つきの魔法 | ナノ





 綺麗な月がぽっかり浮かぶ夜である。ゆらゆら満月の揺れる明るい寒空の下、黒鋼とファイは城からの帰途、夜道を辿っていた。

 だが突然、ファイがその歩を止めた。その青い瞳はくっきりと浮かぶ月の様子に、ほうっと見とれている。つきの光を灯した瞳をうっとりと潤ませて、黒鋼のごつい手をそっと握ってきた。素直な彼が愛おしくて、仕方ねえなと、黒鋼はその手を強く握り返してやる。

「ねえ」
「あ?」
「・・・あっち、行ってみないー?」

 そうしてファイが指し示した先は、小さな湖が広がっていた。この場所は、つきの魔力を宿しているとして、古より曰くのあるところだった。

「ねえ…たまには、ムードのあるところに行ってみないー?何だか、君と、行きたいんだー・・」

 無意識だろう、どこか艶を滲ませて囁くファイを、黒鋼は月明かりの下でじっと見つめる。万一にもムードなど考える黒鋼ではないが、いやひょっとすると今夜は盛り上がるかもしれない。と、そんなよこしまな考えがちらりと通り過ぎ、コホンとひとつ、咳払いをした。

「…冷えっからすぐ帰んだぞ」
「うんー。黒様大好きー」
「やれやれ」

 溜息をつく黒鋼にぴとりとファイはくっ付いてから、その右腕を牽いていった。





「綺麗だねぇ」

 湖の畔に着いたファイは静かに感嘆の声をあげた。月明かりに照らされて、水辺はとても明るかった。静かな水面はかすかに震えながら月を映し出す。

「あ、あそこにお社があるね。行ってみよう?」

 湖の中心にはお社が島のように浮かんでいる。月明かりに照らされた白い手に、すっと袖を引っ張られ、青い眼に微笑まれる。すっと細められた蒼には、水面から浮かび上がった月光が揺らめいている。

 本当に彼は、綺麗に笑うようになった。

 日本国に来て最近よくそう思う。ふとした瞬間に、彼は黒鋼に対してとても優しく微笑む。これほどまでに柔らかな表情を浮かべる自分に果たして彼は気がついているのだろうか。

 しかしそれでもどこかに引っかかるものがある。それは彼の凄惨な過去に起因するものだろうか。何かに遠慮をしているような、そんな様子で眉を下げて笑うのだ。哀愁を帯びたそれは、いつか彼がどこか黒鋼の手の届かないところへ行ってしまうのではという不安を掻き立てる。

 だから彼の笑顔を見ていると、つい不要な世話などを焼いてしまいたくなるのだ。
 前などは一度ファイが喜んで食べた餡の菓子を、一人では食べきれないほど大量に土産に買って帰ってしまった。それをファイは、彼の元に遊びにくる子供たちへの土産だと勘違いして、嬉しそうに皆に振舞っていたが。

 手放したりするものか。かつて毛嫌いしていたこの男に深い愛着を持ってしまった自分が信じられなく思う。

 まさかこんなにも穏やかに毎日を過ごせる日がくるなんて、旅の前は思いもしなかった。両親を惨殺されてから、自分は忍として主に仕え、死ぬまで殺伐とした人生を突き進むと信じて疑わなかった。それが今は、この異世界の魔術師に魅せられて、共に天寿をまっとうしたいと願う自分がいる。

守るだけではなく、共に生きたい、と願う。

「皺、寄ってるー」

 思考に没頭する黒鋼の前に、いつの間にか向かい合うように立ったファイが、その三割増しに皺の寄せられた眉間に長い指をあて、からかう様にくすくすと笑った。長く伸びた金髪を揺らしながら、本当に可笑しそうに。黒鋼がその様子を見ていると、ファイが腕を絡めてきた。

 二人はそのまま湖の中心に位置する社を目指す。架かる簡素な木橋に、カランコロンと歯切れのよい音を立てて二つの影が伸びてゆく。

 密着する痩身から、確かに自分を必要としている彼の体温を感じて、黒鋼は顔が見られないことを確認してから僅かに頬を緩めた。

 

mae tugi