第10話


「なんかますます頼もしくなったよな、アイツら」

 横を歩く大地さんの言葉に、はい、と笑顔で頷く。結局あのあと三年生は部活の終わる時間まで居てくれて、私は最寄りのバス停まで同じ方向の大地さんに帰り道を送ってもらうことになった。まだ夕方とはいえ外はすっかり真っ暗で、雪もちらついており、かなり寒い。通学路の坂を下ったあとの道は街灯の乏しい所も多く、ひとりで歩くのは少し心細い。だから大抵マネージャーは部員の誰かと一緒に帰ることになっている。大地さんが居なくなってからは二年生の皆が一緒に帰ってくれるようになったけど、皆と私は帰る方向が微妙に違うのでいつも申し訳ない気持ちになる。
 ……ちなみに、影山くんは全くの逆方向だが、まだ明るい時間帯であったとしても練習に付き合った日は必ずバス停まで送ってくれる。今日も実をいうと影山くんからトス練のお誘いがあったのだが、久しぶりに会う大地さんの方に気持ちが揺らいだので、お断り申し上げた。その時の影山くんのあきらかにムッとした表情に、大地さんは苦笑を浮かべていた。

「影山のああいうとこは、相変わらずだけど」
「ああいうところって?」
「すぐ顔に出るとこ。嘘つけないよな、アイツも」

 入部する前からそうだったな、と大地さんが笑う。ああ確か、日向くんと影山くんには入部届を一度突き返したんだっけ。私はちょうどその頃部活の勧誘に回っていたので詳しい経緯は知らないが、影山くんがその時の発言をいまだに日向くんにイジられたりしているのを見たことがある。それも、今の影山くんからしたら考えられないような言葉だ。大地さんも当時のことを思い出したのか「あいつら、ほんと立派になって…!」と噛み締めている。本当に色々なことがあった。こうやって大地さんと話しながら帰るのも恐らく今日が最後になるんだろうなと思うと、ちょっと、いや、かなり寂しい気持ちになってくる。うっかり涙が滲んでしまったのを隠そうと、下を向いて歩いていた。

「……あとみょうじさ、もしや西谷となんかあった?」
「…………え!そっちですか?」
「そっちって、……まあ、まずはそっちの方が気になったから」

 言われる前に妙な間があったから、てっきりまた影山くんの話をされるのかと思った。しかし、まさかまさかの西谷くんの名前が出た。
 確かに、西谷くんとはあの持久走での一件があってからほんの少しだけギクシャクしていた。別に全く話さない、とかではないが、その回数が明らかに減っている。まさかそれに気づかれるとは、さすが大地さん恐るべしだ。

「大地さん、ほんと鋭いですね……」
「なんかお前たちの様子がさー、いつもと違うなと思って。とくにみょうじが」
「え、わ、わたしですか」
「そうそう。なんかずっとモヤモヤ抱えてる感じ。いつもは西谷みたいに元気いっぱいなのに、今日は静かだし」
「に、西谷くんみたいに……?!」
「あ、一応褒めてるんだけど」

 マジか、と思った。大地さんから見たわたしって、西谷くんと同じレベルなんだ。一年生の時は大体いつも一緒にいたからか、何となくセットみたいな扱いを受けることはあったけれども。正直、マジか、という感想しかない。これから西谷くんのことを単細胞元気馬鹿とか思ったりするの、やめておこう。

「……ていうかわたし、もしかして部の雰囲気乱したりしてました? どうしよう、全然気づかなかった……」
「いや、全然!そこまでじゃないよ。ただ俺がそんな感じしてただけ……いや、たぶん菅原もだな」
「スガさんも、」
「ほら、お前ら一時期ほんとに喋らなかったときあったろ? それとちょっと似てるなって思っただけだから」

 大地さんが言っているのは、まさに私の彼氏と西谷くんが揉めた後のことだろう。状況的にはその通りで、ズーンと気分が重くなる。影山くんのこともあるのに西谷くんともそんな感じで、しかも、もうすぐ大会も控えてるというのに。全く私は何をやっているんだろうか。選手のメンタルケアが第一なのに、マネージャーがこんな弱々メンタルで良いわけがない。これは、一刻も早く解決しなきゃいけないことだ。幸い、とは言い難いが、影山西谷問題は一つのことに繋がっている。

「……あの彼氏のことで、実は少し揉めて」
「……ああ。まあ、そんなことだろうと思ったけど。もしかしてまた西谷が何か言ってきた?」
「いや、西谷くんはたぶん心配してくれただけで、別にそんな悪いことは」
「でも、みょうじがそれで落ち込んでたら意味ないだろ。言い方的なやつがさ。ま、西谷もハッキリした奴だから悪気があるわけじゃないんだろうけど」
「それは、すごく、わかってるんですけど」
「でも、気まずいんだな。……まあ、みょうじもわかりやすいよ。悩んでるとすーぐ暗い顔する」
「すみません、わたし」
「別に、それは悪いことじゃない」

 大地さんも潔子さんも、やっぱり大人だ。私とひとつしか違わないのに、この落ち着きっぷりと包容力は何なんだろう。大地さんの優しさに心のもやもやをどんどん溶かされていく感じがして、さっき堪えた涙がまた溢れそうになった。
 大地さんはそんな私の様子に気づいたのか、ぽんぽんと頭を軽く撫でてくれた。でも、正直それは逆効果だ。そういうことをされると余計に泣いてしまうから。

「……いま、しぶんが、ものすごーく、情けない、です」
「あー泣かない泣かない。みょうじは情けなくなんてないよ。マネの仕事もしっかりやってくれてるし、部員たちのこともよく見てる。いつも一生懸命だ」
「っでも、西谷くんといつもみたいに喋れないし、このまえ影山くんのことも、むし、したりしてっ」
「西谷はあーいうやつだし、そのうち痺れ切らしてみょうじにうるさく絡んでくるよ。前もそうだったろ? ……影山のこともさ、もし、それがいけないことだとわかってるなら、みょうじはもう二度とそんなことしないはずだし」
「っ、……はい、しないです」
「ん。じゃあ大丈夫!明日からはちゃんと元通りになるって」

 根拠なんて示されなくても、大地さんに大丈夫だと背を押されると、本当にそんな気がしてくるから不思議だ。
 寒さでかじかんだ手を温めるように、両手で口を覆ってはぁ、と深く息を吐く。やっぱり卒業シーズンだからかな。涙腺がぐずぐずで、優しくされるとすぐに涙が溢れてくる。

「……その、大地さんは、わたしと影山くんのこと」
「ああ、聞いた。というか、知ってたよ。影山がみょうじのことを想ってるってことなら」
「やっぱり、そうなんですか……。実はさっき潔子さんにも相談させてもらって、影山くんにしたらって言われて、それで」
「うん。まあ、俺も同じ意見……と言いたいところだけど。それをみょうじに強要したいわけじゃないよ。お前が一途なのはみんな知ってるし、俺はあの彼氏と別れたら良いって思ってるわけじゃない」

 影山くんとのこと、ひとにさんざん茶化すなと吠えておきながら、結局自分ひとりじゃどうしようもなくなって、結果的に周りの人に助けられてしまっている。恋愛ってやっぱり難しい。本人たちだけの問題と思っていても、時にその周りのひとも大きく巻き込んでしまうことがある。今回が良い例だ。みんなが影山くんの背を押して、みんなが私の手を引く。そうなって欲しい、そうなるべきだと、みんなが本気で伝えてくる。

「まあ……俺とかはさ、やっぱりみょうじがずっと笑顔でいられる相手と一緒になってほしいなと思うんだよ。うちの部員はお前が元気だと励まされるヤツばっかりだし」
「……っ、そんな、ことは」
「っはは。照れるなって! 多分、皆同じこというから」

 ここにいる大地さんも、今まで話した誰の言葉にも、全く裏がない。真っ直ぐで純粋な気持ち。それを、どうしてそんな風に伝えられるんだろう。考えて、悩んで、嘘をついて、向き合うことを恐れて逃げてばかりいる私とは大違いだ。こんな人たちの中にいて、どうして皆のくれる言葉を無視できようか。

「なんか改めてさ、俺はみょうじがマネージャーやってくれて良かったと思うよ。俺たちが自分を誇らしく思えるくらいに、お前はバレーやってる俺たちを一途に応援してくれてたから」
「……やだやだ、なんですか。大地さんほんとやめてください、わたし泣きます」
「っはは!もう泣いてるだろ」
「っうう〜〜〜!大地ざん"卒業しないで下さい〜!」
「可愛い後輩のお願いでも、それは無理だな」

 耐えきれず大地さんの腕に縋りついた。まさか、大地さんにそんなことを言ってもらえる日がくるとは思わなかった。もうすぐ卒業してしまう三年生たちのことを思うと、ますます涙腺が緩む。やっぱり話してよかった。潔子さんも、大地さんも。ちゃんと自分のことを見てくれる人がいるというのは、それだけでひどく安心する。

 やっぱり、私はバレー部のみんなが大好きだ。バレーを通して繋がった糸は、時を重ねるにつれ強固な絆になってゆく。こんな私を好きでいてくれる人たちの言葉を、胸に大切に仕舞い込む。私は、皆が好きでいてくれた私のままでいたい。一番笑顔になれる瞬間。それはもう、とっくにわかっている。

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