芯まで凍てつく寒い国で | ナノ





少しだけ空気を入れ替えようと、室内の空間を外光から遮っていた分厚い布に手を掛けて引くと、そこには一面の銀世界が広がっていた。


昨日到着した其処は積雪量が多く、寒さの厳しい国であった。いつかスピリットという国を訪れたことがあるが、その国の凍寒の比ではない。室内の防寒用に建築されたであろう設備もさほど役には立たず、じんわりと建物内部の熱を奪っていく冷温が、染み入るように迷い込んできては体温を奪う。到着当初、並々ならず辺りは吹雪に見舞われていた為、一行は行進の歩を休めざるを得なかった。黒鋼はその時の魔術師の様子を思い出す。


---吹きすさぶ雪の為にはっきりしない視界の中、到着早々の彼の顔色は少し青褪めているように見えた。しかし暫し閉じていた碧眼を開くと、魔術師にはいつもの表情が戻っていた。さり気なく連れの少女に自分のコートを掛けてやる彼を見ながら、何か気配を探っていたのか、と黒鋼は思う。

幸運なことに、民家棟の側に堕ちていたらしい。
その間に宿屋らしき看板を見つけた小狼の言に従って、一行はその戸を叩いた。いつものように率先して交渉にあたる魔術師があの胡散臭い笑みを浮かべ、応対に出てきた扉の向こうの宿の主に掛け合おうとした、その時だった。


主と焦点の合った途端、明らかに固まるその表情。


「?」


魔術師の様子に店主も疑問を持ったのだろう。しかし、何時までも吹雪の中客人を留めているわけにもいかない。栗色のねこっ毛とそばかすの印象的な女主人は、早々に一行を中へと招き入れた。



「外は冷えたでしょう。皆様変わった装束でいらっしゃいますねー。そのご衣裳ではさぞかし寒かったことでしょう?」

女主人はにこにこと人懐こい笑みを浮かべながら客人に湯立つカップを渡していく。はちみつたっぷりと少しのカルアリキュールの入ったミルクを小狼、サクラ、モコナが受け取る。そしてその甘い匂いに大いに顔を顰めていた黒鋼には、絶妙のタイミングでホットワインが手渡された。続いて窓際で腰を下ろしていたファイにも同じくホットワインを差し出したのだが、いったん伸ばしかけた手は、カップに届く前に止まってしまった。それに反応して店主が声が掛ける。

「?もしかして、アルコールはお飲みになりませんか?」
「あ、いえー、大好きです。いただきますー」

へにゃんといつもどおりに笑むと、魔術師は今度こそカップを受け取った。しかしその受け渡しの瞬間、微かにではあるが、その指先が震えていることに黒鋼は気が付いた。

「この国には、魔力、というか、不思議な力がありますよねー」

気を取り直すように、魔術師が彼女に話しかける。

「ええ。そうは呼びませんが、確かにこの国には不思議な結界のようなものがあります。これだけの寒さですもの。それに巣くう『魔』とでもいうのでしょうか。寒さに心を浸食されてしまうのです。けれど何時の頃からか、あの山の山頂に現れた不思議な力のお陰で、人々はそんな心の闇から護られている、といわれています」

不明確ではあるが、昔から代々語り継がれているのであろう伝承を女主人は語り聞かせてくれた。

「でも、ね。この国ではアルコールを時間年齢性別を問わず常飲するんですよ。邪気をはらうために。だからみんなこんな国土でも陽気過ぎて困っちゃうくらい!」

そうしていかにも困った風に首を竦ませる彼女の仕草に、一行からくすりと笑みが漏れる。それににっこりと笑いを返してから彼女がゆったりとした調子で言う。

「…けれど。私たちも所詮人の子。やはり時折はその寒さに囚われてしまう人が出てくるんです。そしてあの山の力は、いうなればお守りみたいなもの、といえばいいでしょうか」

目配せするファイに気が付いた小狼が、モコナに視線を滑らせる。それに応じて頷いたモコナはすぅ、と目をとじた。


「うん。感じる。強く感じる。あの山にあるよ、サクラの羽根…」


めきょっ、とネコ目を見開き一行にそう告げる。おそらく不思議な結界は羽根によるものだろう。この国を護っているものであっても、それは一行にとっては取り戻さなくてはならない大切なものだ。けれど、そうすることで、この国の護りを解いてしまう事になるかもしれない。

いずれにせよ、より詳しい情報を得るためにやり取りが引き続き進められる。しかしそんな会話の中、それに加わりながらも魔術師の表情には僅かな翳りが宿っていた。



mae tugi