芯まで凍てつく寒い国で | ナノ






一方、ファイは何者かの体温に包まれていることに気づき、視界を開いた。


自分は眠っていたはずだ。けれど余りの寒さに我慢が出来なくなり、暖を求めて温もりに近づいていった。そこまでは覚束無いながらも記憶の片隅に留めている。
しかしそれからの記憶が、ない。ただ、ぽっかりと開いた暗い洞に堕ちていくように。足元から急降下していく感覚に襲われたのだ。

遠くに自分の声が聴こえた。


『温めて、くれるの?』


思わず冷え切った心から零れてしまった声。

けれどもう一人の自分が警告する。その声は思い出せと言う。この国で出遭ってしまった、この世界の、彼女の事を。



忘レタノカ 誰ニモモウ縋ルコトナド許サレナイ 一人デ朽チロ 関ワレバ不幸ニナル

彼女ノヨウニ

王ニ殺サレタ、アノ国ノ人々ノヨウニ


――そう、許されない事なんだ。

再びその深淵へと意識を沈めようとしたその時、身体の一部から自分の物ではない体温が流れ込んできた。気が付けば、広い肩に抱きすくめられている。


そこから全身に微かな温かみが宿った。熱いものが流れ込んできた瞬間、紅い瞳と視線が合ったような気がした。強気なそれが意志を伝えてくる。此方の全てを打ち砕いてくる。厚い胸から聴こえる力強い鼓動に、無音だった世界が脈打った。

全身を熱いものが這い回る。それは酷く荒っぽかったけれどどこか優しげで、この場にいてもいいのだと存在を刻み込んでくれているかのようだった。

ここに、いても、許される。この腕の中でなら。

熱く形容し難い形の生き物が、うねりながら首筋に這う。ファイは思わず声を上げ、首を反らした。そこに絡みつくように嬲る様に何時までもそこに留まっている。その一方で逆側の胸の飾りをこねてくるとじんわりとした疼きが体中を駆け巡った。思わず声にならずに息を詰める。すると首筋に吸い付いていたそれが一層力を込めて貪りついてきた。
何処にも力が入らず、ただ、それの為すがままに身体を委ねる。すると胸だけでなく下腹部にまでゴツゴツとした感触のものが侵入してきて、前をゆるく扱かれる。びくびくと痙攣している間にそのまま秘部に到達したそれに撫で上げられた。
そうしてその窄まりを突いてくる異物感。固い感触が内部にゆっくりと侵入してくる。

目を瞑っていたままそこまで愛撫に身を任せていたファイだったが、漸く其処まで来て重い目蓋を押し開いた。


見開いた視界は霞んでいた。

泣いていたのだ。あの日水底に大切な人と共に、封印して置いてきた涙。もう流してはいけない筈のそれが目尻から止め処なく溢れ、耳を、髪を濡らしていた。

視界の下部に見える黒髪に恐る恐る手を伸ばす。腫れ物に触るみたいに、ゆっくりと。その固くて黒い髪を震える指で撫でてみる。下肢は愛撫に揺れていて、どうしようもなく身体が震え、もう、上も下も訳も判らなくなっているというのに。
それでも触れかった。己の存在を繋ぎとめてくれたその人に。温まることを許してくれた、その人に。

後頭部を撫でるファイの掌にぴくと反応が返り、死角になっていた紅い瞳が此方に向いた。その瞳の余りの力強さに、ほんの少し安堵し、それから思わず願った。

この光は守ると決めたものを守り通すためにあるのだ。この先、自分の為に失われるようなことがあってはならない。だから。

お願いだから。



『 忘れて 』


黒髪を胸に包み込み、使うことを自ら戒めている魔力のことも忘れて、浮かされる熱の中、持てる力の全てを掛けて願った。

明日の朝には、もし許されるのならば、――いつもの関係でいさせて欲しい、と。


痩身を抱えて揺さぶり始めたその広い背中に、黒鋼の挿入の衝撃に荒がる息のまま、それでもファイは夢中になって、その温かさに、与えられたぬくもりに、ただただ夢中になって手を伸ばしていた。







翌朝、目を覚ますと、黒鋼は昨夜のことを覚えていないという。ファイはその反応に驚いたが、それと同時に心底安堵した。寂しさも引き連れていたのだが、それからは視線を反らし、見ない振りをした。長い間自分と関わってしまったあの国の崩壊が深いトラウマとなっていて、彼は自分が関わることに対して、極端な恐怖感を抱くようになっていたから。

あの夜だけと、繋いでしまった関係性。ファイにはもう、後戻りすることなんて出来ない。喩え黒鋼が忘れてしまっても、自分だけは忘れまい、そう思った。

暗闇を迷走していきそうだった中で繋ぎ止めてくれた腕のぬくもり。そして、体内に感じた熱を、ただ、覚えていたかった――







--- 黒鋼は、今度こそ紅い双眸を開いた。

いつの間にか眠っていたらしい。酒に酔う性質でもないだろうに。訝しく思いながら近くある気配を感じ取り、身を立て直した。すると黒鋼の傍らには、宿の女主人が座っていた。何も妙な気はないらしいので、そのまま他の連中の所在を尋ねる。

「あいつらは?」
「雪が小降りになりましたので、村長の処へ」

昨日伺った大切なもの。それを取り戻してもいいのかという、交渉に。

そう答える主人の傍ら、その気配に目を覚まさなかった自身に黒鋼は驚く。

「あなたは、闇払いの最中でしたから」
「?」
「あなたのお仲間、ファイさん、という方。宿に来て直ぐにこの国の『魔』に囚われてしまったかもしれないことはわかりました。けれど、今朝はあの方に宿っていた闇が消え、そのほんの一部があなたの中に、種として。」
「どうしてそんなことがわかる?」
「私、実は除術を少々嗜んでいまして。なので、成長前の些細な闇ならば払うことが出来ます。
だからあなたの闇の芽を摘むために、ちょっとの間、彼らには席を外してもらったのです。闇の種が迷い込むことがきっかけで、記憶が封印されてしまっていたようですね。彼の想いと共に」

抱いている最中のファイの様子が思い浮かんで思わずそっぽを向く黒鋼に、彼女は笑窪を浮べてにっこりと笑った。

この薄暗い地方にひっそりと暮らす民族にも関わらず、ひまわりのように咲いた温かな笑顔。


「あなたがあの方の闇を払ってくださったのですね。昨日から様子を見ていたのですが、私では正直あの方に巣くい始めていた闇を払うことはできませんでした。この国に巣くう魔物は、この国の人間が何とかしなければならない。村長を初めとした私たち除闇師はそう考えています」

――だから、お礼を言わせてください。

そういって女主人は黒鋼に向かって頭を下げた。

「おい、羽根の効力は…」
「確かに、山頂のご加護による効力はありますが、所詮は救いあげるための只のきっかけに過ぎません。あなた方の大切なもの。私は、お返ししたいと思います。たとえ陽の当たらない世界であっても、誇りを持ってこの国に住んでいるから」

そういって黒鋼の目を見据えてきた真摯な瞳は、どこかあの発掘少年と通ずるものがあるようで、不快には思わなかった。

この国の人間もまた、自らの意志で自分の道を選びとって、進んでゆく。羽根の力に頼っていた人には、少しずつでも説得をしていくからといって彼女はまた笑った。






ようやく晴れ始めた雲間から、白い光が一面の銀景色を照らし浮かび上がらせる。

窓の向こうから、数人の影が歩いてくるのが見えた。

さて、あの魔術師に記憶の戻ったことをどう告げてやろうか。少々意地の悪い心地で、忍者は考える。が、そこで思考を止めた。あの時の魔術師の声にならない悲鳴のような懇願がまだ、耳には強くこびり付いている。


仕方がない。
今しばらくは、このことは胸の内に秘めておくことにしよう。


そう決めて、忍者は少しずつ歩みくる旅の仲間たちの姿を見遣った。





*了*

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