今晩の夕飯が入ったビニール袋が歩幅に合わせて揺れる度、がさがさと音が鳴る。ほんの数分前に送られてきたメールには、何度見ても只短い謝罪の言葉が画面に映し出されていて、落胆や悲しみより既視感しか思い出せないわたしはもう駄目なのかもしれない。この分だと今日が結婚記念日ってことも忘れてそうだな、この人。自分から言うってのも図々しいというか、期待しちゃってるような感じがして言えなかったけど、こんなことになるんだったら言わなくて正解だったかもね。密かに用意してた、ちょっと高めのお肉。あれどうしようかな、流石に一人では食べきれないしもう今日は料理する気になれない。生物だからそんなに保たないしいっそのこと銀さんにでもあげちゃうか。わたしが一人寂しくお肉食べるより、万事屋のみんなに食べて貰った方が多分お肉も喜ぶだろうし。そこまで考えてわたしって疲れてるんじゃないかと思い始めた。今日がどんな日か、もしかしたら十四郎さん覚えてるんじゃないかって、本当は結構期待してた。別に気の利いた言葉もプレゼントもいらなくて、結婚記念日ってことをちゃんと知っていて、今日を二人で過ごせるならそんなのいらないって思ってた。十四郎さんと色違いの携帯に着信が鳴る気配もなく、わたしはそれを握り締めながらもう何日帰ってきていないんだろうと、あとどれくらい誰もいない冷たい家に一人でいればいいんだろうと、指折り数えるのだ。
「遠慮せず、受け取ってください」
「遠慮せずって、お前なァ…」
 お肉と保冷剤の入った袋と共に、万事屋銀ちゃんの甲板が建て付けてある家の扉の前まで来ると、頭をがりがり掻きながら銀さんが出迎えてくれる。挨拶もそこそこに袋を銀さんに差し上げようとするも、銀さんはわたしの言葉に困ったように視線をあちらこちら迷わせていた。てっきり食い意地張った銀さんなら寸分迷わずお肉を受け取ってくれると思っていたのに、反応が意外過ぎる。そんな気持ちが顔に出ていたのか銀さんの口角がひくついていた。
「あのな、確か今日ってお前とあのヤローの結婚記念日だろ」
「え」
「三日前ぐらいに一年目の結婚記念日だの夕食をちょっと豪華にするだの、挙げ句の果てに多串くんの好きなものは何だの俺に盛大にノロケていったじゃねーか」
「多串じゃなくて土方十四郎です銀さん」
「んなこたどーでもいいんだよ。んでこの肉はどうせ今日のために用意したんだろ?俺が受け取っちまっていいのかよ」
 まさか銀さんが他人の結婚記念日のことを覚えているなんて思っても見なかったけど、げっそりとした銀さんの様子を見る限り知らず知らずの内に相当五月蝿くしてしまったんだろう。申し訳なさと羞恥で視線のやり場を探しながら、わたしは口を開く。「いいんです、今日は仕事で帰ってこれないみたいですし」言葉に出すと寂しさが喉奥まで込み上げて鼻がツンとなってきたが、それを銀さんの前で出すわけにはいかなかった。
「今日も、の間違いだろ」
「…」
「あー…どうせならここで食ってくか?もうすぐあいつらも帰ってくるだろうし買った本人が食わないってのもおかしな話だろ」
 わたしの念押しに袋を受け取った銀さんが、そのまま部屋の中を指差して言う。それが銀さんなりの気遣いだとわかってはいたけど、どうにも今日は他の人と騒ぐ気になれなかった。それにさっき買ったコンビニ弁当もある訳だし食料は無駄に出来ない。有り難い申し出にやんわり断ると、何かに気づいたらしい銀さんの目が、いつもの眠そうなものから心配げな色を孕むものに変わる。
「お前…最近寝てんのか?」
「っ」
 隈出来てるぞオイ。そうぼやきながら、わたしの下瞼を銀さんの親指の腹がなぞっていく。ここ最近は十四郎さんが夜中に帰ってくることを考えて、遅くまで起きて眠れないことも多い。結局は十四郎さんは帰ってこないのだけれど、もしもの話を仮定してみれば、わたしはそれに耐えるしかないのだ。惚れたほうが負けって本当ね。帰らない人を待って、わたしはきっと今日も玄関から声が聞こえてくるのを心待ちしてる。ダイニングテーブルの空っぽの席を見つめながら、いない人のことを考えてばかりでいる。そんなことを思うと、結婚相手が銀さんみたいな人だったらきっとずっと一緒にいられるんだろうなって。一瞬でもそれを考えてしまったわたしを、恥じた。
「あーあ、こんな良い嫁さんほったらかしてあのニコチン野郎は何してんだか」
「いいの銀さん。…ありがとう」
 銀さんの軽口に上手く笑えていたかはわからない。わたしを励まそうとしてくれる気持ちが有り難くて、心配させたくなくてわたしは口角を吊り上げる。そのまま銀さんからのお礼の言葉を受け取り、わたしは帰路につくため大通りに出ていた。家に着く頃には完全に日が沈んでいて、思っていたより銀さんと話し込んでいたのだと知る。慣れた手つきで鍵を差し込み扉を開くと慣れた暗くて冷たい玄関が迎えてくれる。電気をつけて部屋が明るくなっても、わたしの心は暗く冷えたままで、あの人の残り香さえ残してくれないことが妙に憎らしくて悲しくて、自分でも感情が制御出来なくて訳がわからない。足袋を乱暴に脱ぎ捨てリビングに置きっぱなしの処方箋を掴む。コンビニ弁当が視界の端に映るけど、押し寄せてくる感情の波のせいでいまいち食欲が湧かない。蛇口に寄せたコップに水を注ぎ、錠剤を一錠ずつゆっくり飲んでいく。コップを掴む手の薬指に慣れた指輪が鈍い光を放ち、そこでわたしはいよいよ涙がこぼれ落ちた。十四郎さんが帰ってこないなんていつものことなのに、どうして今日に限って耐えた涙が出てくるのだろう。幸せだと笑っていたわたしの顔が、十四郎さんの優しく緩んだ目が、今はもう思い出せない。
 テーブルに突っ伏していると薬の副作用なのか泥のように重たい眠気がわたしを襲う。意識が混濁する中で、玄関の扉が軋んで開く音が聞こえたような気がするけれど、きっとわたしの願望が生んだ幻聴ね。
 今日も明日もその先も、あの人は帰らない。

混濁/20140520
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