いくら願えど果てぬ夢


「あいつほんま、面倒臭い女やな」

 事も無げに言うその面を見ても、別に腹立たしいとは思わなかった。

 侑が再び俺のところに姿を見せたのは、なまえと話して八日後のことだった。いつものように閉店後にふらっと現れて、人の顔色をうかがう様子もなく勝手にペラペラと話出す。侑はいつもと変わらない調子で、ああだこうだと自分の気を晒す。
 それが良いとも悪いとも言えない。安堵するわけでも、腹が立つわけでもなく。ただ、俺が切り出さない限りコイツの口からその話題は出そうにもないと悟ったところで、とうとう我慢の限界を迎えた。俺は侑よりもよっぽど短気な性格なのだ。

「お前、俺にまず言うことあるやろ」
「あ? ああ……あの話か」

 嫌な間はすぐに途絶えた。そもそもコイツ相手に遠慮なんかしてたまるかという話だ。侑も侑で俺の言いたいことにすぐ気がついたのか、うるさいほどよく回る口をあっさりと閉じる。手元で冷めた湯呑みをぐい、と飲み干してから、逞しく育った腕を組み、不機嫌そうに眉を寄せる。

「……別に。タイミングの問題や。俺にとっても、なまえにとっても良くない。チャンスがこれっぽっちしかないなんて、思いたくないしな」

 こいつが何を思って、何を考えて、というところはある程度予想が出来た。伊達に何十年も双子の兄弟をやっているわけじゃない。ただ、今回の件については完全に俺の理解が及ばない範囲の出来事で。ただ単純に、こいつの本心を確かめたかった。本心を曝け出せる相手というのは、なまえにとって俺がそうであるように、コイツにとっても俺だけだ。

 なまえがあの日俺に話したこと。侑が変わっていくのが怖いと、それで不安になる気持ちもわからなくはない。どんなことがあれ、侑がなまえを手放す気などないとわかっている俺が話すのと、その気持ちをわからないなまえが侑と話すのではわけが違う。
 俺だって、なまえに完全に信用されているわけじゃない。俺が侑の本心をなまえに伝えたところで、それはただのまやかしに過ぎない。俺と侑と違って、なまえは血の繋がりなどないただの他人だ。心底依存している割に、心のどこかで壁を感じている。二人と離れたくない、嫌われたくない。その想いが、なまえというどうしようもない女をつくった。そして、その要因となってしまったのは。

「さんざんあいつのこと縛ってきたんや。俺もお前も。最後まで面倒見たらなあかんやろ」

 本心を確かめる。
 なんて、そんな必要はない。やっぱりコイツは昔と何も変わらない。欲しいもののためならなんでもやる。決して諦めない。恐ろしく歪な愛情を向けておきながら、本人にはまるでその自覚がない。だから相手も、気づかないまま。

「なまえにはまだお前が必要みたいやし」
「……話したんか、なまえと」
「あいつのオカンから電話かかってきてな。仕事も行けんくらい弱ってるって聞いて引き取ってきた」

 引き取る、か。まるでペットか何かだと思っていそうな口振りだ。侑は至極満足そうに口角を上げている。やっとなまえが自分の手元に帰ってきて、傷ついていた自尊心も元通り、というわけだ。とことん調子の良い奴である。
 ただ「弱っている」と聞いてちくちくと胸が痛んだ。なまえにトドメを刺したのは、間違いなくこの俺だから。

「放すわけないのに。なまえもアホやな」

 じ、と見据える瞳。真っ直ぐでいて、嫌なソレを孕んでいる。やはり俺たちは双子だと、こういう時に思い知らされる。

「でも、アイツは俺のやで」

 すとん、と落ちてきた矢。別になんでもかんでも話すわけじゃないのに、隠しておきたいことに限ってすぐにバレる。ことなまえに関してコイツの嗅覚は並外れていた。それを忘れていたわけじゃない。ただ、単に俺はコイツの視界に入っていないものと勝手に思い込んでいた。
 じゃあ、つまり。俺の熱情に気づいていたなら、こいつもこいつで俺のことをいいように利用していたということになる。傷ついたなまえを癒す存在がそばにいる。それが俺というだけで、侑にとっては安堵になる。俺に対するウザいほどの信頼と、なまえの侑に対する絶対的な愛。なまえが侑を裏切らない限り、俺がなまえを奪うこともないと。そのことに気づかされると、冷めていたはずの熱が一気に燃え上がり、気がつけば言葉より先に手が出ていた。

「そんなん、知っとるわ」

 カウンターから身を乗り出して、ぎり、と侑の胸倉を掴む。その手は震えて情けない。
 もう、コイツのことを安易に殴れもしない。怪我でもさせたらどうなるか。俺たちは昔と違う。コイツも俺も随分狡くなって、大人になった。

 ああだめだ。このままでは、一番見せたくない顔をコイツに見られてしまう。自分があまりに情けなくて、自制心を取り戻す余裕すらない。

「女のシュミ被るとか、ほんま最悪やな」
「……お前、ほんま、しばく」
「でも、そうやなかったら、俺となまえはとっくに終わっとるわ」

 侑が妙に冷静で、それが余計に癪に障る。俺がなまえを愛しているから、なまえと侑が上手くいく、なんて。そんな拗れた関係あってたまるか。じわじわと沸き立つ後悔に、頭を抱えたくなる。こんなことなら、なまえのことなんて放っておけばよかった。なまえが侑に傷つけられたって、自業自得だと嘲笑えばよかった。俺に縋ってくるなまえが心底愛おしいだなんて、そんな馬鹿げた感情。

「なまえは治に心底依存しとる。せやからなんも壊されへん。俺だけじゃあかんねん」

 最悪だ。二人ともが、二人の世界に俺を引き込もうとする。わざわざ俺がなまえを突き放した意味も、何もなくそうとして。一度壊れたものを元に戻そうと、あの侑がなまえを独占したいという気持ちさえ偽って、必死になっている。

「……もう、二人で勝手にどこへでも行けや」
「無理や。俺ら運命共同体やし。DNA同じやし」
「キモいねん。お前それ以上喋んな」
「お前かて、結局手放せへんのやろ」

 シケた面しよって。そら飯の味も落ちるわ。
 侑は言いながら、皿の残りのものを全てその口に頬張った。腹が立って仕方がないのは、それが図星をついた発言だからだろう。

 終わりになんて、したくない。この感情が報われることはなくても、ずっと君のそばにいたい。こんなのまるで、どこにでもあるチープな恋愛ソングだ。
 でも、あの日俺は言った。自分で壊したものは、絶対元には戻せない。俺が変わってしまえばなまえがもう俺を頼ることはなくなるだろうと。そんな思いで、無理やり奪った。感情を確かめることも、余韻に浸ることもなく。俺はあの日から逃げ続けている。

「俺にないもんは、お前しか与えられへん」

 黙れ。どいつもこいつも勝手しくさって。あの自信満々なお前はどこいってん。と、言いたくなるような面をする。片割れ。双子。ああ双子ってクソ面倒くさい。どこいっても比べられて。親から同じことさせられて。ずっと一緒に育ってきたくせに、どこかで差がつく。じゃあせめて好きな女くらい勝手に選ばせてくれよと、そこは強制されていないにも関わらず、なぜか同じひとを好きになったりする。

「ふざけんな」

 結局すべてを見抜かれる。お前も俺もあいつも。互いに依存し合って気色悪い。誰かがいなくなればそれで世界は終わるのに、結局誰も変われずにいる。
 俺が自分の嘘を暴いたところで、侑は結局、自分の気持ちに嘘を吐き続ける。なまえの幸せを願うため、俺がなまえを愛することを許容する。本当は誰にも見せたくないくせに、ずっと自分の中に閉じ込めておきたいくせに。やっぱり、コイツのこんな愛し方には、敵わない。真の愛とは赦しだと、いつか誰かが言っていた。

「なまえがそう望むなら、俺はこの先何も変わらへん。お前のことも利用させてもらう」

 言いながら、侑は憎たらしい笑みを浮かべていた。己の本性を包み隠さず、曝け出すことの出来るコイツが。それを愛する人には気付かせない、その悪魔みたいな優しさが。心底狡くて恐ろしい。

「今から俺んち来てなまえに会え。そしたらキスしたことはチャラにしたる」
「……まじでお前ごとアイツどついたろか」
「俺ごとてなんやねん。アイツ隠し事できひんねん。お前も知っとるやろ」

 ああ、そんなの勿論知っている。


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