サトリサトラレ | ナノ


 

「黒ぴっぴ、こっちはこれでいいのー?指結構イタいねー」
「そのまま弦を弾け」

ポロロン。

「お。Fコードしょっぱなからそんな綺麗に音出せるなんて、ファイ君やるじゃん」
「そうですかー?ありがとうございますー」

一つずつの試すように弾いたあと、一気に弦を掻くと、ばぅん、と六音ひとつひとつが澄んだ音を主張しあった。

「手がでけえからだよ」
「黒みゅう、オレが褒められたからって妬かないやかないー」
「妬かねえよ!」

「でも手が大きいのも立派な才能だよ。またファイ君もおいでよ、新入部員いつでも歓迎だよ」

そう言って部長にふんわりと微笑まれる。ここの空気は悪くない。そう思った。





X - クロスマッチ -







彼と出会ってから、今日初めてサークルというものについてきていた。

最近では、黒鋼が単独で行くところには殆どスルリと傍らにいるようになってしまったファイである。そうして始終仏頂面にちょっかいをかけるのだ。その都度迷惑そうな顔をする黒鋼であるが、いつだって結局最後に寄越してくるのは後腐れのない呆れ顔。それがいけない。今まで自分でも知る事のなかった嗜虐心を煽られた。

しばらく一緒に居るうち黒鋼がかなりの洞察眼を持つことにも気が付いた。それでも、よもや皆に心の声を聴かれているとは夢にも思わないらしい。わざと気づかないようにしているのかと時に疑ってしまうほどだ。だから、悪ノリが過ぎてつい、悪戯にエスカレートしてしまうのがしょっちゅうだった。それは些細で小さい罠なのだけれど。けれどそれが馬鹿馬鹿しいほど、いっそ清清しいくらい見事に彼は嵌ってくれて、「あの野郎」だとか「どこ行きやがったアイツ」だとか。

そんな風に悪態を吐きながらも毎回必ずファイを探し出してきっちり怒ってくれた。何度ちょっかいをかけられても飽きることなく。

説教の為に、全力疾走で追いかけられたことなんてない。それが今では馬鹿呼ばわりされながらの追いかけっこが日常茶飯事。地を這うような大男の怒号。いつだって心の声と同時進行で背中に被さってきて。それがファイにとっては何とも新鮮で面白くて。

何だかすごく 楽しかった。



そんな日常を積み重ねるようになってからも、彼が人と会いに行くときには側からそっと離れるようにしていた。

けれど昼食を一緒に摂る様になってからというもの、徐々にファイの人嫌いではない性格と行動のギャップに勘付いてきたらしい。ある日サークルに行く際に、お前も来るかと誘われた。

正直戸惑った。だが平静の黒鋼はファイも驚くほど的確な判断を下す。そんな彼からの提案。だから心に決めた。


部室として使用されている一室に連れられて入るなり、皆の視線がファイに集中する。金髪と碧眼という容姿に驚いたらしい。あちこちから心の声が聞こえてきた。だがそこは舞台に立つことを主としている彼らのこと。目立つ容貌はむしろ歓迎のようで、ファイはすんなりと部員たちに受け入れられた。

人との関わりを極力避ける事を心がけていたファイにとって、仲間の輪の中に入って同世代の人間にものを習うということ自体が今までにない体験。傍から見ても分かるくらいにほくほくと嬉しそうに借り物のアコースティックギターを抱えている。

そんな新入生の様子に気を良くしたらしい部長がさらに誘いの言葉をかけてきた。

「そうだ、ファイ君もよかったら一年の新歓合宿に来ないかい?サークルだから別に行ったからどうこうって訳でもないし。勿論入部してくれるのなら言うことなしだけどね」

ウインクしながら告げられる。
つい黒鋼の顔を見ると、いいんじゃねえか、と言われたのでへにょんと参加の返事を返した。この調子だときっと彼も行くことだろう。

この頃には既に、黒鋼の行動範疇に自然とそれを共にしようとするファイがいた。







昼間の気温がだいぶ上がってきたと云っても、日が堕ちれば風はまだ涼やかで ほろほろと火照った頬には心地よい。

呑みの席は宴もたけなわ。よい具合にアルコールの入った打ち上げはそれなりに盛り上がっていたのだが、落ち着き始めたそこを二人して抜け出したのはつい先程のこと。

飛び入り参加した三泊四日のサークル新入生歓迎合宿の最終夜。合宿先の小さな舞台でそれぞれ短期間だが練習した成果を披露しあった。その日黒鋼のドラムを務めるバンドの二本目のエレキギターとしてファイも出演したがもとより器用な性質であるらしい。一年組は初心者とは思えない演奏を披露し、黒鋼には元々ファンがいたようだが一晩の内にファイにもファンがついてしまった。そのため呑みの席ではそれぞれ女の子たちに囲まれ、おちおち互いに酒を酌み交わすことも出来ないでいた。

部員たちは緊張からの開放と酔いもありすっかり無礼講のてい。我先にと大胆に身体を摺り寄せてくる女の子たちにいい加減辟易していた黒鋼が、何気なく金髪の方を見やるとその細面は明らかに青褪めていた。眉を顰める。確か人の多いところは苦手だと言っていた。

一方、女の子たちに擦り寄られファイは合宿にまでついてきた事は少し軽率だったと後悔していた。確かにライブは最高だった。大勢の人の前で演奏すること。自分たちの奏でる音に、小さな会場が揺れた。
新しい世界が開かれた気がした。けれど。

今は酒の入ったせいか、この室内の「声」は日頃より一層生々しい。一人一人が欲求という名の主張を、盛大に大声で、絶え間なく叫び続けているのだ。

サークル一つ分と云えど、それなりの人数となればもう何を言っているのかさえよく解らない。実際の声と相俟って、ファイにとって二重三重の騒音状態だった。酒に弱いわけでは決してないが、耳が痛く頭の中が回る。困惑する自分の顎の下で囁かれる微かな「声」。

(ファイくんほんときれーだなぁ。彼女いるのかなぁ・・・?付き合ってほしいって今晩言ってみようかなぁ)

いつの間にか膝の上にしな垂れかかってきた一人の女の子。それなりに可愛いが正直それどころではない。高校を卒業してからというもの人ごみとの接触を極力避けていただけに、現状のあまりの騒音にこれ以上耐え切れそうにない。

「あのぅ、ファイクン・・・」

そんなファイに気づくはずもなく、しっかりとアルコールのグラスを両手に持ち、とろんとしつつも精いっぱい扇情的な目つきで話しかけてくる。頭痛のするまま呼ばれたほうに顔を向けようとしたその時、大きな手に背を叩かれる。振り向くと彼が立っていた。

「あ、くろさまー」

「外出るか?」

「うん、行きたいー。ごめんねー」

そうして今将に告白をしようとしていた女の子ににっこりとした出来る限りの笑顔を向けると、ふら付く足取りで立ち上がり先に行ってしまった彼について、宴会場を後にしたのだった。




「黒ろんありがとねー。せっかく楽しい宴会だったのにオレに付き合ってくれてー」

夜風に当たって頭痛が軽くなってきた。まだ気分は重いが打ち消すようにファイは笑顔で前を歩く黒鋼に声を掛けた。怪訝な顔で振り返る黒鋼。

「青い顔して笑ってんなよ。言ったろ、意味なくヘラヘラしてんじゃねえ」

「えー?」

笑みを深くする。なんて事はない、ファイにとっては人との対面時の条件反射のようなもの。そんな様子にちっと舌打ちすると、彼は踵を返してまた歩き始める。

――黒たん、そんなトコには気づいてほしくないんだってば。

沈黙が堪らない。

そんな風にちゃんとオレの事見ないで。だって、勘違いしてしまいそうになる。



・・・"勘違い"?

男の彼にオレは何を求めている?

複雑に絡みそうになる思考を止めようと、ファイは大きな背に向かって話しかけた。

「それにしても黒様のドラム恰好よかったねぇ。オレ惚れそ・・・」
「悪かったな」

話しかけた背に思いがけずそう言われ、歩を止める。黒鋼の歩も止まった。

「なにそれー。 黒ろんがあやまることないじゃない。意外と心配性?オレなら大丈夫だよぅ」

「どうして本当の事言いやがらねえ」

「オレはいつだって…」

向かってきた黒鋼がファイの金糸の間を縫ってこめかみに手を当てる。鋭い紅に射抜かれる。心臓が高鳴った。


「あ・・・」

・・・うまくかわさなきゃ。

気づかれて一緒にいられなくなるのはイヤだ。


あれ…?

いったい『何』に気づかれて?


「顔が青い」

「だから、大丈夫だって。」

それより黒たん、顔近いよ?
その時珍しく黒鋼の独り問答する「声」が聞こえてきてしまって思わずドキリとする。


(何故だ、こいつの顔見てたら無性に苛々する)


・・・えと。いきなりそれはヒドくない?


(いつも嵌められるからか?確かに鬱陶しい奴ではある。いつもちょろちょろくっついてきやがって)


もしもーし、聞こえてるんですけどー。


(だが。


放っておけない…気も、する)


あ、それはちょっと嬉しいかも・・・


(なのにこいつは人の気も知らねえで)


んん?知らないで?


(ぞんざいに応答しやがって)


いや別にそんなつもりではー。





(好きだ)


・ ・ ・ は?

(抱きてえ)


へ?


(そうか、これが答か)



・・・えええ?!

あの、ええっとー?何だか展開急すぎやしませんか。今まで黒たんそんな事一度だって思わなかったじゃないー。

混乱するファイに向かって黒鋼が口を開く。


「お前が、一応男なのは知ってる」


はぁ。オレは一応な男ですか。


「だが嫌でなければ俺と付き合え」


流石黒様。すんごい速攻。

オレの出来ないことをあっさりやってのけてくれますねー。ってアレ?オレ、今告白され…

「勘違いするな。もともとそのけはねえ。だがお前は俺のものにしたい」

なんて直球。オレは今感動を通り越してむしろその漢らしさに呆れ…もとい、感服したよ。




でも


知ってた。

気づいてた、自分の気持ち。

必死に否定していたけど、オレだって。ずっと。


君の事が。



「オレも、好きだよー」


今だけはちゃんと。心から笑うことができた。幸せを感じた。
だってこれならまだまだずっと、君と一緒に居られる。

すると彼の顔が迫ってきた。腰に腕が回される。唇に何か降ってきたと思った時には彼の舌が入り込んできていた。熱い。ぼーっとしたまま彼に手を引かれる。気が付けば近くにあった小さなホテルに連れ込まれていた。ロビーの窓口からおばちゃんが遠めに顔を覗かせる。大きな手がカードキーを受け取っている。

ぬぬぅ、いつのまに。というより、出来ればプライバシーは守られる処にしようよ。男同士だし変な顔されるんじゃー…


(めんこい娘だねえ…やるな若僧)


おばちゃん・・・、それは違うよー?

「ごゆっくり」

にっこりと微笑むと、彼女の視線は後は我関せずといった風に点いていた小型のTVに向かった。

「行くぞ」

特に抵抗することなくファイは手を引かれた。何となく抗えない。頭がまだフワフワしていて現状が信じられなくて。本当に自分でいいのかと思ってしまう。

部屋に入るなりその中心に据えられた大きなベッドに押し倒された。両手首を縫いつけられる。そのまま唇に降りてくる唇。入念に内部を探られた後、熱い舌は首筋へと下る。耳元から唾液の濡れた音がしてきた。鳥肌を立たせながらも気持ちいいから少しずつ力を抜こうと努力する。ゆっくり深呼吸を繰り返した。そんな様子を見て微かに笑われた。

けれど、此処はソういうところ。

やがて各部屋から壁越しに聞こえてくる「声」が耳に入る。これが、今から自分たちがシようとしている――というより、ファイにとってはサレてしまう事。それに気が付いてしまえばどうしようもなく羞恥がこみ上げてきて、思わず真っ赤になって顔を背けた。手探りで胸元が寛げられていく。

(男同士でもやることはかわんねえのか?)

突然下肢のそれを掴まれ衝撃が走った。全身の筋肉が硬直する。ファイよりも一まわり大きな手がゆっくりとそれを包み込んで動くと堪らなくなって目尻に涙が滲んだ。

(蒼い眼。もっと濡らしてえ・・・俺だけ、見てろ)

愛撫が強まる。ファイは息を荒くしてそのまま達しそうになる。肩で呼吸をしながら意識が浮遊していき、限界すれすれになったその時、突然無情にも現実が降ってきた。


((?サトラレ…??!?))


聞こえた声はほぼ同時で複数だった。


(サトラレだわ!!)
(このホテルにサトラレがいるぞ!!!)
(男だ、しかも相手も男だ)




(((ホモのサトラレが、碧眼の男と初体験シようとしている・・・!)))



ひくり。


黒鋼の「声」を耳に入れたホテルの客たち数人があまりの珍事にわざわざ中断して聞き耳を立てているのだ。これではこれからおっ始めようとしているハズカシイ行為も、睦言も、全て四方八方他室に筒抜けである。 ファイはどうしたものかとうるんだ瞳のまま、自分を押し倒している未来の実況解説者を見つめる。と、その時、聞こえた一つに蒼を見開く。


(こんなトコにサトラレくんじゃねーよ。こっちの気分盛り下がるっつーの)


・・・・・・。

非難めいた低音で聞こえてきた「声」に、シーツをあらん限りの力で握り締めていたファイの腕から、力が抜けた。

「どうした?」

ファイの様子が変わった事に気づき、手を止めた黒鋼が再びキスを贈りながら問う。

真っ直ぐ見つめてくる紅い瞳。
綺麗なこの紅を汚しちゃいけないと思った。だから、おそるおそるキスを遮り口を開く。


「ごめん、黒たん。オレ出来ない…」

「・・・」


(やはり男は嫌か…)


(お、サトラレが振られたぞ)
(やっぱりサトラレじゃあな)
(サトラレかわいそー)
(男だからじゃね?無理やり連れ込んだとか)



「違う。黒たんは悪くない」


オレが、サトリだから。余計な事も聞こえてしまう。けど。

けれどだからこそ。逆に、サトラレの彼を護る事も出来ると思った。それに自分のせいで黒鋼が非難の的にされるのも、ホモだと後ろ指差されるのも、我慢ならない。


「ごめん、黒りんの事は好きだけれど、今はダメなんだ」

「好きなら問題ねえだろう?痛くないようにする」

「そういうことじゃないんだ」

そう言って眼を逸らして行為の続きを拒否するファイに、黒鋼は手首を掴んでいた力を緩めた。


(・・・・そうか。そういうことかよ)





ファイの想いとは裏腹に事態は思わぬ方向へと進んでいく。



「悪かったな。がっついててよ」


 ?!!


「嫌がるなら、もうしねえ」


完全な勘違い。違うのに。互いの意識がうまく適合せずに絡んで固まって沈んでゆく。弁解したくともうまくできずに否定と共にファイの中でふつふつと湧き上がってくるそれ。沸点に達した時、白い拳がびゅっと空を切った。




「黒たんのッ、



馬鹿ーーーーーー!!!」



罵声と共に思いのほか強い力で吹き飛ばされ、与えられた拳骨に黒鋼は呆気にとられる。乱れた髪と服を整えることもそこそこに憤然と部屋を出ていくファイ。


(ぐ、ぐぅかよ…)


部屋に残され、殴られた感想と共に紅い眼は二三度瞬きを繰り返した。










mae tugi