低いついたての向こうをそっと覗くと、テンゾウが停止している。少しすると鉛筆が動き出す。シャープペンシルは使わないらしい。変にこだわるテンゾウは正直面倒くさい。そういうわけでテンゾウの指はいつも鉛筆の匂いがする。顔に添えられるときも。そういうときも。受験生のテンゾウ。大学生のわたし。広い机の真ん中に曇りガラスのついたてをしたところに向かい合わせでわたしとテンゾウは座っている。
「テンゾウ」
「なんです?」
「あとどのくらいやってくの」
「ええと、あと2ページはやりたいです」
「りょうかいした」
「帰ってもいいんですよ」
きつめに睨んでやると、くっと顎を引いた。帰りませんから絶対、待ってますから絶対。テンゾウは、唇をもぞもぞと動かして、ハイ、と言った。どうして帰ってもいいなんて言うの。何回このやりとりを繰り返したら言ってもいいこととダメなことを覚えるの。
「でもテンゾウA判定なんでしょ、マル付きでしょ」
「はいまあ」
「楽勝じゃん」
「うーんでもまあ…不安は不安なんで」
石橋を叩いて、もう一度叩いて、最後になにか鈍器のようなもので叩いて、はじめて片足をそうっと橋に乗せるような用心深い男だった。ゆっくり勉強に戻っていったテンゾウを見つめる。かわいいなあ、と思う。高校生だからとか、年下だからとか、そういうんじゃなくて、テンゾウはかわいいのだ。なに見てるんですか。ううん、なんでもない。でも気になります。じゃあ見ない。いえ、あの、いいんですけど。こういうところ。
外を見ると、少し冷えそうだった。窓が結露を始めている。わたしは席を立った。ポケットの小銭を握り締めた。昼間お昼を買ったお釣りだ。テンゾウには財布にしまうくらいすぐでしょ、と叱られる。



お茶を買った。温かいものをひとつ。レモネードも、温かいものをひとつ。席に戻るまでに、何人か受験生を見た。みんな落ちろとは言わないけれど、テンゾウの分あけといてください。わたしは塞がった両手を神様に謝って、祈った。テンゾウはもう勉強を終えていた。机がきれいになっている。おかえりなさい。ただいま、これあげようと思ってさ。テンゾウにお茶を渡すときに、少しだけ手が触れた。鉛筆の手。いとしい手だ。
「テンゾウがんばってるから奢り」
「…ありがとうございます」
「テンゾウと同じ大学っていいね、待ち遠しい」
「……」
「テンゾウの私服ちょっと考えないとね、貫禄出過ぎだから」
「先輩、ちょっと」
「なあに……んっ」
勢いよくぶつかった割には落ち着いて侵入してきた舌が熱かった。お互いお茶とレモネードを持ったまま、口だけが繋がっていた。テンゾウが離れる。わけのわからないうちに立ち上がってキスをしてさっさと鞄を抱えているテンゾウが、少し笑った。
「先輩、ボクがんばります」
はい、がんばってください。頷くと、帰りますよ、と言ってわたしの手をとった。テンゾウはかわいいね。あなたもかわいいですけどね。ぶつぶつ呟きながら、ふたりで歩いた。






彼と彼女の浸食劇
20130310
題:不在証明






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