うつくしい怪物たち


「浮気したってほんまなんか」

 一気に歪んでいく顔。
 俺とコイツは今、瓜二つな顔をしていることだろう。ただでさえ双子だ。表情の作り方一つとってもほとんど同じ。ムカつくほど良く似ている。

 むしゃむしゃと豪快に飯をかきこみリスみたいに頬を膨らませて、それはそれはうまそうに飲み込んでいく。目の前に座る片割れは、先日なまえに出したのと全く同じものを食べていた。ただ、コイツはおにぎりを箸で上品に食うたりはせんし、カウンターに肘はつくし、食ってる最中もぺちゃくちゃとうるさく喋る。何もかもがなまえとは大違いだ。

 こんなに違うふたりが、どうして惹かれ合ったのだろう。いくら考えても納得のいく答えは出てこない。否、納得したくないだけなのかもしれない。


 夜の十一時過ぎ。閉店後。
 なまえのことがあってから、俺が呼びつけるまでもなくコイツは店にやって来た。当然のごとくアポなしだ。看板を立ててもお構いなしに店の戸を開けてくる。
 コイツが来たってことは、なまえとはまだ仲直り出来ていないのだろう。二人が喧嘩した時は大概どちらかが店に来る。俺が互いのことを知っている分、愚痴を言いやすいのだろう。そんなクソ迷惑な事にもすっかり慣れてしまった。

「アイツやっぱりここ来たんか」
「おん。目ぇ真っ赤に腫らして来たで」

 ウザ。
 侑は表情ひとつ変えずに言って、熱いお茶を一気に飲み干した。なまえの話を聞いた限り、今回の喧嘩の原因は百パーセント侑の方にある。その癖、自分の彼女のことをそんな一言で片付けてしまえるコイツを憎たらしく思う反面、心底羨ましいと思ってしまう自分がいた。
 彼氏のくせにちっとも優しくない。言葉なんて選んでやらない。強い言葉で最後まで押し切って負かして、泣くまで追い詰めて。そうやって何度も虐められてきたくせに、なまえはどうしても、この侑という人格ポンコツ男を求めてやまないのだ。
 なまえの欲しいものはコイツにしか与えられない。片割れの自分ではなく、侑の全てだ。コイツが「悪かった」と口を尖らせて謝って抱きしめてやるだけで、なまえの心の傷は癒されていく。俺が煩悩まみれの頭で考えて言う慰めの言葉なんてのは、クソの役にも立ちやしない。

「まーたサムに泣きつきよって」
 ほんまにムカつくわ。侑は悪態を吐いた。

 それはこっちのセリフじゃボケ。
 溢れんばかりの圧を込めて侑の頭部を見下ろした。

「一応言っとくけどな、あれはなまえが勝手に勘違いしただけや」
「……知らん女連れて家帰ってきたって、それも勘違いゆうんかお前は」
「広報の子やって。あんなん同僚みたいなもんやん」
「だから何やねん。問題そこちゃうわボケ」
「何でサムにキレられなあかんねん……」

 この様子だと、コイツはきっと何も知らないのだ。なまえがその女に何を言われたのか。酔って潰れて帰ってきた侑を、どんな気持ちで介抱したのか。昨日、ここで泣きながら吐き出した。本人に言えない不安や不満を、俺の前で。
 ただ、俺がそんなしょうもない優越感に浸ったところで、コイツはまるで動じない。当たり前みたいに笑って、自分の彼女を馬鹿にする。信じられないくらいの横暴さで、心をぐちゃぐちゃに掻き乱す。

「酔って記憶なくすとか、ほんまクソやなお前」
「お前かてそうなったことあるやん。てか全部忘れたわけやないわ」
「うっさいわ。フツー彼女おる家に女連れてくるか? 頭イカれすぎやろ」
「タクシー乗ったら知らん間についてきとってん。不可抗力や」
「ほんでなまえに逆ギレしよって」
「なまえがわけわからんこと言うてきたから腹立ったんや」
「そのわけわからんことを知らん女に吹き込まれたなまえはどんな気持ちやったか考えたんか」
「は? ……なんなんそれ」

 それ見たことか。
 侑は身勝手だ。なまえになら何をしても良い、何を言っても良いと思っている。乱暴に振り回して泣かせて。そのたびに俺が慰めて。いいところは全部、最後の最後で侑が攫っていく。そういう仕組みだ。

 別に侑のことが憎いわけじゃない。なまえを奪うつもりも、ない。
 
 ただ。ほんの少し、ずるいと思うことはある。

 己の本性を包み隠さず、曝け出すことの出来るコイツが。取り繕う必要もなく、なまえに選ばれたコイツが。どれだけ傷つけても、なまえを愛していると言えるその傲慢さが。心底ずるくて羨ましい。

「ほんで、アイツどこいったん」

 余裕綽々。相も変わらず腹の立つ顔だ。これが自分と同じ顔なんてよもや信じ難い。なまえが逃げ込んだ先が双子の俺のところだとわかって、コイツはたぶん心底安心している。それが余計にムカつくのだ。俺が絶対なまえに手を出さないと思っている。双子というだけで何の根拠もなく、そう信じている。
 心底なまえのことが愛おしいくせに。手放す気なんてさらさらないくせに。なまえにちょっとでも男の影がチラつこうものなら、焦って死にそうなツラをするくせに。そんなに好きならどうしてもっと大事にしてやれないのか。理解に苦しむ。

 侑が素直じゃないのはわかっている。俺もなまえも。理解しているからこそ、侑のことを嫌いにはなれない。コイツは餓鬼の頃のまま何も変わっちゃいない。なまえに死ぬほど甘やかされて、愛されてきたまんま生きている。

「……知らん。自分で探せ」
「アイツなんぼ電話しても出えへんねん」
「ハッ。いよいよ愛想尽かされたんちゃうか」
「それはあり得へん」

 自信たっぷりに笑う侑を見て思う。多分、なまえはコイツのこういうところが好きなんだろう。真っ直ぐで裏がない。俺みたいに、心の中でぐちゃぐちゃ何かを考えたりしない。心底わかりやすくて、その素直さ故に傷つけられる事があったとしても、軸となる感情は一切揺らがないことをあの幼馴染は知っている。

 俺かてそれくらいわかる。
 腐っても双子だ。

 互いの目を見れば一目瞭然。
 宮侑はみょうじなまえを愛しているし、なまえも侑をそれ以上に愛している。
 そんなふたりの世界を、俺はほんの少しだけ知っている。

 ──あり得へん。まあ、確かにそうだ。なまえが侑に愛想を尽かすなんてあり得ない。喧嘩したってどれだけ愚痴を言ったって、気がついたら仲直りして元通り。侑がなまえを手放す気がない限り、なまえはきっと侑のそばにいるのだろう。なまえの愛は献身的だ。そもそもなまえは、侑が家に女を連れて帰ってきたくらいのことで、いまさら侑を嫌いになったりはしない。
 長い付き合いの中で、今までも危うい場面は何度かあった。俺も侑をさんざん殴ってきたし、その度なまえは泣いたけど、結局最後には侑のことを許していた。

ただ、だからこそ。

「……なまえ、なんか変やったで」

 頭の片隅に残る微かな違和感。いつものふたりを知っているからこそ、感じ得たものだと思う。なまえが侑と喧嘩をするのはいつものこと。俺に泣きついてくるのもいつものこと。それでも、昨日は何かがほんの少しだけ、違ったような気がしたのだ。

 違和感の正体は最後までわからなかった。わからないということだけがわかっていて、モヤモヤが今も拭えない。

 店を出て行く時に、言いたいことは全部言ったとなまえは笑った。でもそれは「俺に言えること」であって「侑だけにしか言えないこと」は含まれていない。いつもは"全部"話してくれるはずのなまえが、昨日は多分、俺にも言えない何かを隠していた。

 不確かではある。
 でも、妙な引っ掛かりがあるのは事実だ。

「ツム、お前ほんまになんも聞いてへんのか」

 侑は何も言わなかった。ただ不機嫌そうに眉を歪めて、俺をじっと睨んでいる。

「……お前が、話きいたらなあかんのちゃうんか」

 気づいてやるのは本来お前の役目だ。
 睨まれる筋合いはない。

「……まあ、その内帰ってくるやろ」
「余裕こきよって。知らんで俺は」

 コイツほんまにムカつく。
 気になってしゃーないというツラをしておきながら、なまえが自分のところへ戻って来るのを待とうとする。
 そのクソつまらんプライドをへし折りたい。


- ナノ -