※ステブン自覚後

 一枚一枚が薄っぺらい、見ていて嫌になる程白い紙の山で埋め尽くされた机は、本来ある木目調の見る影もない。ヘルサレムズ・ロットでは到底お目にかかれないが、恐らく月が天辺に来るだろう時分でも、メンバーが好き勝手騒いで暴れ回った後処理がスティーブンを待っていた。諸々の面倒事は好き勝手騒いで暴れ回ったりしないスティーブンへ全て御鉢が回ってくる為、同じようなことが幾度も続けば流石のスティーブンもこの始末書やらをバルコニーから思い切りバラまきたくなってくる。ああ、それかあの度し難いクズと一緒に凍り漬けにするのもいいかもな。剣呑になっていく思考にストップは掛からず、怨恨のようなうすら暗い思い付きに支配される辺り、スティーブン・A・スターフェイズは相当に疲れていた。どこぞの海峡よりはずっと深いだろう溜め息が益々スティーブンの気を重くさせる。アイツらが自重を覚える前にこちらが老いるのが早そうだ。いくら嘆いていても目の前の山は無くなったりしない。大人しく腰を下ろした椅子がギッと軋み、スティーブンを受け入れた。浅く腰かけた背を若干丸めて、米粒よりかは大きな文字に目を通していきながら使い古した万年筆を紙に滑らせる。一枚。二枚。三枚目を繰り返したところで、襲いかかる倦怠感と眠気に負けぬようこつこつとペン先を紙に叩いていると、辛うじて残っていた本来の机の模様へ、スティーブン私用のマグカップが置かれる音がした。
「――ナマエ?」
「ギルベルトさんがいないので、わたしが注いだものですけど…」
 泥のように沈みかけた意識が霧散し、スティーブンはハッと重たげに首を上げた。わかりやすく心配の滲んだ表情で、ナマエは垂れ下がった両眉を寄せてこちらを見下ろしてくる。マグを慎重に机に降ろしたナマエは、出来上がって隅に寄せていた書類の数枚かを拾い上げた。それから「少しは手伝わさせてください」なんて笑うので、スティーブンの胸中を占めていた剣呑さも何のその、胃の腑の中へ押し戻されていく。占拠していた、薄っぺらさの中に件について嫌味の詰め込まれた紙が片され、木目調の範囲が更に広くなる。熱い内に飲んでしまおうと手に取った、スティーブンがいつも使っているカップからは、いつもと同じ芳ばしいコーヒー豆の香気が漂っていた。鼻腔を刺激する迸る香りはスティーブンの指を確実にカップへと誘い、一口含ませる。舌で舐めた味は確かにギルベルトよりかは幾分かは劣るものの、充分に満足出来るものであったし、何より常より濃い目のそれは眠気覚ましにはぴったりだったのだ。ほう、と安楽の息を吐いてスティーブンは疲れを隠す余裕もなく笑った。
「ありがとう。実はさっきから眠たくて仕方が無くてね、助かったよ」
 勤務時間は疾うに過ぎている。徹夜の仕事に付き合ってくれるナマエに対して、適当な理由をつけて強制的に帰すことも出来る。少し前のスティーブンだったらそうしただろう。だが今のスティーブンにはそれが出来そうになかった。一人のが楽だと、今まで煩わしく感じていた筈だというにいつの間にかその存在に心地良さを覚えていたから。前よりも少し狡くなった大人は敢えて何も言うことをしない。ナマエの好意を利用していると言えば聞こえが悪いが、誰かがいる場ならまだしも二人きりというのはとんとないので、静謐なそれはひどくスティーブンを穏やかにさせるのだ。視界の端をうろつく存在がいないと落ち着かなくなりつつあるのは、抑えきれない独占欲の表れだと理解した上なのでどうしようもない。スティーブンは未だ湯気を吐き出すマグを片手に書類を捲った。最初から受け入れられた感情ではない。だが喉元を過ぎてしまえば、戸惑いも拒絶も何もかも無くなって、ただ純粋ないとしさと、それて共に相反する醜い感情が湧き上がる。青臭い年頃はとっくに過ぎた筈のスティーブンが偶にナマエを揶揄って遊ぶのだって、みっともない嫉妬が原因だったりする。考え込んでいる内にいつの間にか手は止まっていた。万年筆は片手で遊ばせたまま、サインを描こうとはしない。スティーブンはこちらに背を向けて黙々と作業をしている、ナマエの後ろ姿に頬杖をついてぼんやり見やった。華奢で撫で肩、薄そうな背中に程良くくびれた柳腰。東洋人の血が入っているという彼女の体系は、よく見るとこちらによくいる(もっと言えばよく相手をする)ブロンド女とは似ても似つかない程線が細い。小ぶりな頭が時折動く度さらりと揺れる、重たさを感じさせない黒髪が白いブラウスによく映えて、疲れ目のスティーブンの眼(まなこ)を度々眩ませる。そして眩ませた目はそのまま、瞼のうらでナマエのあられもない姿を映し出した。剥き出しとなった背中はきっと腕と同じ乳白色の、スティーブンがいたずらに肩甲骨に指を滑らせると肩を跳ねさせて堪える、ナマエの光景だ。擽ったさに身を捩り、普段から生真面目にぴんと伸びたナマエの背筋が弓形に反らされる。背骨へ態とリップ音の残した口付けを送り、指通りのよい髪を掻き上げて項まで唇で辿ってやれば、瞬間、嬌声を押し殺したような声がナマエから漏れた。拙さを十二分に乗せた声にぞくりと溜まりゆく欲に震え、もっとその声を聞きたくなって、裸の背中を這っていたスティーブンの手が薄いお腹を撫で――そこまで思い浮かべたところで、スティーブンは温くなったコーヒーを一気に飲み干した。諸目を開けたままナマエから視線を反らす。本当に弁解の仕様もない。俺は疲れているんだ。だとしても邪な願望が残滓を残すナマエのみだらな姿に、本能剥き出しの欲求に自分でもウンザリする。どう言い訳してもナマエの背に欲情したのは限りない事実だった。ベッドの上で女の背中を見たことなど数え切れない程あったが、ただ情報の為に無感動に抱いていたあのときとは違い、純粋に触れて、いじめて、ナマエがどんな反応をするのか確かめたくなってくる。あわよくばその先すら、純真な彼女を己の手でぐちゃぐちゃに汚して、他の誰かを見ることのないよう閉じ込めてやりたくなる。捻り曲がった願望は大人の表層に覆われた。
「ナマエ、ちょっといいかな」
「なんですか?」
 何の疑いもなく少しばかりはにかみ笑ったナマエへスティーブンは手招きをする。ナマエの眞白い背中を嬲るシーンが、スティーブンの脳裏にまた再生された。
「そんな薄着では肌寒いだろう?これを着るといいよ」
 言いながら脱いだ背広を手渡せば渋面をするナマエを前に、ぴくりと指が伸びそうになる。頼むから、早く受け取ってくれ――俺がなにか、とんでもないことを君に仕出かしてしまう前に。
「え?そんな、大丈夫ですよ」
「いいから。君に体調でも崩されたら困るんだ」
 半ば無理矢理押し付けてにこやかに言えば、ナマエも何も言おうとはしない。相変わらず押しに弱いなあ、と思いながら再び万年筆を手に取る。柔らかそうな白い肌に動きかけた指が、堪えるようにペンを握る。
「…あ、ありがとうございます」
 真っ赤な嘘を真に受けて照れる様子のナマエに、本当のことなど言える筈もない。嫌味の詰まった紙の返事に、お世辞と社交辞令とそれからほんの少し牽制の混じった言葉を書き立てて、スティーブンは瞼のうらから大人の欲望塗れのそれを追い払った。

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