しょーと | ナノ
it's already...



  


今や、部活の音量の殆ど届くの無い屋上はひんやりとした空気をコンクリートに纏わせている。放課後、陽も傾いて非現実な配色のグラデーションが空には広がり、その建物に翳を落としていた。

その一角で、世間と隔離された彩りの世界を観ながら、また、聴覚をも断絶しながら。彼はその景色の一部と化していた。

きぃ、とやや雨風に風化された金属の扉が音を立てる。感覚は喧騒から外れて埋れていた筈なのに、そこから現れた大きな体躯はあまりに確かな存在感があるもんだから。

その気配を感じて横目でチラリと見遣る。けれどまた、直ぐさま視線を戻す。やがて痺れを切らしたそれが声を発した。

「おい、終わったぞ」

返されたのは無返答。

するとスポーツバッグを携えた男は、無遠慮にずかずかと景色と同化している彼へと近づくとその聴覚を断絶している現代利器の線を耳から抜いた。その時たまたま、冷え切った制服と金糸を、手の甲が掠める。

「風邪引くぞ。教室で待てばいいだろが」
「まあまあ、いいじゃないー。それより、いつもより早かったね。あれ、髪ちょっと濡れてる?」
「あ?部室のシャワー、軽く浴びてきたからな」
「ふぅんそーなんだー。黒様ってば、水も滴るイイおとこー」
「…んだそりゃ」

携帯のオーディオ機能に繋がるイヤホンを抜かれた弟は、触れた冷たさに眉を顰める兄を見つけ、へにゃんと笑う。隣で彼と同じく景色に溶けていた薄い革鞄を造作なく拾い上げると、先を歩き始めた兄の背を追った。



「ねえねえ、部活の試合、明日―?」
「ああ。だから今日は軽く流した」
「真面目だねぇ」
「少しは見習え」
「あははムリー」

もう殆ど光の届かない階段をくだり、うっすらとおぼろげながら視界の利く廊下に出る。眼前を行く広く鍛えられた背中の、制服に包まれ揺れるさまを見つめながらゆったりと進む。あのまま放って置けばファイがきちんと帰宅するのかと気が気ではないのだろう。情に脆いくせ、普段は無愛想の極地を素でゆく彼がおかしくて、何処からか笑みが零れてしまう。

「確か今日は二人とも、帰りが遅いんだよねー」

その背に向かって、ぶつけるように呟いてみる。『二人』が誰を指しているかは一つ屋根の下に暮らす彼らにとっては言わずもがな、だ。すると一瞬だけ動きが止まった。兄のそんな反応が嬉しくて、前に回りこんで顔を覗きこむ。



「教室、寄ってこっか?」



明日は試合。だからどう出るか興味があって、今日はこちらから誘ってみる。

それがひねくれている行為であるのはファイ自身が一番わかっている。出来る限り妖艶に映るよう笑んでみれば、大きな掌に前髪を一房、掻き揚げられた。その人肌の心地よさに、ファイは猫のように目を細める。そのまますらり、と逞しい胸元へと痩身を滑り込ませる。ここ一年で見つけた、最も心安らげる場所だ。―――けれど、わかってる。
本気になっては、駄目だということ。

ねえそうでしょ?とでも言いたげに、自分とは真逆で暗がりにも紛れることのない紅い瞳を艶然と見上げながらも、答えを与えられる前に、おのれの唇で兄のそれを塞いだ。


そう、危険な”ゲーム“は、既に始まっているのだ。 







cf.op.cit,"secret game"
インスパイア元は前短文の文末をご参照ください。

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