どっぷりと更けゆくひめやかな夜の片隅でも、ライブラ御用達の打ち上げ会場はこれ以上ない程どんちゃん騒ぎで賑わっていた。忙しなくボトルやグラスを運ぶウェイターが総動員を持ってしてでも追い付かない程に、皆このときばかりは好き勝手騒いでいる。混戦の最中長老級こ血界の眷属が現れ、絶望的状況ながらも遺体を持ち帰るハメになることはなく、奇跡的な生還を果たした後の諸々をここで思う存分発散したいのだろう。その気持ちはよくわかる。かく言うわたしはといえばお酒はちびちび舐める程度に止まり、後はひたすらおつまみとして出された、これまた豪勢な一品料理の数々に舌鼓を打っていた。ヘルサレムズ・ロット基準のお酒はなにせアルコール度数がえげつないぐらい高いので、わたしには嗜むことすら到底出来ないのだ。テーブルに並べられていく空っぽのグラスと見たことのない銘柄のボトル、悪酔いしているK・Kに絡まれているザップを見ると、酔った自分がどうなるのか怖ろしくてお酒に手を伸ばすことすら出来やしない。それでもある程度はアルコールに強くなりたいとは自分でも思う。人によりけりだがすっごく楽しい気分になれるという(K・K談)のは、好奇心半分体験してみたかったりする。チューハイや甘いカクテルみたいなジュース感覚のお酒なら飲めるが、それにしたって沢山の量は飲めない。ビールは一度試してみたけど苦いだけだった。きっとお子様舌ってやつだろう。白いお皿の中で転がり踊るプチトマトをフォークでつつく。口に運んだ実の弾けたトマトの、甘酸っぱい種の味が口内を侵す。こうやって美味しい料理を頬張って、みんなが騒いでいるのを眺めるのもある意味退屈しないし楽しい。楽しいけどひとり素面なわたしが場違いな気がして、少し気まずいのだ。そんなの見当違いだとはわかっているけど。本当のことを言うと仕事の関係上、どたばたしていた所為でここ数日まともに話せていない自分の恋人――スティーブンさんと二人でゆっくりしたいのが本音なのだけど、そんな自分の我が儘に付き合わせるのは申し訳なくって言えないし、聞き分けのない子どもみたいで言いたくない。スティーブンさんにだって偶にはハメを外したい日があるだろう。何も二人で過ごすのは今日しか出来ない訳じゃない。いつも仕事と仕事と仕事で、多忙なスティーブンさんをゆっくり休ませてあげるのも、またスティーブンさんのコイビトとしての立派な勤めなのだ。ぽつんと一人だけ取り残されたような気がして、上手く場に馴染めない寂しさを押し殺す。そうやって自分で言い聞かせてみるけど、目は勝手にスティーブンさんを探してしまうのだから全く意味がない。スティーブンさんに何でも頼りきりってやっぱり良くないよなあ。自分でもわかっているからこういうときに気後れしてしまうのだ。ネガティブモードに入ると中々抜け出せない自分の質の悪さを理解しているので、少し一人になろうと中身のないお皿にフォークを置き、ポーチだけを持って席を立つ。何やら異界で流行っているらしいポップスが流れる店内で、踏みそうになる誰かの足に悪戦苦闘しながら化粧室へ向かう。人混みの中からようやっと抜け出してふと顔を上げると、奥まった化粧室側の、狭い通路の壁に背中を預けていたスティーブンさんと目が合った。パーティー会場でスティーブンさんの姿を見たのは、クラウスさんとグラス片手に何やら話し込んでいたのが最後だ。一体いつからここに居たんだろう。まさか偶然?声も出ずただただ目を白黒させていると、スティーブンさん口元は緩やかに弧を描いて小さく手招きしてくる。一瞬もしかしたらわたしじゃなく他の誰かを見ていたのかも、と思ったけれど、みんなボトルを開けたり勝手に繰り広げられている飲み比べ大会に夢中で、間違いなくスティーブンさんはわたしを呼んでいるのだと知る。さっきまで少しの寂寞感を覚えていたのも忘れて、軽やかな足取りでスティーブンさんの前まで駆け寄ると、仄暗い中でも相変わらず端正なスティーブンさんの顔がよく見えた。苦く笑いを零したスティーブンさんのそんな表情すら絵になるので、いつもより女の子要素重視したわたしの格好に勝ち目などない。
「少し、雰囲気に酔ったみたいでね。酒はそんなに飲んでない筈なんだが」
「そうなんですか!わたしも、そんな感じで…」
 丸切り嘘ではないにしろそれでも矢張り本当とは言い辛い。かと言って一人になりたかったなど、盛り上がった場をぶち壊すような発言は好ましくないので口を閉ざす。しかしスティーブンさんには、そんなわたしの下手くそな思惑すら見抜いているようだった。
「――もしかして、楽しくなかったかい?」
「えっ!?いやっ、そんなことは…!」
 焦れば焦るほど口が回らなくなるのは図星だからだろう。これでは取り繕うことも出来ない。勿論全く楽しくない、という訳ではない。色とりどりの料理は単純に美味しいし仲間と騒ぐのはわたしも好きだ。だけど違うソファーに腰掛け、グラスを傾けてクラウスさんと談笑に勤しんでいるスティーブンさんがいつもよりずっと遠くにいるように感じて、だからこんなにも気分が沈んでしまったのだと思う。自分でも吃驚するぐらい独占欲が強かったのだと今更思い知らされて、こんなこと到底言えないと下手なら下手なりに必死に否定をする。
「やっぱり仕事を終えた後にみんなで集まるのって楽しいですし!それで、その」
「相変わらず君は嘘が下手だなあ。まあ、別にそれが駄目って言ってる訳じゃないさ」
 思い切りバレバレだった。呆れられる?スティーブンさんの反応が怖ろしくて俯くことしか出来ないわたしは、わたしの頬を両手で持ち上げたスティーブンさんによって強制的に見上げる体勢にさせられた。口角は吊り上がっているというのに、何故かスティーブンさんのその眼はぎらぎらと妙な光を宿していて、本能からかわたしは肩をびくりと震わせる。
「こうして偶には無礼講騒ぎをするのも楽しいけど、僕はそれより君と早く二人きりになりたかったからね」
 だから、丁度良かったんだ。そう呟いて首を屈ませたスティーブンさんが、わたしの唇へまるで食らいつくように口付けをした。互いの身長差から慣れない五センチヒールのまま爪先立ちになったわたしは、ぐらつく足元に心許なさを感じて思わずスティーブンさんの背広をひっつかむ。その拍子でポーチを床に落としてしまうけど、それを気にする余裕はすぐに無くなった。意図せず重なる唇に色気もなく目を真ん丸に剥いてしまうわたしのことなんて余所に、スティーブンさんのあつい舌はわたしの唇をこじ開けて、奥に引っ込んでいた舌に絡み付く。息つく間もなく深くなる口付けにいっぱいいっぱいなわたしは、唾液の混じり合う官能的な響きに羞恥を感じる暇もない。
「んう…っふ…あ」
 かつんとヒールが硬質な床を叩く。力のやりどころを迷った指が、スティーブンさんのスーツを皺くちゃになる程握り締める。咥内で攻め立てる舌先はべろりとわたしの上唇を舐めて引き抜かれ、垂れた生暖かい粘液がつうと細い糸となる。やっとの思いで酸素を補給するわたしを見下ろして、優男の顔をしたスティーブンさんが嫣然と笑う。
「こっちはさっきまでお預け喰らってたんだ――少しぐらいは、許されて然るべきだろう?」
「〜だ、だめですって…!ちょっスティーブンさん!こんな、だれかに見られたら…っ」
「誰もこっちのことなんか気にも止めてないさ。何なら寧ろ、見せ付けてやればいい」
 えっこれで少しのレベルなの!?荒く呼吸するわたしの息ごと飲み込む勢いで、口付けは再び雨のように降ってくる為、そんな疑問は届きそうにない。スティーブンさんが殆ど胸元へしなだれかかった状態のわたしの背中へ片腕をやり、ぐるりと体勢を反転して、いとも簡単にスティーブンさんと壁の間へわたしを閉じ込めさせる。完全な包囲網だ。押し付けられた壁に指を縋りつかせてみようにも、瞬間逃がさないとばかり伸びたスティーブンさんの手は、さり気なくわたしの指をがっちりと捕らえて離してくれず、その間にもスティーブンさんのしなった舌がわたしを弄ぶので、まともに声も出せない。キスの合間合間にはっと短い息を何とか零していると「ナマエっち〜!何処へ行ったのォー?」お酒の所為かハイテンションなK・Kの声が遠くから聞こえて、熱に浮かされかける思考が急激に冷めゆく心地がした。わたしですら気付いたのだから、スティーブンさんにだって聞こえた筈なのに、白々しくもそれを聞き流したスティーブンさんが反ったわたしの喉元に唇を寄せる。ああもう、これ以上は本当にマズい。
「すてぃ、ぶん、さん――も、だめ…K・Kさんが、よんで」
「君が俺よりも酔っ払いの相手をしたいと言うなら、この手を振り払えばいい。そうでないのなら――黙って俺だけを見ていて」
 ちらとこちらを仰ぎ見て言い放ったスティーブンさんは、けれども繋がれた手に益々力を込めるので逃げられそうにない。そしてわたしもそんなことを言われてしまえば、もうスティーブンさんに身を預けるしかなくなってしまう。ずるりと壁を背凭れにして素直に瞼を閉じると、スティーブンさんの淑やかな甘いだけのキスがわたしを出迎えてくれる。前言撤回。自惚れなんかではなく――わたしなんかより、絶対、スティーブンさんの方が独占欲は強い。

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