あの子とセブルスが隣同士、ひっつき合って本を眺めているのを幾度見かけては五回目から数えるのを止めた。図書館の比較的人通りの少ない席は二人の特等席で、そこにはセブルスの纏う裏地が緑のローブの隣に、鮮やかな赤がクスクスと笑いながら寄り添っている。それを見ながら「セブルス、彼女なんて出来たの?」そう問える程彼とわたしに距離が無い訳でなかったし、そもそもそれを聞く勇気もなかった。セブルスとあの子はホグワーツに入学する前からの仲で、だから寮を別れた今も仲が良いのだと誰かが言っていたのを覚えている。でもセブルスが熱を隠した目をするのは先に彼女がいるときだけで、それを知ったとき少なくともセブルスの方はリリー・エバンズを“仲の良い友達“としては見ていないのだと気付いてしまった。わたしがどれだけ話しかけようと、わたしがどれだけ気を引こうとしても、セブルスは煩わしそうな目で見るだけでそこに優しさはない。リリー・エバンズを見るときのような熱っぽい視線も、優しい言葉も、密かに和らげる表情も、何一つわたしにはくれない。そうね、こんな苦しいだけの想いを馬鹿馬鹿しいと笑って振り払えれば、きっとそれが一番だったのよ。

 わたしが見つめる先にはいつだってセブルスがいて、セブルスが目で追うのはいつだってリリー・エバンズ只一人だった。

「セブルス」
 暗がりから彼の名前を呼ぶ。はたと息を詰めたセブルスに久しぶりね、と笑いかけると彼はわかりやすく眉根を寄せた。何度も使い古された反応に堪えず口元が笑う。彼の唇が開いて何故と問う前にわたしは自ら理由を切り出した。ええ、セブルス、貴方と一緒に居たいからと言えば笑う?半ば茶化すようにかけた言葉を彼は拾わない。じっと睨みつけるような目でわたしを見て、罵倒付きの溜め息を零した。貴方は知らないでしょう、セブルス。貴方と同じ立ち位置にいたいからと、純血であることを利用して死喰い人になって今までさほど興味のなかった闇の魔術に手を伸ばしてるわたしは、貴方の目から見ればさぞ滑稽でしょうね。それでも諦められなかったと、貴方を引きずっているとわたしは言わない。ホグワーツを卒業して死喰い人になっても、セブルスの目は未だリリー・エバンズ――リリー・ポッターを追っている。
 三年前、貴方の背中を見ることしか出来なかったあの頃と何も変わらない。
「お前が――お前は死喰い人には向いてない」
「酷いのね、セブルス。これでも魔法の腕はいいのよ?」
「そういうことを言ってるんじゃない」
 溜め息を吐く彼が外していた仮面を付ける。街灯の少ないこんな夜陰で、中身の無い薄っぺらい応酬でも今だけはそれを幸せだと例えることが出来た。貴方と同じこちら側へ立って、貴方と肩を並べるわたしは未だ嘗て無いほどの穏やかさに満ち足りていた。貴方はわたしを見ることはないし、わたしは貴方に想いを伝えることはないけれど、わたしが貴方を見ているだけでそれでもいいと選んだ。セブルスを忘れて他の男に妥協して肌を重ねるより、報われなくてもいいからとセブルスを追い続けることにしたのはわたしだった。セブルスと呼ぶ声に熱が孕んでいることを貴方は知らない。慣れた呪文を唱えるように滑らかな響きで彼の名前を口にする。面倒そうに片眉を上げながらも、わたしの話に付き合ってくれる貴方が好きだと、名前を呼べてもそれだけは言えずにいた。そういう所は変わってないのねと、気軽さを声に出せればどれほど良かったのだろう。
「セブルス、また会えるかしら」
「…さあな、それは僕が決めることじゃない」
 踵を返したセブルスが徐に立ち止まる。彼の唇がわたしのファミリーネームを紡ぐ。お前は死喰い人じゃなく、何処かで他の男と結婚してそうして穏やかに過ごす方がずっと向いている。顔も振り向かず呟いたセブルスの背中を見る。あら、二回も言うの?わたし、ちゃんと自分の意志で決めたのよ。わたしが声を投げかけても彼の歩みを止めることはない。やがて夜の帳が落ちて彼の摺るような足音も染み付いた薬草の匂いも、何もかも風が浚って行った後に、わたしの目から熱くて冷たいものが流れ落ちた。
「わかってるわ」
 わかっている。わたしには我が君への忠誠心なんてない。闇の魔術も貴方が興味を持つから手を出した。わたしは純血だけどマグルを蔑む気持ちなんてないし、そういう人たちを排他すべきと微塵も思ったことはない。それでも自分のエゴのためにマグルを蔑視して手にかけてきた。自ら底無し沼に嵌るような真似ばかりして、誰かが緑の閃光に貫かれる度逃げ場を失う感覚がした。まるで細い糸だ。その上に立っているとわたしは思った。一歩でも踏み外せば死ぬしかない世界にいるのに、わたしは今貴方を思って泣いている。進んでしまえば後戻りは出来ないと覚悟を決めた筈なのに、貴方の目は相変わらずリリー・ポッターを見ていてわたしに一瞥もくれない。応えなくていいと決めたのはわたしなのに、リリー・ポッターには何もかもあるのに貴女はわたしに一つも譲ってくれないのねと醜い嫉妬心が顔を出して、そんな汚い自分が嫌になってまた涙を零す。今この瞬間にも闇祓いがやってこないとは限らないのに、わたしはその場から動けずにいる。俯く仮面の下で襟元が濡れているけれど、わたしがそれを拭うことはなかった。少ない街灯が荒れた地面を照らし出す。シミを作った地面を見ても仮面を取り落としても、わたしは彼が消えた暗がりの中で未だセブルスを探してる。

 馬鹿馬鹿しいと笑って振り払える程、軽い気持ちではなかった。

 コツコツと廊下に足音が響く。扉から顔を覗かせてわたしはセブルスを探していた。スラグホーン教授が彼を呼んでいるのだ。それはわたしにとってセブルスと会話する都合の良い理由であったし、堂々と会いに行ける機会でもあった。図書館に入り、マダム・ピンスの視線を受けながらわたしは奥に進む。魔法史の本棚より更に二つ進んだ所に彼の定位置があるのは最近知ったことだ。他のより小さめのテーブルに椅子が並んでいる。その右端にセブルスが座っていて、向かい側の椅子にはあの子がいた。彼女がリリー?リリー・エバンズ?名前だけなら知っている。でも、実物を見るのはこれが初めてだった。太陽に反射してきらきらと輝く綺麗な赤髪に、大きな瞳はまるでビリジアンとミントグリーンを混ぜたような鮮やかな色をしている。笑った顔がとても可愛くて、セブルスもうっすらと頬を染めながら、今までに見たことない程優しい表情をしていた。
 喉奥から熱くて苦いものが込み上げてくる。
「セブルス」
 はっと顔を上げた彼に、わたしはやっとの思いで「スラグホーン教授が貴方を呼んでいるわ。魔法薬学の教室で待っているそうよ」そう用件だけを簡潔に伝えると、セブルスはリリー・エバンズに一言二言何やら告げて、わたしには一瞥もくれず足早にその場から立ち去った。彼の黒いローブが翻ったのを確認して、わたしは彼女を見ずにそのまま図書館を出る。少しでも二人が居た場所から離れたくて自然と急ぎ足になる。マダム・ピンスが咎めるような視線を向けてきたけれど、わたしに気に止める余裕なんてなかった。劣等感にかられるわたしの視界の端で、伸ばしっぱなしにしていたくすんだブロンドの髪が揺れる。そうね、何もかも違うのに比べるなんて馬鹿な話。だけどわたしはあの子の持つものを手に入れたことがない。わたしが一番欲しいものを、リリー・エバンズはとっくに手に入れている。それがどうしようもなく妬ましくあり憎くもあり、泣きたくなった。

 埃っぽいもう使われることのない教室にある、立派な装飾のついた鏡の中でわたしは柔らかに微笑んでいる。

 セブルスの座る席の向かい側にわたしがいる。前屈みになって彼とひっつき合って本を眺めてクスクスやっているのが一番好きな時間だった。図書館の比較的人通りの少ない席は二人だけが知る特等席で、セブルスが纏う裏地が緑のローブが窓から入り込む隙間風に揺れている。彼の得意な魔法薬学の本を一緒に見つめながら、わたしはセブルスにわからない所を質問して羊皮紙に書き取っていた。本とにらめっこするわたしをセブルスは少しだけ熱を帯びた視線で見ている。その視線に気づいたわたしがそっと顔を上げてにっこりと笑う。彼の頬が血色良く色づき、それから目線を迷わせながらもわたしに向かってぎこちなく微笑む。鏡の中のわたしがセブルスの隣に寄り添って笑い、鏡の中のセブルスが今までに見たことない程優しい表情でわたしを見ている。

 あのとき見たまやかしはわたしの望んだ偶像でしかない。リリー・エバンズの立ち位置にいるわたしは偽物でしかない。たっぷりとした赤髪も透き通るような瞳も想いを告げる勇気も持たないのに、見ているだけでいいと背中ばかり見つめていたわたしが幸せになれる筈がない。それでもあの鏡の前ではわたしは自分の理想の中で生きる事が出来た。どんなに惨めでも鏡の中のわたしは幸せだった。その思い出だけあれば、もう充分だとわたしはローブを羽織りなおす。慰めにしてきた理想が頭の中で色褪せていく。叶わないとわかっていていながら、死喰い人になって闇に落ちてでも貴方を追った。自分の人生と他人の人生を犠牲にして、そうして構わない程貴方を愛していた。
「馬鹿ね」
 ――お前は死喰い人じゃなく、何処かで他の男と結婚してそうして穏やかに過ごす方がずっと向いている。いつもの冷たい温度で吐き出されたセブルスの言葉が頭を過ぎる。そうね、その相手が貴方ならわたしも考えたでしょうね。でも、そんな日は来ない。貴方がわたしを見てくれる日も、その荒んだ大きな手がわたしに触れる日も。全てわたしの願望で終わるのだ。

 落ちていた仮面を付ける。涙で冷えた頬を拭って、わたしはセブルスが去って行った方向へ背を向けて歩き出した。

愛になりきれなかったなにか/20140715
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