しょーと | ナノ
Samsara



 



べん。




ひらり、と桜の花弁が一枚、丸く大きな木の楽器に舞い落ちる。

金髪の琵琶法師は、眼を閉じたまま、その楽器を抱えかき鳴らし始める。

湖の水面に落とした石礫ように静かだったそれは、火を見るように激しさを益してゆく。

桜をかき乱す風と協奏するように、その奏でを無碍にすることのないように。

最高潮に達した琵琶の音は、白い肌に金の房の揺れる髪と、桜の桃に綺麗に馴染んでは解けていった。

やがてふわり、と金の一房を風が仕上げとばかりに浚う。

そこで余韻を残し、演奏が終わった。


俯いていた金髪はゆっくりと深く蒼い瞳を開く。
そして己の前にいる黒髪の男を見定めた。


「たいしたものだな、異国の人間が」

「――で?」


 不敵に笑みを浮かべて金髪の僧は黒鋼の瞳を見つめた。
 ぞんざいに着付けられた白い着物からは、透けるほどに淡い異国の肌が覗いている。ほっそりした首筋には黒い紐が垂らされていた。それが法師の、僧でありながらも醸し出す妖艶さに色を添えている。


「見えているのか」


開いた瞳を見て、黒鋼が軽く驚嘆の声を漏らす。その言葉に金髪の僧はにっこりと笑った。


「それは偏見だと思うなー」

「・・・確かにな」


 この時代、琵琶法師とは、盲目の者が僧となって経文やら、平氏の哀しき最期を唄に綴って歌うものとされていた。

金髪の男は大きな琵琶の上に頬杖をついて笑んでいる。


「それで。てめえはつまり、ここはこんなにも人気のねえ場所だって分かっていてここで弾いたのか」



――傍らに銭の入りもしねえ托鉢を携えて。


それを聞いて更に法師は顔を綻ばせた。先程とは違った、人懐こい笑顔で。


「いたじゃない、君がー」

「訳わかんねえ」


笑みを崩さぬ僧の様子に一つ大きく溜息を落としてから、黒鋼は背を向け歩き出す。



「殺しにいくの?」



―――!



それは予測も出来なかった問いだった。
何もかも見透かしたように笑む法師に、黒鋼は脇に差した銀竜の柄を、さり気なく袖に隠す。



「てめえ、何者だ」


 紅い眼に焦りの色を浮かべたのも束の間、黒鋼は、再び手に掛けた銀竜を鞘ごと抜き払い、金髪の僧の目先にぴたりと当てる。

しかしその鈍く黒い切っ先に、焦点を合わせることもなく、沈黙していた法師は黒鋼を見据えて言った。




「――殺しては、だめ」






刻をとめるように 桜の吹雪が舞った




 黒鋼はぴくりと眉を動かすと、刀を持ちかえその金髪の法師の前に身を降ろす。
そして視線の高さを合わせると、利き手でその細い線の顎を掬った。

「何者かと、聞いている」

やはり黒鋼の問いには答えずに、その法師は言った。陰鬱な光をその瞳に宿して。

「……もう一人の君は、殺したばかりに強さが減った。…彼の世界の…オレのために、ね」

「ああ?」

「だから、今度は。オレが君を止めたいんだ。強さを奪ってしまったその代償として。この世界の君に、――強さを」


沈黙が流れる。

ひらひらと桜の花びらが二人の鼻先を掠めては地に堕ちてゆく。
草の匂いが妙に生々しく鼻についた。そう、これが生きるという感触。それを噛み締めて僧は言葉を続ける。

「何故殺すの。もう一人の君はオレと会う前にたくさんの人間の命を奪ってしまっていた。――それはオレも同じことだったかもしれないけれど」

 少し俯いて言葉を続ける。黒鋼にとっては全く身に覚えのない話だった。

しかし彼は表情にこそ微笑を湛えてはいるけれど、その言葉は真剣そのものだった。

「何をわかんねえことをごちゃごちゃと…」

黒鋼の言葉を切って顔を上げる。

「だからやり直そう。殺してしまう前に。お互いに今ならまだ殺す前だ。まだ、間に合・・・っ」

全てをその唇が吐き出してしまう前に、黒鋼は噛み付くようにそれをふさいだ。――お互い、眼を開いたままに。
吐息が乱れ、法師の瞳が潤むのを紅い眼がしっかりと確認してから、唇を放してやった。


「……言いてえことは、それだけか。演奏の礼だ、教えてやる。俺はお前の言うとおり、これから城一つを落とす。命を懸けてな」


それから静かに言葉を続けた。金髪の耳元で。




――戦火はきっと、ここまで及ぶ。だから早く、ここから逃げろ。




蒼い瞳が見開かれた。

そうして再び震えるその唇が、新たなる次を紡ごうとしたとき、――紡いでしまう前に、黒鋼は再びくちづけた。



死に逝く前に、己の存在を刻んでいくように。


優しく。


深く。



僧もそっと、眼を閉じた。


 そろりと唇を離すと、一本の線が二人の間を繋いだ。




  お前は、生きてくれ―――



最期に出逢ったこの僧に、俄かに情が湧いたらしい。紅い瞳が異国の蒼を捕らえる。ふ、と武骨な掌が、きめ細かな僧の頬から離れてゆく。



驚き見開かれた蒼い瞳からは、とめどなく滴が溢れた。もう、頬を伝う涙も何もかもが、遠い世界に在るものの様に僧には思えた。



離れたく、ない。



――ずるいよ、綺麗な想い出だけ残していくつもりなの?





琵琶をそっと置き、法師は去りゆく黒い影の背を追った。

その懐に、揺るがぬ決心と脇差一本を抱いて。


たとえ戦火の焔が、二人の身を包むことになったとしても―――












こうして運命は巡りゆく

その薄紅色の花弁のように舞い遇っては、堕ち逝く道筋に、時折かち合ってはひらりと散る如く
異世界の地にも、その宿命は変わらず在る



けれど魂滅するその時が来るまで

きっと何度でも巡り逢おう


仮令如何に抗い様の無くとも繰り返し幾たびとても



 真に罪無く、潔白な手で互いに触れ合える――その日まで











***


Samsara means the endless cycle of birth, suffering, death and rebirth.
(輪廻、それは出生、苦しみ、死、および再生の無限のサイクルを意味する)



前サイトから再録。
この手の雰囲気の文、そして時代物の黒ファイに挑戦してみたかったので。

だけど短すぎて敢無く撃沈。せっかくだからアクションも入れたかったけれど。
上の原作ラストと矛盾がある点には目を瞑ってやってください。
何しろこれ、お試し文ですので…。


 

 ---