愚直

瞼の裏側が橙色に染まる。痺れる足を動かすと、素足に冷たい風が当たった。障子から漏れる淡い光で、ちょうど起床の時間であると知る。慌てて腕を動かすと、くしゃ、という音がした。徐々に名字の意識が覚醒する。
確か昨夜は、薬草に関する本を複写していたのだ。その本は毒薬の製作方法も載っていて、出禁のものだから、特別に貸して頂いた。確か、返却期限は翌日の放課後までで、昨日急いで仕上げたのだ。
そこまで思い出して慌てる。私、あのまま寝てしまったのか。しかも本を下敷きにして。本を持ち上げたが、多少の皺があるが、涎を溢したあともないし、紙も破れていない。自分の寝起きの良さに感謝する。

急いで桃色の忍装束に着替え、件の本を抱え立ち上がる。この時間ならば忍たま六年生も食堂にいらっしゃるはずだ。その場で早めに返却すれば、中在家先輩からの信頼も高まるはずだ。そうすればまた本を貸していただけるだろう。くのたま長屋の廊下を歩きながら考えた。

本は汚してないし、完璧だ。安心し、気が緩み、今になって肌寒さを感じた。恐らく、昨晩何も羽織らず寝間着のままで寝てしまったからだろう。高学年になると、行儀見習いの生徒は実家に帰ることが多い。彼女と同室だった友人も同じだった。だから、いくら夜更かししても注意する人は彼女にはいないのだ。
なんだか喉が痛い気がする。そういえば最近、睡眠時間が少ない。今日あたりは早めに寝よう。保健委員会に所属する彼女は冷静に考えた。

そうこうしているうちに、食堂までたどり着いた。くるりと中を見回すと、六年生は入り口付近の机ひとつを占領している。相変わらずの横暴さに呆れながら、目的の人物に近づく。

「先輩方、おはようございます。お食事中すみません、中在家先輩、少しよろしいでしょうか」
「・・・もそ」

朝の騒がしい食堂の中では、中在家先輩の小さな声は聞き取りづらい。箸をおぼんの上にのせ、体をこちらに向けてくれた。きっと話をきいていただけるのだろう。

「先日お借りした本を返しに来ました。ありがとうございました」
「・・・・・・借りたい本があったら、また伝えてくれ。松千代先生に頼んでおこう・・・」
「えっと、ありがとうございます。また時間ができたら、お願いします」

最後にもう一度、先輩方にお辞儀をし、その場を離れようとした。

「名前ちゃん、ちょっと待って。僕からも話したいことがあるんだ」
「へ、あ、何でしょうか」
「長くなるから、僕の隣でご飯食べて。その間に言うから」
「わかりました」

しかし、また新たに声をかけられ、それはかなわなかった。委員会のことだろうか、否、委員長の後ろは夜叉がいた。そんな平和な話では無いはずだ。嗚呼、叱られるのか。
さあ、と青くなる優秀なくのたま五年を見て、食堂にいた生徒達は相変わらずよくやるなぁ、と思う。

「委員長、私、悪いことしましたか?」

朝食ののった盆を机に置き、名字は控えめに問う。その顔は相変わらず青く、きっと彼女も予想がついていて、そしてこれから起こることを想像しているのだろう。わかっているならやらなきゃいいのに、善法寺は小さく溜め息をつく。

「名前ちゃん、また夜更かししたでしょ」
「・・・はい」
「あれほど言ってるのに、何で僕の言うことが聞けないの?」
「委員長の、力になりたくて、知識をもっと身につけようと、思ったからです」

項垂れる後輩を見て、善法寺は頭を抱える。彼女が自分を慕ってくれているのは、知っている。というか、学園の者なら皆知っている。しかし、 善法寺も彼女を気に入っているのだ。だからこそ、彼女自身の健康を気づかっているのだ。何度も同じことを言ってるはずだが、なぜわからない。学年一優秀な、もしかしたら自分より(座学なら)成績が良いかもしれない彼女なら、わかるはずだろう。善法寺はそう考えるが、彼女の重い愛の前では、尊敬する善法寺の言葉さえ、都合よく変換され、意味をもたないのだ。
再び頭を抱える善法寺を見て、何を思ったのか、向かいに座る立花はにやりと笑い、善法寺に耳打ちする。
すっかり気持ちが落ち込んでしまった名字は気づいていないようだ。
善法寺は渋い顔をし、ゆっくり口を開いた。

「ぼ、僕の右腕になりたいというなら、言うことを聞け!」
「へ、」
「勝手に突っ走んな!委員長である僕の命令を聞けい!」

ばん、と机を叩き、びしっと人差し指で名字を指差す。
あたりが静寂に包まれる。すると、我にかえった善法寺が叫ぶ。わああああ、今の無し!と、いくら立花のアドバイスとはいえ、自分の言ったことに恥ずかしくなる。そんな善法寺を見て、いやらしく笑う立花。
だが、善法寺の熱い言葉に感動した名字は周りの様子など全く気にかけいない。いきなり立ち上がると、善法寺に体を向けた。瞳は爛々と輝いている。

「り、了解しました、委員長!一生お供します!」

名字は、恍惚とした表情で爆弾を落とした。
笑っていた立花は呆れたような微妙な表情をし、食堂にいた大半の者は、善法寺に生暖かい視線を向けた。


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