6 : 海には還らないたましいだから


「とんだ狸だよ、お前のパパ」
 むす、と歪む顔に既視感を覚えた。
 ソファで寛いでいた私は、横にどっかりと腰を下ろして座る蘭の言葉に耳を傾ける。

「梵天に取引持ちかけてきやがった」

 昨日の今日で随分話が進んだな、と思った。
 私はあの後、結局三途さんの車で蘭の自宅に下ろされて、そのまま泥のように蘭のベッドで眠った。蘭は私を置いて三途さんとどこかに行ってしまったし、話をしたくてもできる状況ではなかった。ならば眠るしかなかったというだけだ。
 起きて、冷蔵庫にあったアイスコーヒーを飲んで、勝手にシャワーを浴びて、蘭の衣服を拝借して、それからしばらく物思いに耽っていた。ソファでぼーっとしている時間は一時間にも二時間にも及ぶ。元々私は馬鹿なので、人と人とが行う駆け引きとか、そういう類のものはよくわからない。あの日、蘭は父とどういうやりとりをして、父への復讐心を育てるに至ったのか。昨日聞いた言葉を思い返しても、やはり理解できない。やっぱり蘭と話をして、私にもわかるように伝えてもらわなきゃダメだな、なんて呑気なことを考えている矢先、蘭がドタドタと足音を荒立てて家に戻ってきた。
 この人、自分の家でも土足で良いんだ。と、ふとどうでも良いことを思った。

「お前のパパ、どうやら相当な範囲に顔が効くらしい。お前の身の保証と金回りの保証を約束する代わりに、お前の夫が横取りした売買ルート全部横流ししろって向こうから持ちかけてきやがった」
「…………うん?」
「だーかーらぁ。なんか梵天と手組みたいって言ってきたんだよ!」
「…………へぇ?」
「お前のパパヤクザより怖えよ。税関にも口聞き出来るから密輸し放題だし資金洗浄も下請け会社でやりたい放題してやがるし、いま海外で秘密裏に開発してる薬の治験のための若ぇ人員確保してーから未成年の売春斡旋してる幹部に話つけろつって金渡してくるし……つーか昨日のサツの件もさ、パパが口聞きして何もかも揉み消したらしい」

 一気にいっぱい喋られても、そうなんだ。としか言いようがなかった。ウンウンと頭を抱えているところを見ると、どうやら予想外の出来事が起きているらしいことはわかる。蘭だって、元は多分私と似たり寄ったりの頭しかない。中卒だし。まあ私は一応大学を出ているので、学力的には蘭よりもちょびっとだけ上のはずだが、何せ裏社会の事情については現役ヤクザの蘭の方がよっぽど詳しい。

「なまえを人質に取るつもりなら、それ相応の覚悟しろって笑ってた。つーか昔はわかんなかったけど、あの人ここまで見越してあの時俺のこと見逃したってんならマジで末恐ろしいんだけど……」

 人質と聞いて、ああ私って今そういう立ち位置にいるのか、とやっとそこまで理解出来た。とりあえず殺されなくて済みそうだ。お金についても、多分、心配ないと思う。
 そこでふと、一つの疑問が湧き上がった。

「じゃあ私、蘭と一緒にいてもいいってこと?」

 きょと、と首を傾げると、蘭がこちらを向いてぱちぱちと目を丸くした。

「…………あ、そういうことになる?」
「だって私と蘭が一緒にいること知ってるんだよね」
「……うん」
「もしかしてお父さんは私の夫の屍を踏み散らかして梵天と取引したいってことなのかな」
「あ、直訳すると多分そんな感じかも」
「……復讐は?」
「……パパの大事ななまえと金を俺に渡す代わりに会社の名前を傷つけるようなことはやめてやっても良いよって脅すつもりだった」
「なるほど」
「んでパパはあっさりとなまえを俺にくれて、しかも会社の利益のために梵天と手を組むとまで言ってきた」
「利害の一致だ」
「つまりそういうことだ」

 側から見ればものすごくIQの低い会話をしているのかもしれないが、私と蘭のレベルではこれが限界だ。組織も父も裏切った夫は、結局父に利用される形で、おそらく破滅の道を辿る。父は自身の名誉を傷つけることもなく、旨味だけを吸い上げようとする。頭の良い人がやることはよくわからない。でも、私と蘭にとっては悪くない結果だと、互いに理解し合った。

「なんかあれ……「娘さんを俺にください!」みたいなことになってる?」
「それってまさかプロポーズ?」
「私じゃないよ。蘭がしたことだよ」
「あー? でもさ、そんなの俺にふさわしくねえよ」

 蘭もとうとう考え飽きたみたいで、脱力してソファに背を投げ、ゆるりと長い足を組んだ。相変わらず品の良いスーツを着て、ぴかぴかに磨かれた革靴を履いている。蘭が着ている服は常に一張羅なのだろうか。クローゼットの中にも高そうな服がいっぱいあった。今私が来てる蘭のTシャツも、確かうん十万は下らない。
 何年振りかの再会を果たした男女とは思えないほど緩んだ空気感で、互いに身を寄せ合う。蘭はパキッとしたスーツで、私はくたくたの部屋着。住んでいる世界は違うのに、話す速度は同じで、見ている景色も同じもの。互いに見つめ合って、数秒間。どちらともなく触れるだけのキスをする。

「……あ、そうだ」

 蘭がふっ、と頬を緩める。
 思いついたように私の首筋に指をかけて、緩い枷をかけられる。

「次、俺から逃げたら殺すから」

 世界一、物騒なプロポーズだと思った。
   INDEX   



- ナノ -