終わりでいいだろ」
「それは流石に……人としてダメな気がするので」
「まあ変に拗れてもヤダしね〜。逆恨みされてストーカーとかになったらどうすんの」
「何かあったら俺がぶっ飛ばしてやるよ」
「じゃあノヤくんは万が一のためぶっ飛ばす担当という事で」
「ぶっ飛ばす担当」

 ふざけているのか、大真面目なのか。たぶん後者なのが困る。

「でも、言っちゃ悪いけど……嫉妬とかする割になまえに執着はなさそうなんだよね。あの彼氏」

 自分で言うと悲しい気もするが、確かに百合の言う通りだ。彼の方から会いたいと言われる事なんて、ほとんどなかったように思う。その割に、私の部活が休みの日は必ず彼に報告して、まず自分を誘うように言われていた。それでも毎回会ってくれるわけじゃなかったし、友達の多い彼は私よりそっちを優先することも多々あった。寂しい思いはしたけれど、私も私で部活を理由に連絡できないことも多かったので、お互い様だと納得していた。

「要は、自分にとって都合の良いなまえをそばに置いときたかったってことだろ」
「……そんな言い方しなくても」
「ノヤくんの言う通りだと思うよ。なまえは盲目すぎて気付けなかっただけ」
「……うう」
「独占欲だけ一丁前にありやがるし」
「彼女泣かせて笑ってる時点でお察しよ」
「つーか無理やりはありえねえ」
「ちょっと顔がいいからって調子乗って」
「全くクソ野郎だ」
「全くクソ野郎ね」

 二人とも、もはや言いたい放題である。でも、今までは言いたいことぜんぶ我慢して、見ていてくれていたんだろう。一応私の彼氏だし。彼氏のことを悪く言われて喜ぶ女はいない。今でこそ容赦ないけれど。元よりふたりは優しいし、情に厚いし、裏表がなく、ひとの悪口を言うことなんてほとんどない。
 少し前までは、たとえ彼氏の評判が良くなくても私自身が好きなら何も問題ないと思ってた。でも、今は全く違った受け止め方ができる。

「クソ野郎でも、好きになっちゃったんだもん……」
「おう!やっとクソ野郎と認めたな」
「大いなる成長だわ……泣きそう」

 一応、私は真面目な話をしにきたつもりだった。この二人が絡むといつもこんな感じだ。いい意味でも悪い意味でも、情緒ってものがない。

「でね、ここからは真面目に聞いて欲しいんだけど」
「いやずっと真面目だけども」
「同じく」
「……影山くんの、ことなんだけど」

 ふざけて口を挟んでこようとする二人を強引に無視して、やっとその話題に触れた。深刻そうに影山くんの名前を出せばさすがに二人は真剣に、私の話を聞く姿勢になってくれた。


「わたし……影山くんに害が及ばないか、それだけが心配で」


 相談を持ちかけた一番の理由だ。ただ彼に別れ話をするだけなら、気持ちさえ固まれば私一人でどうにだってなる。でも、彼の家に呼ばれたあの日の出来事があってから、心がざわついて仕方がないのだ。
 私が過剰になっているだけかもしれない。実際、彼から影山くんの名前は出てこなかったし、あの後とくに連絡があったわけでもない。あれは私を呼び出すためのただの口実で、本当は告白を受けたことなんてどうでも良いのかも知れない。
 でも、あの時植え付けられた恐怖が、一向に消えてくれないのだ。

「あのときみたいになったら、怖いの」

 たとえ1パーセント未満の可能性だとしても、無視はできなかった。仮に彼との別れ話が拗れて、それが飛び火してしまうような最悪の事態になったとしたら。私は自分の選択を一生後悔することになるだろう。

 当時のことを思い出したのか、西谷くんは心底胸糞悪いという顔をしていた。相当嫌な思いをしただろうに、その後もあの人と付き合ってた私のことをよく見捨てずにいてくれたなと思う。
 それなのに私は、ずっと味方でいてくれた人のことよりも、自分の気持ちを最優先してきた。これはそのツケなんだろう。
 いまさら頼ってくるなと言われても仕方がない。でも、西谷くんはきっと──。


「心配いらねーよ、影山なら」


 陰鬱な空気を押し退ける、明るい声色だった。西谷くんが腕を組み、仁王立ちで私を見ている。なにやら、誇らしげな表情で。

「殴られるくらいの覚悟がなきゃ、そもそも彼氏いる子に告白なんてしねえ」
「……それは、西谷くんだからでは」
「いーや実際、影山にもそう言ってあるからな」
「え、」
「殴られてでも絶対奪ってこいよって」
「うわー男気」

 ぱちぱちと横でやる気のない拍手を送る百合。今の今まで真剣に話を聞いていたくせに、ツッコむ反応の速さはさすがだ。しかし、何やら雲行きが怪しくなってきたのは気のせいではあるまい。

「まーとにかく、何も心配いらねえよ。お前はお前の決着つけることだけ考えてりゃ良い。怖いなら俺が後ろについててやるし」
「ぶっとばす担当だしね」
「やめてください」

 シリアスな空気が台無しだ。私が泣くほど悩んでいたことも、西谷くんの男気溢れる一言で解決した雰囲気になっている。影山くんはなんだかんだで西谷くんのことを慕っているところがあるから、西谷くんの持論もそのまま受け入れている可能性が高い。……いや、それはむしろ問題な気がする。影山くんは嘘がつけないし、駆け引きとか出来るようなタイプじゃない。仮に彼氏と出会ってしまったら、いったいどんなことを言うか。

「……やっぱ会わせないようにしなきゃ」
「影山くんってそんな血の気多いタイプなの?」
「いや、あれは天然で相手をあおってしまうタイプ……」
「じゃあ修羅場だわ」

 基本的に空気が読めないというか、読まないというか。思ったことを真顔ではっきりと言ってしまうのが影山くんの良いところでもあり、悪いところだ。百合の言うように、修羅場になる確率はかなり高い。しかも西谷くんの言葉に煽られていたら尚更まずいことになる。

「まあ、確かに喧嘩はまずいよな。試合前だし。教頭が許さねえよな」
「当たり前だよ!それに怪我が一番……あーもうどうしよう!西谷くんのバカ!」
「ああ!?なんだとなまえ!!」
「あーもう落ち着きなって。てか三年はもう自由登校なんだし、大丈夫なんじゃない?顔合わせる可能性があるっていったら卒業式くらいでしょうよ」

 百合が珍しく冷静なことを言う。まあ、彼氏も流石に部活にまでは乗り込んでこないだろうし、タイミングさえ見誤らなければ、そうなのかもしれない。

「影山の方はまー俺がなんとかしとくって。そりゃ穏便に、が一番だしな」
「……西谷くんに任せて平気かな」
「大船に乗ったつもりでいろよ!ま、俺は最後に一発ぐらいお見舞いしてやりたい気もするがな」
「だから喧嘩はダメなんだってば!」

 半分本気っぽいから余計に心配である。でも、西谷くんを巻きこんでいるのは結局私なのだから、そこまで強く言える立場でもない。まあ、根本的な解決には至っていないが、二人に話して少し気が楽になったのは確かだ。しかもあれだけ彼氏のことをボロクソ言われたら、別れる決心もより一層強くならざるを得ない。
 ──それに。

「とにかく、俺は何があってもなまえの味方だからよ。何だって頼ってくれていーんだぜ」

 西谷くんは、出会った時からずっとこうだ。
 私がバレー部に入るか悩んでいた時も、溌剌とした笑顔とはっきりとした物言いで、私のことを正しく導いてくれた。彼氏に酷いことをされて、その友人たちにからかわれた時も、身を挺して守ってくれた。そのことで喧嘩をした時だって、私のためを思って、怒ってくれたのだ。
 百合が言った通り、私は盲目すぎて周りが見えていなかった。私を大切に思ってくれているひとが、いつだって味方でいてくれる。間違いを間違いと指摘して、正面からぶつかってくれる。そんな人が、この先何人いるだろうか。ほんの一度でも、西谷くんやみんなに、私は何かを返せたことがあっただろうか。

「あーあ。ノヤくん、なまえ泣かせた〜」
「……はっ、な、なまえ、なに泣いてんだよ!」

 すごく嬉しかった。同時に、とても辛かった。みんなの優しさを、西谷くんの真っ直ぐな言葉を、蔑ろにしてきた今までの自分が、許せなかった。過去を振り返ってもどうしようもないことはわかっている。それでも、前に進むためにはこの辛さを噛み締めなきゃいけない。忘れちゃいけない。もう二度と同じ過ちを犯さないように。彼氏に正々堂々と別れを告げることが、まずその第一歩だ。

「ありがとう、西谷くん。私、もう泣かない」

 味方だと、正面切って言ってくれたのだ。その言葉はなによりも心の支えになった。さすが、私たちの守護神。

「……いや、泣きながら言われてもな」

 西谷くんは珍しく困ったような顔をして、笑った。

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