終
* * *
薄い霧が晴れていく。
水面に彷徨っていた白色は冷たい風に浚われる。
巻き上げられた風花が、風が解かれた途端にはらはらきらきらと舞い降りる。
二人はあの魔法のかかった湖のほとりに横たわっていた。晴れ渡る高い冬空で真昼の月が傾く中、まず黒鋼が目を覚ました。先程までとは確かに違う躯の感覚に現実に戻ってきたことを悟り、はっと意識を浮上させる。そして自分の腕の中で同じように意識を失っているファイの頬をかるくたたいた。
「・・・ん」
微かに声をあげてゆっくりと目を覚ますファイに黒鋼は胸をなで下ろす。身体を起こしたファイは俯いたまま、顔を起こさない。しかし弾かれたように顔を上げ、何を思ったか黒鋼へ向き合う。
そしてそのまま視線を黒鋼の左腕へと注いだ。息を呑んで、黒い着物の上からそっと白い手があてられる。
やはり、左腕はなかった。
「・・気にするな」
「・・・・・・」
それでも眼下で沈黙するファイのつむじを黒鋼は眉を寄せてじっと見つめるが、ファイは俯いたまま反応を示さない。
「?!」
突然、黒鋼は金髪の頭に右腕を強引に巻きつけぐっと引き寄せた。
「まだ、右腕がある。こんなひょろいの一人、面倒みるには十分だ」
「・・・守るのは、オレの仕事だよー」
魔力もあるんだから、とファイは頭を抱えられたまま必死に紅を睨みつける。少し潤んだ蒼は悟られまいとするように。
しかしそんなファイの後頭部を黒鋼はぽかりと殴る。
「・・・・・・」
呆気にとられたように、黒鋼の顔を、穴のあくほど蒼い瞳で見つめる。
「てめえは誓ったそばから間違えてやがるな」
「・・・・え?」
「何のために、俺までお前ん中に引き込まれたと思う」
「・・・・・」
これならばまだ、片割れの方がその素質がある、と黒鋼は溜息を吐く。
「足りねぇんだよ」
きっぱりとした言葉にファイは眼をますます丸くする。
「腹ぁ括れ。――お前自身が選んで、俺の傍にいろ。これから先、くたばるまで、ずっとだ」
言葉に蒼い眼は大きく見開かれた。そんなファイを余所に、誰がてめえなんぞに守られて堪るか、とフンと鼻を鳴らした。
「………」
ぼうぜんと見上げるファイの後頭部を、黒鋼の大きな掌が優しく包み込む。
「答えを聞いてもいいか」
ファイの胸がドク、と鳴る。このままこの世界に留まってもし、不幸な何かがおこってしまったら…そんなことになるのなら、共になど生きていけるはずがない。
その時、ふわりとファイの肩に小さな手が置かれた気がした。
透明な風が、優しくファイの頬を撫でる。最後に聴こえたあの言葉がファイの中で繰り返される。
どうか しあわせに
不安の心が、これから先もファイから離れることはないだろう。それでも、望むのならば。
震える唇が、ようやくゆっくりと、薄く開く。強気に蒼い光をその瞳に宿して。
オレの本当の心は。
願ってやまないその心は。
―――君と共に、生きたい。
ゆっくりと紅い瞳を見つめながら先をつむいだ。自分の中で最大限の、精一杯の答えを。
「仕方ないね、オレが幸せにしてあげる」
微風に舞う雪が、さわわと光を受けて煌めいていた。
終
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