※わかりにくい恋人設定

「あれ、ナマエさん今日はいつもと雰囲気違うんすね」
 ギルベルトが淹れてくれた紅茶を嗜みながらソファーに座っていたレオナルドが、本棚にいっぱいいっぱいになっている資料を一人で整理していたナマエに気づいて声をかけた。オレンジ色をしたバレッタで纏め上げられた、いつもはストレートで降ろしているさらりとした髪は綺麗に結われており、その露わになった項には何の気もないレオナルドから見ても、ドキリとさせるものがある。垂れた解れ毛が何とも艶めかしい。
「うん、ここって霧に包まれてるから湿気が多いでしょう?じめじめしてるから」
「あー…そうですねー…似合ってますよ」
「ありがとう」
 自分の邪な思考に気付いたレオナルドが、失礼だとは思いつつも生返事で返す。ナマエの白い項が脳髄に焼き付いて離れないのが意味もなく恥ずかしくなり、それを振り切ろうと忙しなく目を動かせると、いつもならナマエの側で仕事をしている筈の見当たらない副官の姿にきょとんと声をあげた。
「スティーブンさんは今日はいないんですね」
「朝から仕事あったみたいで…出勤したときにはもういなかったよ。仕事の指示が書いてある紙だけ置いてあったんだ」
 へえー…まああの人毎日忙しそうだからなー。ぼんやりとそう思いながら紅茶を啜る。ギルベルトが淹れてくれた紅茶は他の店で紅茶を頼めなくなる程美味しい。仕事なんだろう、何かの紙を見ながら本棚を整理しているナマエの後ろ姿を見て、レオナルドはふと思った。
 僕でもこうなるくらいなんだから、スティーブンさんがこの姿を見たらどうなるんだろうか?紆余曲折あって晴れて恋人同士となったスティーブンとナマエだが、レオナルドから見ると以前とあまり変わっていないように見える。実感は未だに持てないでいるが、それでもあの人があれでも真剣にナマエさんを好きだということはわかっていた。それに加えてレオナルドは、まだ結ばれる前から時たま見せていたスティーブンの独占欲の強さを嫌という程思い知っている。そして今のこの状況。ナマエさんと二人きり。ギルベルトさんはクラウスさんの付き添いで席を外している。
「(よし、帰ろう)」
 いつ帰ってくるかわからないスティーブンを慮り邪魔をしないよう退散することを選んだ。まだ死にたくない。



 図らずも昼帰りになったスティーブンは、欠伸が出そうになるのを喉奥に押し込んでライブラの事務所のドアノブを引いた。仕事は何でもない、打ち合わせと称した殆どご機嫌窺いのようなものだったが、向こうの指定してきた場所が場所だったので夜から朝までコースになってしまったのだ。所謂キャバクラのような店で接待をしていた訳だが、やけにべたべた引っ付いてくる女の相手程煩わしいものはない。先方はご満悦で何より、だがこっちは女の身に漂っていた香水の匂いに嗅覚がおかしくなりそうだ。そのまま執務室へ帰るつもりが結局堪えきれず、背広をクリーニングへ出したのは記憶に新しい。
(一応、万一を考えて仕事についての紙は書いて置いたが…)
 思っていたより遅くなってしまった。執務室へ戻ればナマエには任せられない、ライブラに関しての重要書類や任務関係の書類がスティーブンを待っている。最初こそ覚束なく仕事も遅かったが、元より要領が良かったのかさくさくとこなすようになった今のナマエなら、スティーブンがいない間に任せた仕事も疾うに終わっていることだろう。疲れ目を解しながら足を踏み出す。「遅くなってすまない、ナマエ――」きっちりと並べ替えられた本棚の中の資料、スティーブンの机にある滅茶苦茶に置いてあった書類もきちんと揃えられている。珍しく誰もいない事務所ではひとり、ナマエがソファーで舟を漕いでいた。
「…前と全く逆のパターンだな」
 あのときは俺がうたた寝をしていて、ナマエが起こしに来て――と言っても途中から狸寝入りだった自分と違って、ナマエのそれは完全に熟睡だ。待っていたのだろう二つのコーヒーは、手付かずのままテーブルに置かれていて、もう温いどころか冷たい頃だろう。相手がザップ辺りならここで叩き起こすところだが、普段真面目で率先して仕事を手伝いに行くようなナマエのことだ。頼まれた仕事が終わってしまってどうすればいいかわからず、とりあえず待とうとしている内に眠ってしまったとかそんなところだろう。ふと息を吐いたスティーブンは毛布を仮眠室から持ち寄り、ナマエにかけてやることにした。どうせもうナマエに任せられる仕事は今の所ないのだから、今日ぐらいはいいか。表向き部下を思いやるスティーブンだったが、寝姿をもう少し見ていたいという気持ちが主だったりする。そもそもナマエに対しては自分でも不思議なくらい甘いというか、優しいというか――レオナルドにもやんわり指摘されたぐらいだから相当なのだろうが、それでも今更改めるつもりもない。スティーブンは決して自分が丸くなったつもりはないし、そういう甘い部分はどの道限られた人にしか与えないのだから些末でない。公私はしっかり分けるタイプなので仕事に差し支えない程度であれば、ある程度の“甘やかし”は許容範囲内なのだ。
「おやすみ」
 毛布をかけながら、どうせ聞こえていないだろうと思いつつも声をかける。うう、と唸りながら自分が寝やすいように体勢を変えたナマエから見えた、いつもとは違う髪型にスティーブンは無意識下にドキリとさせた。バレッタで纏めていたのだろう、首を擡げる度ナマエの白い項が覗いて先程からちくちくとスティーブンの目を絶え間なく刺激する。暫し間を置いて、スティーブンは折角綺麗に結われていた髪も何のその、“うっかり”バレッタとヘアゴムを外した。
「…、男の前で無防備に寝るのはあんまり感心しないな」
 他の奴がこれを先に見たのだろうかと思うとどろりとした感情が湧き出る。蓋をしても覗いてきそうな欲深い感情は鋼の精神で押し留めた。ポケットにバレッタとヘアゴムを詰め込みながら、深く息を吐くスティーブンが溜まった仕事をしようと踵を返す。そして切り替えようとした頭は僅かに引っ張られるワイシャツに止められることとなった。
「スティーブン、さん…」
「…起きたかい?もう少し寝ててもいい、今日は急ぎの仕事がないからね。少しぐらい休んでも文句は言わないから――」
「…おかえり、なさい」
 ふにゃり。そう形容しても良い程に綻んだナマエの笑顔は、先程までその項にムラッときていたスティーブンの邪な欲をも吹っ飛ばした。らしくもなく硬直してその場から動けずにいるスティーブンを余所に、ナマエはふにゃふにゃと何事か寝言を言いながら微睡んでいる。
「…勘弁してくれ…」
 片手で顔を覆ったスティーブンはナマエの寝起きの恐ろしさを思い知った。と同時に、ナマエに心の準備が出来るまで“色々”待つつもりでいた心すらぽっきり折れそうだったという。

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