スティーブン・A・スターフェイズは困惑していた。その貼り付けたポーカーフェイスを僅かに崩すこともなく、しかし内心では自分でも戸惑う程に荒れ狂っていた激情を止められそうになかった。「ねえ、スティーブンったら聞いてるの?」くっつき虫かの如く右腕に絡みつかせた女の指が、つうと焦らすようにスティーブンの腕をなぞる。つきそうになる悪態やら込み上げる不快感やらを押し殺して、甘く蕩けた笑みを再び女へ向ければひとたび女は真っ赤なルージュで色付けした唇を弓形にさせた。
「何でもないよジェーン、君があんまり綺麗だからちょっと戸惑っただけさ」
「ふふ、本当?」
 存外嫉妬深かった女の相手に辟易としつつ、スティーブンはさらりと思ってもいないことを口に出す。今なら俳優になれそうだ。笑えない冗談が口から滑り落ちる前に仕事モードへ戻ったスティーブンが女の腰へ手をやり、そしてちらと見えた自らの恋人――ナマエが見知らぬ男と二人きりでいた姿を忘れぬようしかと脳髄へ叩き込む。
(さて、帰ったらしっかり問い詰めないとな)
 女のポケットからデータの入ったUSBを抜き取りながら、嫉妬深いのはどっちだと内心自嘲を零した。



 いっそ毒々しいまでに染み付いた香水がスティーブンの嗅覚を狂わせる。それに気付いたのは私宅へ戻ったスティーブンを待っていたナマエが、早々に不愉快そうに眉を顰めたからだった。
「シャワー、先に浴びる?」
「ああ、そうしようか――」
 語尾が萎れたのも息が詰まったのは故意ではない。仕事中だからと今まで押し潰していた煮えたぎるどす黒い感情が、いつもと変わらぬナマエの姿を見て爆発しそうになったからだ。知らない男に笑顔を振り撒いていたナマエの顔が脳内でリフレインする。問い詰めるとは言っても理性ではわかっているのだ。ナマエが心底心を向けてくれていると知っているし、先ず簡単に人を裏切れるような性格じゃない。今のスティーブンに少しでも客観的思考が残っていれば、揶揄を交えつつ余裕を装って何気なく聞くことも出来ただろう。なのに、“大人”というブランドのプライドはこんなときに限って機能してくれなかったらしい。様子がおかしいと気付いたナマエが心配そうに声をかけてくるのをすべて力づくで押さえ込んだスティーブンが、リップも塗っていないのに艶やかに色付いているナマエの唇へ貪るように食んだ。壁の中へ押し込んだナマエが抵抗するのが手に取るようにわかり、それすらも片手ひとつで逃げられないよう閉じ込める。
「んっ!?」
 スティーブンの名前の一文字目を象った口が開きかけた瞬間、滑り込むように入った舌がナマエの咥内を蹂躙していく。きつく閉じられた瞼に先程湧き上がった黒い感情よりも愛おしさを先に感じて、だけども咥内ではナマエの舌がまるでスティーブンから逃げるように奥へ引っ込ませるのだから苛々が募る。ナマエの喉が動き、悲鳴は飲み込めたもののいつもより執拗なスティーブンの舌先が咥内を舐るので、息も絶え絶えに吐息を漏らす。
「待っ、スティー、ブン――あの、シャワーを――」
 唇を合わせ続けていても蕩けた思考もスティーブンの周りを漂う甘い香りがナマエを覚醒させる。切なさを吐き出しそうになるのを堪えて壁に背中を預けるナマエの、唇の端から零れゆく唾液すら舐めとっていくスティーブンに恥ずかしさから目を逸らしたくなっても、ナマエが知らない女の匂いは鼻腔を刺激して止まない。必死の抵抗は絡め取られてしまった為、ならば妥協案を――と思い既にいっぱいいっぱいなナマエが口に出してみても、スティーブンはその視線だけで黙らせようとする。首筋にスティーブンの薄い唇が啄むのを感じて、それに小さく喘ぐナマエは結局絆されるしかないのだ。
「――随分と仲良さそうだったな」
「…っえ?」
 スティーブンの低い声はナマエに届かなかったらしい。荒く息を吐き出すナマエを前に拗ねたような声色を出してしまったのは全くの誤算だった。
「昼前、ジャック&ロケッツバーガーの店で君は知らない男と居たろ」
「昼前?…ああ!」
 得心がいったかのように声を上げたナマエにまたあの光景が脳裏に浮かび、スティーブンは無意識の内にその柔らかな首筋へ熱く息を落としながら唇で挟んだ。今度は別の意味で声を上げたナマエに若干気を良くしたスティーブンが、唇を使って耳朶の辺りまでなぞらえていく。柔らかく生暖かい感触がぞわぞわとナマエを襲い、気恥ずかしさから必死に声を抑えようとするのをスティーブンは気に入らなかったらしい。ちらと出した舌が今度はナマエの耳殻を象るように舐め上げる。
「あの人は――ただ道を教えて欲しい、って…ん、すてぃ、ぶんう…待っ」
「へえ?」
 その割には随分と密着しているように見えたけど――とはスティーブンも流石に口に出さない。人のことを言えない癖に自分でもまだこんな感情が生きていたのかと驚き半分、嫉妬にまみれているのを気付かれたくなかったのだ。大人気ないと自覚しながらも止められなかったものはゆるゆると収束していき、代わりに自らの下で熱に浮かされ扇情的な吐息を零すナマエに対して、どうしようもないくらいの独占欲と愛おしさが込み上げる。ぐったりと力が抜けたナマエを自身に凭れかけさせ、装うのを諦めたスティーブンはもうひとつ大人気ない台詞を追加した。大人の余裕もプライドもナマエが相手だと中々どうして難しい。
「君、あんまり他の男の前で笑顔振り撒かないでくれよ」
「――っだったらスティーブンも!」
 溜め息にしては長い息を吐いたスティーブンに予想外の反論が上がる。これ以上ない程顔を真っ赤にさせたナマエがスティーブンのスーツの裾の端を掴みながら、いじらしいまでの嫉妬を漏らした。
「他の女の人の…匂いがするのは嫌」
 だって抱きつけないから。さっきまでスティーブンの下で喘いでいた筈のナマエは息を整えていて、自分で言った癖に羞恥に堪えかねたのか今度こそ閉じ込められた腕から抜け出そうとする。だが抜け出すどころか益々強くなる腕の力に嫌な予感を察したナマエが振り返る前――露わになったナマエの項にキスをしたスティーブンが、耳元で囁いた。
「なら、塗り替えようか」
 シャワーを浴びてって言ってるの!そんな反論も再び降りてくる嵐のような口付けに思考はまたもやぐずぐずに蕩けていくのだから、いつまで経ってもナマエはスティーブンに適わないのだ。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -