つきの魔法 | ナノ



 ふわりふわりと淡雪が降り堕ちる。

 瓦の屋根に羽根を休めてはそのまま解け消えていく。日本国の雪はうっすらとした白化粧を近隣の山々に施していた。

 その中心に位置する白鷺城の一室で、本日その姿になって二日目の少年忍者が、本を堆く積み上げて黙々と古い巻物の解読にあたっていた。

 淡い色の着物を纏った異国の少年は、黒いしのび装束に身を包んだ彼の肩にしなだれかかってその手の中にある文字に眼をこらすが、その内容を理解することはできない。日本国に来てはや数年。話し言葉や日常的な文字は理解できるようになったファイであるが、現在ほとんど使われていないような旧式の文字は今回初めて目にしたからだ。

 肩に掛かる重みに集中力を乱されることもなく、黒鋼は墨で描かれた文字を眼で追っている。そんな黒鋼の邪魔をすることが出来るはずもなく、ファイは何かできることがないかと一人思案を始める。

 そうだ、と木の床の上にへちゃりと座り込み、自分の心にその深淵を問うてみる。元はといえば、自分の望みが今の事態を招いたのだ。今のファイに出来ることといえばこれくらいしかない。


けれど。

 今のファイは子供であった。白鷺城にあるという安心感からつい、うつらうつらと舟を漕ぐ。

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「帰るぞ」と少年忍者に声を掛ける頃。陽は既にどっぷりと暮れていた。眠りから覚め気づいた己のその失態に、はぅうと蒼い瞳を潤ませた。


 結局その日は、目ぼしい解決方法を得られないまま二人、白鷺城を後にした。収穫といえば黒鋼の手にある数本の古い巻物くらい。もちろん月の魔力について書かれたものだ。知識豊富な知世や蘇摩が、更に古い他の古文書の解読にあたってくれている。難解ではあるがこれらを読み解き、一刻も早く元に戻る方法を見つけ出すことが無難であることに相違無い。

 そんなことを考えながら歩を進める黒鋼の前を歩いていたファイがぽつりと言う。

「ごめんねー黒りん。オレがあの時湖に誘わなければ」

らしくなく、へにょりと落ち込む彼に黒鋼は嘆息した。

「なっちまったモンは仕方ねえだろ。それにお前は意図してなかったんだろうが」

 解決に行き詰まりを感じていることは事実だ。しかし黒鋼としては安心できる部分もあった。

 日本国に来てからというもの、ファイにはどこか遠慮があるように見えていたから。それが自分の国ではないからなのか、まだ過去に拘っているのか、はっきりとした理由が黒鋼には分からなかった。だから彼が自らの気持ちを黒鋼に表してくれる機会があるならば願ったりだった。

それに――

 旅が終わった後、半ば強引に彼をこの国に引っ張ってきた黒鋼はまだ大切なことを彼に言っていない。本来ならば初めに言っておかなくてはならなかった。しかし旅終了直後、時間が無くて強引に彼の手を引いて来てしまったのだ。

 旅が終わったあの時、ファイは黒鋼と共に日本国に転送された。ファイに魔力は戻っていたからすぐに去ってしまうかもしれない、そう黒鋼は懸念した。だがその時彼に日本国に居るよう諭してもきっと首を縦には振らなかっただろう。それは、まだ時間が十分ではなかったから。大切な人間を、存在を、国を、彼は余りにも次々に続け様に失いすぎた。だから何が起きても決して彼のせいではないという、彼を安心させるための時間が必要だった。

 だから黒鋼は一先ず提案した。「五年後の、ガキどもが見たい」と。
 この国で唯一次元移動の術を知る知世は既に、その一回きりの力を黒鋼を次元の魔女の元に送る際に使ってしまっていた。だから今、この日本国で次元移動をなせるのはファイを置いて他にはいない。

 まだ、引き止めるには早いだろうか。時間が足りないだろうか。
それでもタイムリミットは止まることなく刻々と近づいてくる。役目を果たせばきっとファイは何も言わずに行ってしまうから。黒鋼はそのことにいつも焦りを感じる。

 知らず知らず、考えに耽って眉間に皺の寄る黒鋼の顔をファイは静かに見つめる。
そんなファイの様子に気づくこともなく、黒鋼は月明かりに照らされ地面に伸びる二つの黒い影に目線を落としていた。
 
 

mae tugi