ローさん。くすくすと笑みをこぼしながら、青色の裾をはためかせて女は甲板の板を踏み込む。新しく買った医学書に目を滑らせながら、耳にするりと流れ込んだ声はひどく心地よいものだとらしくないことを思った。「なに、読んでるんですか?」文字を頭の中に詰め込んでいると、幾分か近くに寄ってきた女が問いかけてくる。
「本」
「馬鹿にしてるんですか」
 そんなの見ればわかります、と拗ねたように怒るこいつの顔はあの頃と同じようで恐ろしい程変わらないまま、視界の端にちかちかと青がちらついた。そう言えば、こいつは青が好きだったな。なんだか海みたいでだから青が好きなんです、とはにかむこいつに甲板出れば実物があるぞと意地悪く返せばこのリアリストが!という意味不明な罵言が返って来たことをふと思い出した。
「…なんかもうちょっと、驚くと思ってました」
「何がだ」
「誤魔化さないでくださいよ」
 そうだな、顔に出さないだけで充分驚いてるさ。もう一度会えたことに奇跡とすら思った。だけど今のお前はいくら抱き寄せたくとも手はすり抜けるだろうし、この手に温もりを感じることはない。虚しさだけが残ると、何時までもお前が此処にいれないと知っている。だから素直に喜べないだけだ。
「どうせなら」
「…」
「生まれ変わって、今度は生身でおれに会いに来い」
「…輪廻転生なんて、信じてるんですか」
 あればいいと思ってる、お前に関しては。未だ目線を本に向けたままそう呟けば、目の前のこいつはその笑顔に涙を滲ませていることを見ずともわかった。
「お爺ちゃんになっても、待ってくれますか」
「…」
「ちょっと、そこは頷く所でしょうよ!」
「生憎、おれは気が長くねェんだ。だから早く生まれ変わって早く会いに来い」
「無茶苦茶言いますね」
「そうしたら今度は一生離さないようにずっと抱き締めといてやるよ」
 その言葉に耐えきれず、女が涙をこぼす。今度は手を伸ばして頬を拭ってやる。この手は顔を通り抜けたけど、確かに涙を拭った。
「ローさんが、待ちくたびれる前には、絶対、会いに来ますから」
「ああ」
「だから、待ってて」
「ああ、待ってる」
 しょうがないから、お前の好きな青色の前で、ずっと待っててやるよ。
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