目を閉じれば終わりが見える。
「うそじゃないわ」
 爪先からゆっくりと上り詰めていく冰(こおり)がわたしの血液を凍りつかせていく。ぴくりとも動かない脚が、じわじわと忍び寄る死の恐怖に苛まれようとも抵抗はしなかった。ライブラの副官という立場にいるスティーブンはわたしにとってとてもこれ以上にない程魅力的で、だから目を付けて利用するつもりで近付いたというのに、いつの間にかわたしの方がずぶずぶと溺れてしまって貴方から逃げ出せなくなっている。ミイラ取りがミイラになるなんて今時三流の映画でも見やしないのに、それをわたしは見事にやってのけてしまったのだ。うそばかりのひとつひとつの台詞にいつしか本当が混ざるようになり、その頃にはもう幸せな夢ばかりを求め続けていたような気がする。スティーブンが違和感に気付いたのはきっとそれがきっかけなのだろう。スティーブンの持つ情報を愛していた筈が、いつの間にかスティーブンという彼本人を愛するようになってしまった。すべてわたしの愚かさが招いた喜劇だ、後悔するつもりも言い訳するつもりもない。ただひとつの心残りは。
「うそじゃなかったの」
 スティーブンがあくまで穏やかな口調を崩さないわたしに対して、言い逃れも命乞いもしないわたしに苛ついているのが霞みゆく視界でもわかった。スティーブンの凍てた眼差しが益々鋭くなり、刃のように尖ったそれがわたしに突き刺さる。
「スティーブン」
「――っ黙れ!」
 瞬間、眼差しは矢となり沸騰したスティーブンの感情に応えるが如く凍っていくスピードが急激に速くなる。下半身の感覚すら消え失せ、それはひめやかにわたしを侵食していき、両腕は既に肘の辺りまで凍っていた。「黙ってくれ…」スティーブンの革靴から冷たいものがひび割れ広がり、まるで何かを躊躇するように凍るスピードが止まっていく。わたしなんかより何よりも傷ついているのは貴方だというのに、わたしは今泣きたくて堪らなかった。ほんの数センチでも足を動かしてしまえば、その意志だけで意図も容易くわたしを殺せるのに、踏み止まってしまいそうになっているスティーブンの気持ちが何よりも嬉しくて――そう思ってしまった自分の身勝手さに嫌になる。貴方のことを傷付けて、裏切ってごめんなさい。まるで幼稚園児の言うような稚拙な台詞だ。そんな台詞でも言う権利はわたしには無かった。最初から味方なんかじゃなかったわたしは嘘で包まれている存在で、最初から裏切っていたのに今更被害者面などしたくもない。片手で顔を覆ったスティーブンが確かにわたしを信じていてくれていたと、そう知っていたから沢山伝えたいことはあったけれどそれは全て飲み込んだ。唯一の本当を、ひとつだけを伝えられればそれでいい。思えばもっと愚直でいられれば良かった。或いはわたしに組織を抜け出す勇気さえあれば。仮定の話なんてしたって意味はないとわかっているのに、そうせずにはいられなかった。偽りでも恋人同士だったあの頃を思い出して、本当に幸せだとそれに浸れた笑みを装う。永久を願えた、色褪せることのない思い出だけがわたしを緩やかに締め上げていく。つめたい瞼の裏では二人はいつまでも寄り添っていた、浅ましくて卑しいわたしのもう二度と叶わない願い。
「気持ちだけは本当だった」
 心の底から貴方を愛してる、スティーブン。これからも。

 パキンと氷が身体の先まで伸びゆく。もう開かない瞼の裏側で、貴方の穏やかな顔だけが見えた。

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