好きだ、と自覚するようになったのは一体いつからだったろう。わからないけど割と最初から好きだったような気がする。戦闘能力はからきしだったわたしが事務員として秘密結社ライブラで働けるようになったのは、わたしの父が多大な資金をライブラへ提供しているからということ以外他ない。つまり大口のスポンサーであった父は一度ぐらい社会勉強しろとこのヘルサレムズ・ロットへわたしを放り出した。今考えてみれば一人娘にする仕打ちではない。お前なんかがヘルサレムズ・ロットに行けば三日も経たずに死ぬとは父の会社で働いている叔父の台詞で、そんな脅しに似たものをぶつけられればヘルサレムズ・ロット行きの空港で立ち往生するのも普通である。それを蹴り出したのも矢張り父だったけれども。勿論父だってそこまで鬼畜でない為住む場所と働く場所ぐらいは提供してくれていた。だからと言って感謝するかどうかは別だけど、きっと何か父にもわたしには到底及びつかないところで考えがあるのだろう。そう思いながらキャリーバッグを引きずり地図だけを頼りに着いたのがライブラだった。大口のスポンサーの娘だとは言え厄介者を押し付けられて迷惑な筈なのに、存外そこは暖かくて優しいものだからあの華美すぎる本邸よりもここにずっと居たいと思ってしまった。
「そう言えば君のお父上から最近連絡は?」
 覚束ない手つきで書類整理をしていると、コーヒーカップ片手にここの上司であるスティーブンさんが現れる。わたしよりずっと早く書類を纏め上げていくので、前線に立つ戦闘派だというのは余り信じていない。戦っている姿を見たことのないわたしにとっては、スティーブンさんは書類仕事やら誰かと忙しなく電話している姿の方が見慣れているのだ。
「いえ、来ていないです」
 ライブラに勤め始め半年経った頃わたしがわかったのは捨てられたのだという憶測だけ。でもきっとそれは間違いなんかじゃない。父は会社を継ぐ後継ぎを前々から欲しがっていて、だから女であるわたしが産まれたときは大層ショックだったという。叔父のような金の亡者に会社は任せられない、かといって娘のわたしでは役不足だと思ったらしい父が、最近養子を取ったというのを風の噂で流れてきた。わたしが知っているぐらいだからスティーブンさんも当然知っている筈だが、もし捨てられたと知られればわたしもライブラから追い出されるかもしれない、そんな恐怖が心を苛んで確認なんて出来なかった。スティーブンさんが何も言わないということは資金の援助は滞っていない筈だけれども、そんなもしも話を考えてしまうと際限がない。どことなく重苦しい沈黙を感じたわたしがそれを振り払おうと空笑いをする。
「わたしなんかがここに居座ってるの、ほんと考えてみればおかしいですよね〜父も何考えてるんだか…」
 最悪の自虐ネタだった。普通にチョイスを間違えてしまい普通に落ち込む。今口を開けば余計なことしか言わない予感がした為口を瞑ったが、何だかもう何もかも遅いような気がしてきた。いつの間にか書類を整理していた手は止まっていて、それこそ今日中に仕上げなきゃいけないのに、滲み出した視界が言うことを聞いてくれない。繋ぎであった筈の自虐に自分で傷付くなんて馬鹿馬鹿しすぎて涙が出そう。
「それは癖なのか?」
「へあ?」
 全く予期せぬ返事が返ってきて間抜けな声を出してしまった。書類に目を向けたままのスティーブンさんがこちらをちらりとも見ずにコーヒーを静かに啜る。
「自分を卑下するのは見ている方も気持ちの良いものじゃない。事実と違っていれば尚更」
「す、すいません――ってえ?」
 怒らせた?一瞬で顔から血の気も涙も引いていき、動揺から折角途中まで纏めていた書類がばらばらに落ちていく。スティーブンさんの零した“真実と違えば”の意味もよく理解出来ず、ただ居たたまれなさに足をもぞもぞと動かした。
「だから君を追い出したいとかそんな風に思わないよって意味のつもりだったんだけどな」
 さっきからやけに身構えてるものだからちょっと気になってね。そう言いながら立ち上がったスティーブンさんはわたしの足先にしゃがみ込み落ちてよれてしまった書類を拾う。この人は気付いていたのだ――わたしの恐怖も捨てられたということにも全て。「ここの計算間違ってるぞ」そんな声も都合の良い耳は聞こえない。きっと何気ない一言だったんだと思う、それでもその一言にどれだけわたしが救われたかもうちょっと本人が自覚するべきなのだ。
「一体あんな腹黒男のことがいつから好きだったの?」
 最初から好きなんて本当はうそだったかもしれない。というか寧ろ最初はあの冷たい眼差しが、まるで部外者を見るような目つきが苦手で目を合わせないようにしていた気がする。それが変わったのがいつかもわからないけれど、もうあの嫌な目をスティーブンさんはしなくなってから目線が合えるようになり、ちょっとした会話も増え、わたしがちょっと落ち込んでいたときのあの日の台詞が多分決定打なのだ。顔を盛大に顰めつつ聞いてくれたK・Kさんには申し訳ないけれど、本当のことを言うつもりは最初から更々ない。あれはわたしだけのものにしたい思い出であり、何より特別だったから胸の奥底から出すこともなく大切に仕舞っておきたかった。だから多分わたしはこう言うだろう。
「最初からですね」

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