※死にます






















「おれってかぐや姫だからさあ、死んだら月に返して欲しいんだ」
前触れなく振られた話題に仕方なくコミックから顔を上げて目を向けると、その表情は真剣そのものだったものからうんざりして溜め息をついた。
「誰が、なんだって?」
「俺が、かぐや姫」
今なら聞かなかったことにしてやるぞ、という意味を込めて言ってやった俺の優しさは浜田には通じなかったらしい。繰り替えされたその言葉で、俺の聞き間違いという可能性も残念ながら掻き消えてしまった。
いっそ本当に聞こえないふりをしてしまえば良かった。適当に受け流してしまえば良かった。
「黙っててごめんなあ…月は俺が勝手に地球に来ちゃったから今大騒ぎなんだ。俺を連れ戻そうと探し回ってる。だから俺は隠れなきゃいけなかったんだ」
頭が痛くなるような話に思わず眉間を抑えた。申し訳なさそうな声色は背骨を這い上がっていくようで気持ちが悪い。
何を言ってるんだ。なにを言っているんだ。こいつはなにを、いっているんだ。「ほら、俺、髪綺麗に黄色いだろ?これも月の色なんだよ」
「………」
部屋の隅では、つい30分前に俺が狭い風呂場で手伝って染めてやったブリーチの箱が、立場なさげにゴミ箱から覗いていた。
いよいよおかしくなってきた。
なんでコイツはこんな事を言うのだろう。現実逃避したいのだろうか。そんなに今の自分が嫌なのか?そんなに今から逃げたいのか?
俺は、目の前の浜田がただ好きだというのに。
言葉を選びかねてる俺に浜田は続ける。
「俺、好き勝手してきたけど、やっぱ最後は帰んないとかなって思うんだよね。だから死んだら頼んだよ、泉」
なんだよそれ。
「なんでそんなこと言うんだよ」
なんでそんなこと頼まれなくちゃいけないんだよ。
「誰にも言わなきゃ俺が死んでも誰も返してくれないだろ」
「ちっげえよ、なんで死ぬとか言うんだよ」
「んー…そうだなあ」
俺の問いに呻いた浜田はおもむろにカーテンと窓を開けた。
季節はすっかり夏で、先ほどほんの少しだけいれたクーラーがもたらした冷気を開かれた窓をさらにこじ開けるように入り込んだ湿気を含んだ熱気が浚う。
「あちい」
「あ、ごめん」
浜田は窓を再び閉めるとガラス越しに空を仰いだ。
「月がだんだん大きくなってくでしょ」
もうかなり高い位置まで上がった月はまだ丸くはない。
食器棚の横に掛けられた小さく月齢が書かれたカレンダーを見やる。上弦、十三夜。だんだん大きくってそういうこと?
「だから、たぶんもうすぐ見つかっちゃうかなって」
「なにそれ、全然わかんねえ」
馬鹿じゃねえの。月が満ち欠けするものなんてガキのころから知ってただろう。
話が読めない。浜田の話は大切な部分が拡散している。拾い集めてみても大抵後悔するんだ。それでも俺は言わんとしていることを導かなくてはいけない。
「うーんわかんないかなあ。わかんないかあ」
「…じゃあお前はずっとその月の殺人鬼から逃げ回ってるわけだ」
「殺人鬼じゃないよ!」
物騒だなあ、と浜田は笑う。
「俺を迎えに来たいだけだ」
「もうちょっと待って下さいって電報でも打っといてくれ」
(物騒なのはおまえの方だろう)
浜田のおかしな妄想は悲しいことにもう慣れつつあるが、死ぬなどと言い出すのはどうにかしてほしい。
こうして毎日どうにか一緒に生きていく方法を画策している俺はなんなのかと虚しくなるし、この男がその言葉を発すると妙にリアルだ。時代はずれのブラウン管テレビの向こうの本物の死よりいやにはっきりその事象が浮かぶ。
「頼むね泉。俺大きくなりすぎちゃったからもう飛べないし」
「じゃあ向こうも諦めるしかないな。良かったな」
もうこんな話辞めたくて、やや投げやりに言って手元のコミックに視線を戻すと、浜田が小さく笑う声が聞こえて会話は途切れたから小さく息をついた。



それから二日後、浜田が死んだという。
あくびをかみ殺す生ぬるい早朝の玄関で聞いた。
飛び降りだったらしい。見つかった時には既に手遅れだったという。
浜田くんが自殺なんて。母親の言葉が耳元を通り過ぎたけど俺は知っていた。
昨夜は満月だった、浜田は見つかってしまったのだ。


それからはあっという間だったように思う。葬式やらなんやらあった気がするけど、情けないことに呆けている間に全部終わった。
カナカナとヒグラシが焦燥を叫ぶ中、明日引き払われるというアパートで小さな箱を抱えて途方に暮れる。
俺はどうすれば良かったのだろう。
へらへらと俺の斜め上で笑っていた浜田は燃やしただけではこんなに小さな箱に収まってしまった。無理を言って一部を分けて貰う予定だ。
頼んだよ、と一方的に託された約束。
月なんて遠すぎるだろ。頼まなきゃ誰も返してくれないなんて、頼まれたって無理なもんは無理だよ。
浜田の髪の一房のような細い月が手に届きそうな低さで見下ろすのをただただ睨んだ。

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