バイト前に顔を出しておこうとレオナルドがライブラの事務所の扉を開くと、スティーブンが机に山となった書類を黙々と片しており、クラウスは室内の観葉植物を霧吹きと花切り鋏でお手入れ、ザップは何をするでもなくソファーに両足を広げ傍迷惑な占領をしていた。チェインやほぼ毎日ここで事務仕事をしているナマエといった女性メンバーは見当たらず、珍しいなと思いながら占領を免れた方のソファーへ腰を下ろした。
「おはよーございまーす」
「おっ早いな少年」
「ああ、おはよう」
 スティーブンは仕事が溜まっているらしく書類に判を押しながら応え、クラウスはというとただの挨拶なのにわざわざレオナルドの方へ目を合わせて返してくれた。危険が付き物だしアットホームとはちょっと違うけど良い職場だよなあ、とレオナルドがほっこりしたのも寸時。朝の爽やかで穏やかな空気をぶち壊すのは、いつだってソファーでぐだっているザップ・レンフロである。
「よお陰毛頭、相変わらずシケた面してんなァ」
「…たった今シケた面になりました。というか珍しいっすね、朝っぱらからここにいるなんて」
 朝の挨拶がまずこれだ。この人から下ネタを取ったら何も残らないんじゃないか?と思いながら疑問を口に出す。ザップがこんな朝に事務所に顔を出すのは極めて稀なのだ。早起きとは無縁で寧ろ遅刻やサボりの常習犯な上、大体は愛人宅とか愛人宅に引きこもってたりするのに、一体どういう風の吹き回しなんだろう。本人にとっては本日何度目かの質問だったらしく、ザップの顔があからさまに面倒臭そうに眉を顰めた。
「あー、アレだ。ヤり部屋でエミリーとバーベラがエンカウントしてだな」
「ああやっぱいいです」
「聞いたんなら最後まで聞いとけやコルァ!」
 誰が朝からそんな生臭そうな話を聞きたいと思うんだ。どんな修羅場が起こったのか想像したくもなかったが、原因の本人が無傷な辺り無事に逃げ出すことが出来たのだろう。本当その内この人後ろから刺されるんじゃないか?口に出すと近い内に本当にそうなりそうだったので、レオナルドは大人しく口を瞑る。隣でギャーギャー喚いているザップを華麗にシカトしたレオナルドが、さっきから見当たらないナマエの姿を探し、スティーブンの方へ向き直す。
「そう言えばスティーブンさん、今日はナマエさんいないんすね」
「ああ、昨日は僕の仕事に合わせて徹夜させちゃったからね。今日はいつもより遅くていいと言ってあるんだ」
 徹夜。徹夜かあ。スティーブンさんに付き合って徹夜なんかしてたらその内倒れちゃいそうだけど、大丈夫なのかな。レオナルドにとってナマエは年の近い姉のような存在であり、気さくに付き合えるような、ライブラの中で話しやすいメンバーの一人なのだ。いつも無理してないかと疑う程頑張っているのだからゆっくり休んで欲しい。「大丈夫ですかね?」レオナルドの純粋な心配に何故かザップが食い付いた。
「へえ。お前、ナマエといつの間に仲良くなったんだ?」
「ええ?そんなのしょっちゅう会うじゃないですか…」
「はあ?嘘こけ、会ったことなんてあんまねーぞ」
 えっザップさん避けられてるんじゃないですか?というレオナルドの正直な気持ちは寸でのところで飲み込んだ。同時に失言しないように閉口して、下品の権化のようなザップの、見ているだけでウザくなってくる絡みを受け流す。レオナルドがライブラに顔出すときは、ほぼ毎日の確率でナマエがスティーブンの側で仕事をしていたのだ。レオナルドにとってそれは最早日常の風景と化していたし、それに対して何の疑問も持っていなかった。ザップはレオナルド程ライブラへ顔を出したりしないし、暇さえあればギャンブルに行ったり女遊びしに行ったりだったので、会う頻度こそ少ないだろうがそれにしたって会わないということは無いだろう。というか寧ろ無駄に絡みにいきそうだ。ナマエさんが故意に避けているにしても、そういう性格には見えないんだけどなあ。そんなレオナルドを余所に、ザップの口は調子に乗ってどんどん口さがなくなっていく。レオナルドは心なしか事務机の、スティーブンがいる方向から視線を感じた。
「つーかアイツぜってー処女だよなー!ちょっとからかっただけで顔真っ赤になるし、いくらオジョーサマだからって耐性なさすぎだろ!」
 何が可笑しいのかげらげら下品な笑い声を上げるザップに、レオナルドはちらちらとスティーブンの方を気にしながら、口角が引きつっていくのを隠せなかった。いくら本人が目の前にいないとは言え、このSS先輩はこんな下品なことでしか話すことがないのか?頼むからもう黙って欲しい。本人いなくても本人よりずっと怖い人がさっきからビシバシ視線飛ばしてくるんだよ!アンタ動物的勘強いだろ!何でこんなときだけ異様に察し悪いんだよ!内心の叫びが届いたのか届かなかったのか、レオナルドだけが気づいていた悪寒に肩を震わせていると、嫌に朗らかな声をしたスティーブンがザップを呼ぶ。
「ま、スタイルはそんな悪かないけど胸がなー…」
「ザーップ、ちょっとこっち来い」
 終わった。レオナルドは静かにザップへ合掌した。口を尖らせて手をわきわきと動かしていたザップが「何すか?」と言いながら、優雅に足を組んで座っているスティーブンの方へ向かっていく。このときだけ異様に察しの悪くなったザップは、自分が地雷を踏み抜いていたことに未だ気付いていない。
「お前この始末書滅茶苦茶だぞ、やり直せ」
 あれ?意外と普通――とレオナルドは思いかけて踏み止まった。全然普通じゃない、朗らかな声色で呆れた風な表情を取り繕ってはいるがその目は全く笑っていない。運悪くクラウスはバルコニーの方へ出て今度は鉢植えの手入れをしているらしく、暫く出てきそうにない。止める人は誰も居らずレオナルドも止めるつもりはなかった。まだ死にたくないし、仲の良いナマエに対しての下世話なザップの話に不快感を感じていたのは一緒だからだ。スティーブンが引き出しから取り出した始末書の束は全てザップの物らしく、ザップはわかりやすく頬を引きつらせた。
「マジっすか…いやちょっとのミスぐらい勘弁してくださいよおー」
「ちょっとのレベルじゃないだろう、これは。――仕方ない、始末書の書き方を俺が“手取り足取り”教えてやるから、もう一度“最初から”やり直せ」
「へ?あ?」
 仕方ないが全然仕方ないと思っているような口調に聞こえないのも初めてだ。スティーブンがザップの首根っこをひっつかみ、もう片手に山の始末書を持って隣の空き部屋へ引きずっていく。状況をわかっていないザップ――というより何故ここまでスティーブンの機嫌が悪いのかわかっていない――が間抜け面のまま扉の奥へ消えていく。
「…」
 レオナルドはもう一度合掌した。



「おはよう、レオ君。今日は早いんだね」
 決して濃くはない化粧で隠せなかったのか、うっすら残る隈が痛々しい。てっきり昼頃に来るんだろうなと思っていた渦中の人は、ザップとスティーブンが隣の部屋へ消えて凡そ三十分も経たぬ内にライブラの扉を開けていた。
「ナマエさんも、今日は遅くでいいって言われてたんじゃないんですか?」
「あれ、知ってたの?うーん確かにスティーブンさんにそう言われたけど、まだ整理しなきゃいけない書類残っているからね」
 言いながら事務所を見渡していたナマエが違和感に気付く。
「そう言えばスティーブンさんは?」
「ああ、ええっと…野暮用があるとかでちょっと」
 悲鳴すら聞こえない隣の部屋が恐ろしい。件のことについてつつかれてはボロが出ると、レオナルドは話を方向転換させた。
「ナマエさんってザップさんを避けてるんですか?」
「え?うん、スティーブンさんに言われて」
 あまり近付かないようにって何故か言われてて、だから悪いとは思いつつもこっそり避けてるの。内緒ね?と笑ったナマエを余所に、レオナルドはそうしたのはザップの存在が教育的に悪いからなのか、それとももっと単純な感情からなのか、スティーブンの真意を図りかねていた。

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