サトリサトラレ | ナノ






W -サイレント-






「おー。なんだかそんだけ気持ちよく食べてるの見てるとこっちのほうが楽しくなっちゃうねー」


にっこり笑いながら、目の前のサラの中身が浚われていくその殆ど圧巻めいたスピードを見ていた。

あれから、ちょくちょくファイは黒鋼の姿を学園内で見かけ、そうするたびに、へらへら笑いながら近寄っていくようになった。空き時間ならば側に居た。さらには大講堂で行われる授業にはこっそりとくっついて出席する始末だ。何と物好きなことか。黒鋼が出席票に記入する何が面白いのか、その様子をただにこにこしながら見つめていた。

今も手っ取り早く偏りのない栄養を摂取できるということでよく利用している食堂での夕飯に、ファイが付き合っているところであった。周りにはポツリポツリと数人が食事を摂っているだけである。

「お前なんもくわねえのか」

「んーオレはいいよー。帰ったら夕飯準備してくれているからね」

「実家からか」

「うん。母さんがねー、なるべく一緒に暮らしたいんだって。だから大学ココにしたんだー」

顎を組んだ手に上に置きながらにっこりと笑う。そんなファイをちらりと見やると、黒鋼は再び椀へと顔を埋めた。

「黒たんはいっつも学食で食べてるの?」

「ああ、ついでだしな。お前そういえば昼間見たことねえな。どこで食ってんだ」

「うーん、人多いところはちょっと苦手でねぇ。教室とか屋上でお弁当かな」

「講堂にはくっついてくんじゃねーか」

「あーあれくらいは無視してればだいじょうぶー」

「?」


こうは返してみたがやはり、大勢の居る講堂に自ら入っていくことはあまり気の進むことではない。まあ、いったん授業が始まってしまえば、集中する者、かたや寝入る者がいたりと人数の3分のイチ程度の「声」しか聞こえてこないから、自分の授業同様に耐えることは出来た。雑音に悩むよりも、黒鋼と居たいという気持ちが勝っていたといえる。


「ねー、それより!お昼さー、一緒に食べない?学食だっていつもじゃ結構嵩むでしょ?オレお弁当作ってくるよー」

「あ?」

いくらなんでも、と断ろうと黒鋼が視線を上げると、にっこにっこと満面の笑顔で見つめてくるファイの表情が目に入った。その邪気の無い表情に、思わず一瞬言葉に詰まる。
その隙を見逃すファイではナイ。


「よーしじゃー決定〜♪黒りん、食べれないものあるー?」

「別にねぇが」

「おっいいコだねぇ〜。じゃあおにーさんが美味しいご飯作ってきてあげようー」

「子供扱いすんな!つかお前も同じ年だろが!」


こうしてすっかりご機嫌のファイに、まるで流される形で決定されてしまったのだった。

フンと、鼻を鳴らすと黒鋼は再び残りを口に掻き込み始める。ファイの視界は落ち、白いテーブルの上に乗せられた。



――少し強引だったかもしれない。けれど、黒鋼とは一緒に居たい。

ファイにしてみれば雑然とした食堂で食事を摂るなんて想像してみるだにぞっとしない。特に昼間の食堂は、あらゆるところから欲求の声が聞こえてくる。まだ夕時ならば、実験の合間の理系の学生やバイト前の学生が手短な腹ごしらえとして利用する時間帯であるため余計な「声」は聞こえない。
だからこそ、ファイが入ることが出来るのだ。

食事を終えた黒鋼が茶を啜り始めたので、再び視線を戻して微笑んだ。




この人と、一緒に居たい。少しでも長く。
こんなにも安心して傍に居られる人間に会ったことなんて、初めてだから。

きっとそうだと思った。
きっと、この人は、思ったことをそのまま口にしてくれるから。だからなんだ。





(コイツ…何考えてやがる?)

思わずビクリと肩が震えてしまった。気づけば紅い瞳がしっかりとこちらに固定されていた。見透かされるわけはないのに、もしかするとと背中がすっと冷たくなる。

「なぁに?」

努めて冷静に笑顔を返した。それでも黒鋼は探るような視線を止めてくれない。

「なぁ、お前何でいつもヘラヘラ笑ってんだ?」

「そんなの、笑ってる方が楽しいからに決まってるじゃないー」

「嘘だな」


ファイの表情が途端に強張った。

「じゃあ、どうしてだって言うのー?」

「知るか」


・・・この人ほんとヘンだ。


ファイは呆気にとられた。



「来い」

「え?あ、ちょっと〜???」


立ち上がった黒鋼は空になったトレイを片手に持つと、もう一方の手で机に置かれていたファイの手を掴んだ。そのまま食器を返却すると、すっかり陽が堕ちて暗くなったキャンバスを過っていくのだった。














「ねえってば、どこ行くの〜?そろそろ放してほしいんだけどー」


街灯が明るく照らす夜の街を無言で引っ張られていく。こんな強引なヒト見たことないよ、と驚くばかりのファイだけれど、あまりの握力に掴まれる手を振り解くことも出来ない。


「見られてるよ?」

往来の人たちに好奇の目線で見られ、それを揶揄するつもりでファイが言っても、黒鋼は前を見たままだ。何だかなぁ、とファイが苦笑いを浮べると同時に黒鋼が立ち止まったので、広い背に鼻をぶつけてしまった。


「着いたぞ」

「・・・?」


ファイが鼻を摩りながら見上げると、そこには明るいネオン。レンガ造りの階段が地下へと続いている。その先は真っ暗。何処に連れて行くつもりだとファイは黒鋼を見た。
更に引っ張ろうとする黒鋼に慌てて声を掛ける。

「ついてけばいいんでしょ?分かったからコレ、放してくんないかなぁ?」

ファイが遠慮がちに繋がれた手を指差すと、そこで黒鋼はハタと我に返ったらしい。慌てて手は解放された。
そのまま歩き始めたので、ファイもそれに従って地下への階段を下りていった。

やたらと重々しい扉を黒鋼が開き、中に入るとそこは別世界だった。つんざく様な大音量がファイを打つ。続いて入り、ビリビリと指先まで痺れながらもどうにか重くて分厚い扉を閉じた。

振り返るとそこに黒鋼の姿はない。広い店ではないにも関わらず見渡す限りの人ごみに躊躇するが、仕方なくそっと中に足を踏み入れる。なかなか見つからないその大男に、別方向を探そうと踵を返したその時だった。


一際大きな音がファイを打つ。


身体を音が殴りつけてくる。内臓から震えてしまう、そんな感覚。物理的にはただの音であるはずなのに、こんなにも身体の芯にまで届く。

経験したことのない振動に、ファイは立ち尽くす。楽器を演奏している舞台上のバンドを見つめる。



誰の「声」も、聴こえなかった。

耳を澄ませても。




何も。


あるのは演奏と歌声、それを聴く人たちの姿。
今までひたすら音を避けるばかりで、その中に入っていこうなんて、考えたことも無かった。



「面倒くせえのは苦手だからな」


いつの間にか後ろに立っていた黒鋼に飲み物のビンを渡される。
すっぽりと両手に手渡されたアルコールはしゅわしゅわと泡を吹いていて、ほんのりライムの香りがした。








mae tugi