※生理ネタですので注意

 何だろう、この痛さは。執務室の、普段和やかな憩いの場とされるソファーに腰掛け、ローテーブルに殆ど頭を突っ伏させた状態でわたしはうんうん唸っていた。いつもはこんなに痛くはならないのにおかしい。そもそもわたしは生理痛は軽い方で周期だって変動ないのに!お留守になった両手で下腹部を覆い温めようと試みるが、痛みでこれが中々上手く行かない。端から見たら腹痛に苦しんでいる人になっている。強ち間違いでもないし生理痛だとは悟られたくないので、気遣わしそうにこちらを見てくるクラウスさんに強く否定出来ないのが悲しい。チェインにメールでこっそり頼んだ薬はあとどの位で届くのだろうか?わたしはそれまで耐え切れるのか?幸い、ギルベルトさんは女の色々な事情を察してくれたようで、薬が無いことを申し訳無さそうに告げて――それだけでも嬉しいのに――少しでも和らげるようにと紅茶を入れ直してくれた。温かいカップが冷え切った指先をじんわり暖め治してくれる。頼むから今日は何も起きないで欲しい。ヘルサレムズ・ロットよお願い――今日だけは静かにしていて!わたしのお腹の為に!何も事件を起こさないで!内心でそうブツブツと強く訴えかけながら机に突っ伏するわたしを、オロオロと見守っていたクラウスさんの、シャツのポケットに入っていた携帯の着信が甲高く喚き立て始めた。同時に嫌な予感が脳髄を警報のように打ち鳴らす。そしてこういうときのわたしの勘は外れることがない。最悪なことに。予想はすぐに当たった。はっとして携帯の通話ボタンを押したクラウスさんの表情が、すぐさま真剣なものへと変わったのだからわかりやすい。
「…!スティーブン?――そうか、わかった。すぐそちらへ向かおう。ああ、いや、しかし…ナマエが」
「スティーブンさんッ!?わたしもそっちへ今すぐ向かいますね!」
 スピーカーの向こうにいるだろう存在へ聞こえるよう、わたしは痛む下腹部を抑えて思いきり大声でそう叫んだ。クラウスさんが目を真ん丸にさせて吃驚しているのがここからでもよくわかる。わたしは机から頭を離し両手を上げてクラウスさんへジェスチャーをした。「言わないで!」というサインのつもりだったが、どうやらそれは成功したらしい。動揺を隠せずにいるクラウスさんが、そのまま通話を切ってくれたのでわたしは安堵から息を吐く。
「大丈夫です。ちょっとお腹痛いくらいで休んでいられませんからね!行きましょう!」
「だが、顔色も悪い。ナマエ、向こうにはザップもいるのだから君は気にせず休んでいるといい」
「本当に大丈夫ですよ、クラウスさんは心配性ですね!」
 そう念押しすればクラウスさんも強く言えないのか、物言いたげにこちらを見詰めるまでだった。心配かけて、無理をおしてごめんなさいクラウスさん。ずきずきと痛みが酷くなっているのを悟らせないよう、無理矢理笑顔を作る。スティーブンさんにもクラウスさんにも知られたくはない。恥ずかしいとか、勿論そんな理由もあるが本当は生理痛なんかで休むなんて、だの思われたくないという身勝手な思い込みが主なのだ。ついでに下らない意地も入っている。もっと言えば彼らがそんなことを言わない優しい人だってことも。それでも休むだなんて甘いこと言いたくないし、特にスティーブンさんには一番知られたくないのだ。頑張らなければ役に立たなければ、いつか呆れられるんじゃないかって――馬鹿馬鹿しい被害妄想だ。だけども止まらないのはきっと彼が何もかも完璧に見えてしまうから。
 スティーブンさんに釣り合うわたしでないと不安で堪らなくなる。だから多少無理してでもわたしはソファーから立ち上がるのだ。
「ああクラウス、それにナマエも来たか。じゃあ早速だが――」
 現場へとギルベルトさんの車を活用して急ぎ向かえば、随分と視界良好となった荒れ果てた街並みがわたしたちを出迎えてくれた。耐震構造でご自慢だというビルも異界生物によってばきばきにへし折られている。容赦ない上に見るも無惨だ。ザップは既に位置に付いているらしくここから姿は見えない。わたしもわたしでスティーブンさんの立てる作戦に耳を傾けながら、愛武器を取り出そうと腰に手をやる。瞬間、思わずぐらりと傾きそうになった頭とよろつく足が、スティーブンさんの目に止まったらしい。「ナマエ?」怪訝そうな彼がわたしを見る。
「え?な、なんですか?」
「なんですか?じゃないだろう。君、もしかして体調悪いんじゃないのか?」
「いえ、大丈夫です!」
「クラウス」
 全然全く信用されていない!渾身の力を込めて告げた大丈夫はスティーブンさんの耳を通り抜けてどこかへいってしまった。わたしの答えは丸きり無視をしてクラウスさんの方へ向き直ったスティーブンさんが、もう一度確かめるように名前を呼ぶ。クラウスさんがわたしとスティーブンさんに挟まれて、明らかにどうすればいいのか困っているのがわかった。ああ、こんな筈じゃなかったのに。
「スティーブン、その…」
「ま、君が即答しない辺りが答えだろうな。ナマエ、君は一旦事務所待機だ。ギルベルトさんに頼んで送って貰って――」
 違う。
 本当にこんなの、いつもなら全然平気なのに。
「そんな、大丈夫ですって!だから早く作戦を…」
「ナマエ」
 まるで聞き分けのない子供を叱るような調子でスティーブンさんはわたしの名を呼んだ。それでもそのまなこは平時よりずっと棘のある、わたしを突き刺す目をしていた。滅多に向けられることのない冷たさに、声が途切れる。
「体調が万全でないのなら、戦場に出たって邪魔なだけだ」
 スティーブン!咎めるような声がクラウスさんから聞こえてきても、わたしは呆然と彼の目を見詰めることしか出来なかった。邪魔。確かにそうだ、今だって我慢しているだけで本当は動きたくない程痛い。そんな状態で戦闘に立つなど愚の骨頂としか思えない。だのに自分勝手な思いと意地でここまで来て、結局最終的にはスティーブンさんとクラウスさんの足手纏いとなっている。
 正論で、そんなこと理解している筈なのに、わたしは迎えに蜻蛉返りしてくれたギルベルトさんの車の中、戦慄く唇を震える睫毛を唯々堪えるのに必死だった。



 誰かがわたしの髪に触れるあたたかな感触で、わたしは重石のように重い瞼を持ち上げる。チェインから薬を受け取り飲み終わってから、ソファーに横になってギルベルトさんから貸して貰った毛布にくるまり、もうどれ程経っているのだろうか。微睡むわたしの目にはあの大きな窓は映らず、変わりと言わんばかりに存外逞しいのだと知っている、スティーブンさんの胸元が視界を占拠していた。うっすらと双眸を開くわたしに気付いたのか、スティーブンさんが物案じるような眼差しをして「起きたかい?」と声をかけてくる。その目に先までの尖った冷たさは無い。重い瞬きを何度か繰り返したわたしがゆっくりスティーブンさんの方を仰ぎ見た。
「スティーブン、さん」
 眠っていた所為か漏れる掠れた声に、恥じる気力すら残っていない。
「体調は?薬は…飲んだみたいだね」
 空のコップとカプセル錠剤の入った袋に一瞥をくれたスティーブンさんが、わたしの横たわるソファーへ膝を降ろす。スティーブンさんの人差し指が目尻の辺りを優しく触れて撫ぜるので、それが案外心地良くて、半ば寝ぼけたままのわたしはその人差し指にすり寄った。稚児のするような拙い動作にスティーブンさんがふと笑う。
「君に、嫌われたかと思ったよ」
「?」
「厳しいことを言ったからね。あれからクラウスにも諫められたし」
 クラウスさんに?うつらうつらと、靄の掛かっていた頭が段々晴れていく。
「スティーブンさんの言ったこと、全部正しいです」
 毛布にくるまった状態のままでは失礼だと身体を起こそうとすれば、目尻を撫でていたスティーブンさんの指がそれを制止させた。どうやらこのままで良いらしい。中途半端に上がった首が、ソファーのクッションへと緩やかに頭を埋める。ひとたび眠ってしまえば嫌でも思考は冷静になれる。スティーブンさんが気にする必要はないのだと、わたしは笑んだ。
「役に立てなくてごめんなさい」
 スティーブンさんのことが好きで、好きで、だから彼に釣り合う役立つ恋人でいたかった。容姿も人並みだしわたし自身にトクベツな何かがある訳でもないのに、何でスティーブンさんみたいな人がわたしを選んでくれたのか未だにわからないけれど、他の女の人より劣るなら劣るなりに、他の普通の人には持ち得ない――所謂戦闘能力とか技術とか――でスティーブンさんの隣に見合う人になりたかったのだ。大切に優しくしてくれているのを知っていたから、その分お返しをしたかった。蚊の鳴くような、わたしの力無い声にスティーブンさんがぴたりと手を止める。
「…君はもう少し、自分を大切にするべきだ」
「え?」
「たったそれだけのことで見限るとでも思っていたのかい?この僕が?君の言ってることは見当違いだ。体調が悪いなら言って欲しいし、もっと言えば僕を頼って欲しい。寧ろ僕としてはもう少し君が甘えてくれた方が嬉しいかな」
 もしあのまま無理をして君になにかあったら、俺はどうしたら良い?自分に優しくしなかった所為で君が命の危機にでも晒されたら?そんなのはごめんだと、顰めた眉のままスティーブンさんが吐き捨てる。
「だから、君がそんなくだらないことで無理して悩む必要性は全く無いんだ――俺が君を捨てるなんてことは今後一切ないだろうからね」
 わたしの不安を払拭するように言い切ったスティーブンさんの悪戯っぽい笑みに、さっきまで堪えられた筈の涙がぼたぼたと頬を伝って落ちていく心地がした。でも自分でもわかっている。この涙は悲しくて零すんじゃなく、それとは全く逆の感情から零すのだと。咄嗟に目を擦って拭おうとした手を優しく掴まれ、スティーブンさんの指が絶え間なく滑り落ちていく雫を拭う。「それで?」されるがままのわたしに向かって、スティーブンさんがにこやかに疑問符を突き付けた。
「どこが悪かったんだい?今は?」
「…ええっと」
「…ナマエ、俺はそんなに頼りないか?」
 そんなこと!と言い掛けて止まる。薬を飲んで横になったお陰で幾分マシになった生理痛でも、気怠さは変わらない。瞬間的にお腹を抱えたわたしを一瞥したスティーブンさんが、ふむと頷く。
「血色が悪いし唇も青白かったからてっきり貧血か何かだと思ったんだが」
「あ、それは血が足りてないから…」
「…血?」
 墓穴を自ら掘ってしまったことにわたしは思わず呻き声を上げた。スティーブンさんは人の二倍どころか三倍は察しが良い。なのでわたしの血が足りてない発言とお腹を抱えた腕に、わたしの到底及ばないところで彼なら線と線を繋げて答えを見出してしまう筈だ。暫し沈黙を落とすスティーブンさんに気付いてしまったのだと、それを悟ってわたしは恥ずかしさで死にたくなった。涙はというと羞恥に勝って疾うに引っ込んでいる。
「…ああ、それは男には言い辛いか。ごめん」
「いえ…こちらこそすいません」
 何とも言えない妙な雰囲気に、常なら感じることのない気まずさを覚えて居心地が悪くなった。スティーブンさんもスティーブンさんで「しまった」というような顔をしたまま固まってしまったので、わたしは悪くない(…よね?この件については悪くないよね?)のについつい謝ってしまう。心なしか近い距離に億劫を感じて、毛布を被りながらむくりと上半身を起こす。身体を起こせば自然と視界も高くなり、スティーブンさんしか入れなかった目が窓枠を映した。星ひとつ見えない、墨を零したような黒色だったので今は夜なのだと知る。気まずさから時刻を理由に退散しようとした瞬間、わたしの身体はスティーブンさんによって閉じ込められていた。
「えっ」
「女性のその痛みっていうのは僕にはわからないが、暖めるといいんだろう?」
 毛布で!毛布で十分ですから!重たい下腹部の所為でまともに抵抗出来ないわたしは、ばんばんスティーブンさんの胸元を軽く叩いてみるけどまともに取り合ってはくれない。スティーブンさんがくつくつと喉奥で笑っているのがわたしの耳朶に触れて、さっきまで申し訳なさそうな顔をしていた癖に!と勝手に憤慨する。これは確実にからかわれてる!そう理解しているのに締め付けられる暖かさに歓喜の感情が沸々と湧き上がるから、わたしはスティーブンさんに勝つことが出来ないのだ。こうなると暫くは離してくれないだろう。諦めて頭を胸板に擦り寄せると、益々拘束する腕の力が強くなる。
「…スティーブンさんって」
「うん?」
「わたしに甘いですよね」
 こう見えてわたしだって我慢していたりする。欲張りなわたしが顔を出そうとするのを必死に堪えているのに、スティーブンさんは全く意に介そうとしないので困り者だ。ベタベタくっ付いたりするのをスティーブンさんは嫌いそうだと思って中々わたしの方から触れられなかったり、人前ではスティーブンさんの立場をちゃんと考えて手だって繋がない。恋人同士がやるようなベターなことは大抵わたしの憧れで終わる。だのに気紛れにわたしを甘やかしてくるスティーブンさんに、二人きりになると途端に引っ付いてきたりするスティーブンさんにわたしは振り回されっ放しで、それでも好きの感情は留まりを知らないのだから救いようがない。自然と拗ねた声色になったわたしにスティーブンさんが、あからさまに声を上げる。
「甘い?そうかなあ。これが普通なんじゃないか?」
「でも、だって…それ以上甘やかされると、わたしが駄目なんです」
「どうして?」
「もっと甘えたくなるから…ずっとスティーブンさんにくっ付いて、離したくなくなるから、だから嫌なんです」
 ぎゅう、と鼻先をスティーブンさんのシャツに擦り付けてみる。恥ずかしいことを告白してしまったと、一瞬後悔しかけたが、それはスティーブンさんももっと困ってしまえばいいという、一種の意趣返しに似た感情へと変わった。こんな我が儘言われたら流石のスティーブンさんも困る筈!普段のわたしの苦労もわかればいいんだ――そんな思いは突如として降ってきた口付けに阻まれた。バードキスのような、柔く唇を啄んでいくキスにわたしは驚きで目を瞬かせる。
「なっ…は、え…?」
「本当に辛そうだったし、何もしないつもりだったけど――言って置くが、今のは君が悪いんだからな」
 責任転換も甚だしすぎる!これ以上はしないとキス混じりに言ったスティーブンさんの台詞が、今日程信頼出来ない日もない。スティーブンさんのことだからまあ、そんなことしないとは思うけど――だってわたしを包んでいた毛布がはらりと落ちていっても、気にする余裕すら許してくれないのだから信じきることも出来ない。それでもあともう一度だけ、と降りてくる精巧なスティーブンさんの顔に応えるよう、わたしの瞼は無意識に降りるのだから、やっぱりスティーブンさんはずるいのだ。

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