芯まで凍てつく寒い国で | ナノ

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白々とした光がカーテンの隙間から差し込む。細く揺らめく光が黒鋼の目蓋の上をちらちらと這い回るとその薄い膜は微かに震え、紅い双眸は姿を現した。





温かな、心地がする。身に覚えのある独特のにおいも鼻孔につく。夜伽の女でも閨に連れ込んだのか。いや、あの日以来、故郷に別れを告げてから。男としての欲求を満たすために夜の城下街から連れ込んだ女に添い寝させることはあっても、こんなにも密接した距離で、懐に抱き込み夜を明かすことなどしたことはない。
全てを護る事の出来なかった弱い己に、温もりなど、必要ないのだから。母を彷彿とさせるような女の柔らかな感触は無用の長物だ。ただ、生涯護ると決めたものを護る力さえ手にすることが出来ればよいと、願い闘いに明け暮れていた、あの頃。

つんとした朝の冷温に混じった空気は己の胸にある何かの温度を、存在を、じかに伝えてくる。女ではありえない、骨の厚み。しかしその肌は女のようにまとわりつくようではない。 見下ろせば、いつも罵倒を飛ばし胡散臭いと常日頃からいぶかしんでいる男の金糸がふわりと揺れていた。――まさか、あの男?いくら鎌をかけてもその腹のうちの隙間さえも垣間見せないその男が今、自分の腕の中で力の抜けた柔らかな寝息を立てている。


「・・・・」


あまりの事態に声を出すことすら敵わない。ごくり、と唾を飲み込むと、微かな振動に胸の中を陣取る男が小さく身じろぎをする。知らず腰に回していた手は皇かな陶磁のように肌理細やかな肌を撫でていて、それが馴染んでしまう程に心地の好いことに驚いた。だがその刺激に震え、女とはまた異質の色香を醸している白い肩が動いた後、隠れていた顔が露になる。


「―――――」


見開かれる、瞳。

へらへらとして一向掴めないいつものものとは確かに違う、笑みを纏わぬその表情に、思わず視界全てがその一点に吸い込まれる。

今の状況が飲み込めない黒鋼には、ただその物体の反応を観察するしかない。やがて清んでいるだけだった蒼い瞳が、ゆるゆると驚愕に開いていく珍しいその様子に、内心思わず「お。」と感嘆の声を漏らした。


「く、ろ、たん…」


この状況でもその渾名かよ、色気のない第一声に黒鋼は思わず軽く溜息を漏らす。それを見て魔術師ががばりと起き上がり、慌てて身を離した。開かれた布団の中、黒鋼だけは下着を辛うじて身に着けていた。一方一糸纏わぬ男は、最初ほどの威勢はないものの、ずるずると軽くシーツを巻き込みながら後ずさる。おい、もう後ろねぇぞ、と声を掛けてやろうとしたところで案の定、空でバランスを失ったそいつの腕を、ベッドから墜落する寸でのところで掴んだ。黒鋼に向けられる旋毛。バランスの危い自分の身はお構いなく、カーテンの間から差し込んだ一筋の光で匂うほどに白に彩られたそれが俯いたまま声を発する。


「ご、ごめん」

「あ?」



唐突に謝られ、昨夜の記憶のない黒鋼は返す言葉が見当たらない。

そこに暫しの間が空く。


「だから、…ごめん」
「なんでてめえが謝るんだよ」

そこまで考えた黒鋼はもしや、と顔を起こす。

「まさか俺がネコじゃねぇだろうな?!」
「いや、それはナイ・・・」

焦りに声を荒げた黒鋼に、やや呆れた様子のファイが返した答えに、とりあえずほっと胸を撫で下ろす。

「もしかして、覚えて、ない?」

「――ああ、悪ぃ」


一瞬にして再び表情の強張ってしまったファイに、ここは一先ず謝っておく。普段人を散々小馬鹿にしてくるこの魔術師に、そんな言葉を発することがあるなどとはついぞ夢にも思わなかったが、こちらが致してしまったらしいという事実がある以上、責はこちら側にある。

「そ、そっか、うん。じゃ、よかった、のかも、しれない…」
「ああ?」

再び俯いてしまった金色の旋毛から漏れる安堵の声。

ひょっとして、何かとんでもないことをやらかしてくれたのだろうか、この魔術師は。いや、もしかすると此方がいろいろとやらかしてしまったのかもしれない。
生来黒鋼は性交渉に関してマニアックな性癖は持ちあわせていない筈だが、この魔術師相手となると何をしてしまうか我ながら見当がつかない。つかみ所のないこの男の生き方に、胸の奥でグツリと焔の如くこみ上げてくる見知らぬ衝動。小さく蠢いている闇色の何かが刺激されて、トリガが引かれてしまうのだ。それを抑えきれずつい、己をぶつけてしまう。

「とりあえず、何か着ろ」

急きたてるように言葉を発する。
申し訳程度にシーツを纏っていた魔術師に声を掛けると決まりの悪そうにファイが手を伸ばし、ベッドの脇に散乱していた白のネックの高いシャツを手探りですくい上げた。黒鋼は男に性的興味を持っているわけでは断じてないが、身体を繋いでしまったらしい今となっては、その透けるほどの白い肌は目に毒としかならない。

なるべく視線を反らし、自らも身支度を整えるべく黒鋼も自身の服へと手を伸ばしたが、視界に入ってしまった角張ったぎこちない所作。

再び紅い視線がその白い標的へと注がれる。

「身体、きついのか?」
「えー、あー、うーんと、まあ、ねー」


洞察眼の鋭い黒鋼の事。隠しても痛みを堪えていることは容易に見て取るだろう。ファイもそれを重々承知しているらしい。



そうして魔術師はまたしても決まり悪そうに、笑った。




tugi