一度無断で押し掛けたら少し驚いた顔をしながらもあっさり家に上げてもらえた。
前例ができてしまえば今までは「今日行っていい?」「とまってもいい?」と告げること、もしくは「ウチくる?」と聞かれるのを(実は毎回少し緊張して)待っていたものはあっさりとしたもっと軽いものに変わった。
気が付けば週の半分以上を浜田の家で過ごすようになり、その半分以上寝床を借りるようになった。
浜田は二度目からは驚いた顔一つ見せず俺を迎えいれてくれる。当然の様に二人分の食事を用意してくれたし、練習後の疲れを気遣ってか風呂まで湧かしておいてくれるようになった。







ある日浜田は俺に「手ぇ出して」と小さく笑うと俺の皮膚の硬くなった掌の上に鍵を乗っけた。それをじっと見てから浜田を見上げると、泉にあげるよって笑ってた。
安いアパートらしい簡単なつくりの鍵がやけに重いような気がした。
これだけ入り浸ってればなあ、と思う。バイトが長引いた時なんかでも自由に家に上がれるようにという気遣い。いくら浜田でもそうホイホイと自宅の鍵を他人に渡したりしないだろう、だからこれは浜田が自分に寄せてくれている信頼の形でもあるんだと思う。
「浜田」
「ん?」
「手、出せ」
自分が言われたのと同じように言うと不思議な顔をしながらも従順に差し出された骨っぽい掌に渡された鍵を乗せ返した。
「いらない」
きっと浜田は俺が喜ぶだろうことを疑っていなかったんだろうなあ、そうだろうなあ、ポカンとした顔をして俺を鍵を交互に眺めてから遠慮すんなってもっかい手の中のそれを押し付けてきた。
「ほしくない」
もう一度否定すれば浜田はそれ以上強く言うことなんて出来ないから、突き返された鍵をぎゅうと握ってそっかと呟いた。
「…今日は、帰る」
「いずみ」
スポーツバッグを手繰り寄せて浜田の脇をすり抜けると呼び止められた。肩越しに振り返ると浜田はタンスの上から二番目の右の引き出しを開けて俺に見えるように鍵をその中に落とした。
「ここに、入っているからね」
微笑んだ顔はいつもより少し寂しそうに見えた。
返事はできなかった。

浜田の好意を信頼を無碍にするということはわかってた。寂しそうな浜田の顔に罪悪感はとめどなく押し寄せてくるし、鍵をくれようとしたことはホントは嬉しかったんだ。けど、それでも受けとりたくなかった。
毎日の様に浜田の家に通って俺は浜田にとって「客」ではなくなった。
それは俺の望むところ。そんな構えたものでいたくなかった。もてなされたくなかった。もっと自然なものでありたかった。だからといって浜田の家の「住人」にも「同居人」にもなりたくなかった。
浜田の家は浜田だけのものであって欲しかった。
だって俺が浜田の家に足繁く通うのはもっと浜田を感じたいからに他ならないのだから。
だからどんなにあの家に居座っても、俺は自分の物は何一つあの家に置きはしなかった。俺の跡は少しだって残したくなかった。浜田の家は浜田だけの領域であって欲しかった。浜田が、浜田だけが作り上げた場所でひたひたに浸かっていたかった。
だから鍵は受け取れない。どうしても受け取りたくなかった。
客でもない、住人でもない、居候でもない、俺はあの家で何になりたいんだろう、どうなりたいんだろう、って改めて考えたら案外あっさりとしっくりとくる答えに行きつけた。
俺はあの家の一部になりたいんだ。





「あれ……?」
浜田の家に足を踏み入れると昨日見た風景と違和感があった。
ぐるりと狭い部屋を見渡せばその違和感の元はすぐに目についた。
微妙に分類分けされながらもCDと雑誌とコミックと教科書が一緒に詰め込まれたラックと、せっかく畳んだのに乱雑に押し込まれたシャツが閉まりきってない隙間から見えてる洋服タンスの間。昨日には無かった隙間があった。
近付いて見ると、まめに掃除されて綺麗に見えていた畳は隙間の部分がクッキリと若い緑を保っていて、実は随分と日に焼けていたんだということと、この上にはずっと物が置かれていたことがわかった。
「泉なにやってんの?」
「浜田、ここさ」
「ん?」
台所から麦茶とグラスを持って出てきた浜田は俺の視線を辿ると「ああ」と納得いったように首を揺らした
「もう良い加減にガタがきてたのをずっと直して騙し騙し使ってたんだけどさ、ついにどうしようもなく壊れちゃたから昨日捨てたんだ」
浜田はローテーブルに手にしたものを置くと宙を見やる
「もうダメかなあ、変え時かなあってずうっと思ってたんだけど長く使ってたし愛着湧いちゃってさ。古かったし、色だって褪せてたしボロボロだったけど俺好きだったんだあ」
ふっと息を吐いて浜田が笑った。

「あ、俺ちょっと閉まる前に郵便局に用あるんだけど泉どーする」
「まってる」
「わかったーんじゃ、行ってくっから」

色の違う畳をその目に添って撫でた。
きっと、さっきの浜田には今はもう無くなってしまったここにあったものがはっきりと浮かんでいたんだろうなあ。あの細く吐かれた息はここで使われていた時の思い出が溶けて溢れたんだ。
這ってタンスとラックの間に入る。壁に背を預け、膝を折って胸に寄せると緑の畳にすっぽり収まることが出来た。
なあ、ここからずっと浜田を見てきたんだろう?
そっと今はもうない角を撫でてみる
でももう壊れてしまった。ならおまえの代わりに俺はなりたいよ。
だってだってずっと羨ましかった。そんなふうに俺もこの部屋で浜田の帰りを待っていたいんだよ。壊れるまでゆるゆるとここでただ浜田を見ていたいとずっと思ってた。本当に思ってた。
だからいいだろ、もうこの場所からいなくなったのなら俺が代りになってもいいだろう。
きっとこれはチャンスなんだ。
でもずっと考えてるけど、俺ここになにがあったのかどうしても思い出せないんだ。そしたら俺は何になったらいいのだろう。
どうしよう、どんな役割を果たせばここに収まることができるのかわからない。どうしよう、どうしよう、オーディオ?本棚?ここにはなにがあっただろうか。
毎日のようにこの場所に訪れていたのに検討もつかない。それが酷く悲しい。俺は焦っている。
ぐるぐると回る思考に俯くと抱えていたはずの足の先は畳の境界線を踏んでいた。
はみ出たつま先がそんなことは出来ないんだとせせら笑った。
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