※イチャイチャしてるだけ

 キスをしてくれるのは嬉しい。でもやさしい温もりに、柔らかさと同時に与えられる気恥ずかしさにどうしても慣れない。
「んっ…ん、う」
 唇を離す度端から零れてゆく喉を裏っ返したような、まるで自分の声じゃないような甘ったるさを残した掠れ声に自然と頬が熱くなる。そんなわたしの羞恥を堪えた表情にだって気付いている筈のこの偉丈夫は、素知らぬ顔を被ったままわたしの後頭部を支える手に更に力を込めてくるので、わたしはみっともなく喘いだ息を落とす外なくなる。スティーブンがはあ、と吐いた呼気はわたしの鼻先をなぞらえてあえかに温さだけを残す。初っ端からハイスピードなスティーブンの攻勢はそれから勢いを落とすこともなく、後ろ手で身体の支えにした事務机の角がわたしの掌に食い込んだ。熱に浮かされた頭は脳髄ごとどこかへ飛んでいるらしく、僅かばかりの痛みを感じる暇さえもない。わたしの髪をいいようにくしゃくしゃに掻き乱して、項の辺りまで覆ったスティーブンの片手が、わたしの頭を撫でつけるように押さえつけて逃がしてはくれない。息も絶え絶えに抗議してみようとも今回ばかりは聞く耳を持たないつもりらしい。ああ、折角綺麗に髪を纏めたのに。
「は…っ…ナマエ…」
「ふ、う…っんん」
 いつもはスマートに大人な振る舞いを心掛けるスティーブンが、ぎゅうと強く瞼を閉じて眉間に皺を寄せ、あまり見たことのない表情でささやかにわたしの名前を告げるのだから苦しさの中で堪らなくいとおしくなる。口腔を侵したスティーブンの舌がわたしの引っ込みがちな舌を掬って吸い付き、分泌された唾液を絡め取る。スティーブンの名を呼びたいのにわたしの呼吸器はそれすら許してくれない。それどころかちゃんと息出来るかも怪しい。酸欠気味なわたしにやっと気付いたのか、スティーブンがわたしの口の中からぬるりと緩慢に舌を引っこ抜いた。ほそい糸が唇の端を垂らしていく。は、と短く吸って吐いてを繰り返したわたしと違ってスティーブンは随分と余裕そうだ。
「ごめんごめん、苦しかったかい?」
 言葉では謝っているのに反省の色が全く見えないのは何故だろう。やっとのことで整えた息を深く吐きながら、わたしは睨み付けるようにスティーブンの方を見上げると、わかりやすく眉を垂れた子犬のようないじらしさのある顔をスティーブンは惜しげもなく披露していた。三十路の癖にそんな表情が似合うとか卑怯!飛び出しかけた素直な台詞は慌てて飲み込む。危なかった。多分というか絶対言ってたら終わってた。何がって主に貞操が。
「ここ!事務!所!」
「そうだね」
「そうだねって、みんなが今だってここに来るかもしれないのに」
「午前一時に?」
「…き、きんきゅうなんちゃらとかで…」
 謝罪の体を表した顔を引っ込めて途端にしたり顔となったスティーブンが憎らしいったらない。偶にはデスクワークの方も手伝おうかと打診したのがそもそもの間違いだったのか。確かにえらく量はあるなと思っていたけれど、まさか深夜までかかるとは思っていなかったし――自分とスティーブンの事務処理の速さを比べてはちょっとショックを受けてたりだとか――まあ色々何やかんやあって、終わったと解放感に満ち溢れた瞬間にこれだ。最初は軽めのバードキスから、段々と妖しい雰囲気になっていくのを瞬間的に察知したわたしが疲れ過ぎてるの?と聞いたら、あからさまに機嫌の悪くなったスティーブンの顔は性急に近づいて、もっと酷くなった。明らかに失敗だった。
「二人きりの時間をもう少し味わいたいと思ってたのは俺だけなのか?」
 どうやらスティーブンは今まで満足に会えなかった分を満たそうとしているらしい。何も今日この日じゃなくたって――言いかけて、止まる。そう言えばわたし明日(というか今日)の夕方から接待で一週間人界入りだった。だからか。いや待て。かと言って腰がへろへろになるまでは駄目なんじゃ?それってアリなの?前述にもあったようにわたしはキスに慣れていない。というかスティーブンのキスはかなりトクベツだと思う。口付けひとつで溶かされそうになるなんて知らなかった。スティーブンのペースにされるがまま喘いでいる自分が恥ずかしくて死にそう。スティーブンの色香とやけにこなれた成熟な口付けをまともに受けて、もう手一杯を表現した台詞が舌先からつい滑り落ちる。
「も、もう十分――」
 わたしはまた選択を誤ったらしかった。ぴっちり角を揃えて留めた書類の束が小指の先にぶつかる。思わず逃げ出そうとした右足の踵は、半歩後ろへ下がる前に机の前脚で停止した。影が落ちる。言ってから選択ミスに気付いたって既に後の祭り。つとしならせた眼に有無を言わせない光を宿したスティーブンが、まごつくわたしの頤へ手をかけて――熟れた果実のように濡れた唇へ噛み付いた。
「まだ足りない」

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