あの窓の向こうで、春が咲いている。
 木のささくれが目立つ、塗装の剥がれかかった下駄箱に手を入れると手紙が入っていた。上履きと共にそれを引きずり出すと真っ白の長方形な封筒が視界に飛び込む。念の為と蛍光灯の白昼色に透かしてみたが、剃刀らしきものは入っていない。それなりに恨みというか嫉妬を買っている自覚はあったため呼び出しでもするのかと思いきや、本当に只の普通のラブレターだった。手紙の冒頭部分がわたしの名前で始まり、控え目に綴られた見知らぬ男子生徒の名前で締められている。しかもご丁寧に学年と組まで書いてあった。手紙には好きですだの良かったら友達からだの、在り来たりで今時珍しく硬派な堅苦しい言葉が並べ立てられていたが、わたしの今までしてきたどろどろの底無し沼のような恋愛とは真逆でとてもきれいに見えてしまう。こんな人だったらきっと、わたしを大切にしてくれるんだろうなと思った。いきなり身体から始まったり火遊びだったりとかじゃなく、ちゃんと恋人らしく手順を踏まえて少しずつ歩み寄っていけるんだろうな。丁度良い機会なんだし純粋そうなこの人と付き合った方がいいんじゃないか、だってきっと今までより幸せにしてくれる。それなのにわたしの頭の中にはいつだってあの人が占めていて、振り払おうにも抜け出せない。あの人は愛の言葉を囁いたりなんかしてくれないし、釣った魚に餌を与えないタイプなんだと大分前からそれはわかっていた。わたしのこと彼女だって多分思っていない、只地味で今まで手を出したことのない初な子に食指を動かしてみたら、本気にされてしまった。という推測をしてみればもうそうとしか考えられなくなって、ラブレター片手にどうしてもそれを捨てることが出来なくなってしまう。あっちはあっちで何人かのスタイル抜群で可愛い子と浮気しちゃってるんだろうし、わたしが彼女になったからって別にそれはあの人にとって何でもないこと。それって彼女じゃなくて只のセフレじゃないの?いつしか言っていた友人の言葉が頭を過ぎる。会えるのは学校の保健室に行くときだけで、セックスしてイッたらもう帰れで終わり。デートなんかしたことないし先生の連絡先も知らないわたしが彼女面なんて笑える。もうやめよう、自分の身体安売りするものじゃないよね。少しずつ離れていって自然消滅でもしようかな、でもちゃんとけじめはつけたい。わたしが初めて好きになった人とのことだから、せめて最後に話が出来ればそれでいい。向こうはわたしのことなんて気にも止めないだろうし、わたしが諦めれば直ぐに終わるんだろう。それできっぱり別れた上で、わたしにきっかけを与えてくれたこの男の子に返事をしなくちゃ。少しだけ皺が寄った手紙をスカートのポケットに押し込んだ。

 保健室を進んだ奥の窓側にある簡易ベッドが軋む。
「せ、んせ…」
「今は名前で呼べよ」
 この学校の保険医である高杉先生は、セックスのときだけとても優しくしてくれるから余計自惚れて勘違いしてしまう。経験人数なんて先生しか知らないけど、少なくとも初めてから今に至るまで乱暴にされたことはないし、少しでもわたしが痛がったら指を止めてくれたり、入れるときはわたしの緊張を解すためにとろけるような深いキスをしてくれる。でも互いに満足してそれが終わりを迎えると、あの優しさは何だったんだろうと思うほど冷たくてその度に思い知らされるのだ。
「わたし、今日はそんなことしに来たんじゃないです」
 肩に手をやって押し倒そうとした先生の胸を押し返す。先生の目が鋭くていつも怖くて合わせられなかったけど、今回ばかりはしっかりと目線を合わした。「別れてください」彼女らしいことなんてしてこなかった癖に別れるなんて言うのも馬鹿な話だ。でも本当に馬鹿なのは、駄目元で告白したのにひとつ返事で了承されて舞い上がってたわたし。浮気されてるってわかってたのに、捨てられるのが怖くて何も言えなかったわたし。ずるずると身体だけの関係を今まで続けてきたわたし。どうせ勝手にしろとかどうでも良さげに言われるんだろうなと、予想をつけていたわたしの感は大きく外れた。
「他に男が出来たからそっちに乗り換えるのか」
「え…っなに」
「下駄箱で熱心に手紙読んでたろ。鎌かけたつもりが当たったな」
 くつくつと先生が喉奥で笑っている。見られていたなんてと思う間もなく、口角を吊り上げた不気味な笑い方をする先生に、わたしは思わずベッドのシーツを蹴って後ずさる。それを許さんとばかりにわたしの太腿を掴んだ先生が、つと指を滑らせながらスカートのポケットから手紙を取り出した。
「!や、やだ!先生っ返してください!」
「ハッ、今時にしては随分と古臭いやり方する男だな」
 封筒から一枚の紙を出すや否や勝手に読み出す先生に、わたしは頭が沸騰する勢いで顔が熱くなる。取り上げようと手を伸ばすわたしを見て、先生は何を思ったのかそれをびりびりに破き始めた。やがてそれは塵となりわたしの頭上からぱらぱらと降ってくる。先生の手によって只手紙から紙屑となっていくさまを、わたしは呆然と見ていることしか出来なかった。手紙と封筒を破り終えた先生が、何処か満足げに笑っているのを見て、背筋に悪寒が走る。先生ってこんな表情する人だっけ、先生がした行動の意味がわからなくて、でも今やろうとしていることはわたしにもわかる。いつの間にかベッドの周りはカーテンで囲ってあり、先生がわたしを些か乱暴に押し倒す。肩を掴もうとするわたしの手をぎりぎりと片手で纏め上げて頭上に押し付けた。
「もうこんなの嫌なんです」
「…」
「先生ならわたしの代わりぐらいいっぱいいるで」
「うるせェよ」
 しょう、と言いかけた口が先生の口で塞がれる。このまま流されたくなくて、でもずっと欲しかった温もりにどうすることも出来なくて、ひたすら嫌とばかり顔を反らせば先生の顔が首筋、次に鎖骨、胸へと段々下へ下がっていく。襲われかけてるこんなときですら先生への好きという気持ちが止まらないのに、早く別れてこんな関係終わらせたいと思う自分の矛盾した感情がわからない。先生が何を思ってこんなことしてるのかも。欲求不満だとしても先生なら女の人とっかえひっかえ出来るのに、どうしてわざわざ嫌がるわたしにするの。いつもより性急で乱暴な性行為と、いつもより先生が多く呼ぶわたしの名前。でもわたしがそれに応えることはない、先生の背中に手をまわして先生の名前を戸惑いながら呼ぶあの日のわたしはいない。あの日から好きという気持ちは変わらないのに、目の端から涙が零れていく。見知らぬ男子生徒からの、愛の言葉が綴られた手紙が散らばるベッドの上でわたしと先生は繋がる。もう何も変わらない。流されたわたしはきっと先生の彼女でいながら不毛な恋をするしかない。先生を純粋に好きでいれたわたしが、恋人同士という関係になれて期待に胸を膨らませて喜んでいたわたしが、ゆっくりと死んでいく。
 清潔そうな薄い緑のカーテンが揺れたそこから窓が見える。窓枠の向こうで春が散っていくのを、ぼやけた視界が捉えていた。

日溜まりに死んだ春/20140524
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