サトリサトラレ | ナノ






V -サトラレ-






「あ、黒様。昨日はAVとお茶ごちそうさまー」

一際大きく目立つその学生は、ひらりと手を挙げる見覚えのある顔に多少なりとも驚いたようだったが、近づくまで律儀に待っていてくれた。

「普通まず礼は傘だろ傘」

「ああ、傘はついでー」

「おい・・・」

でも面白かったからーと綺麗に畳んだ傘を差し出しつつくふんと笑った。

昨日AVを見ながら心のまま正直な態度を示す彼は、今まで会った誰よりも新鮮で面白いものであった。しばらくは画面から聞こえてくる喘ぎ声をBGMにして、ファイはDVD自体よりもむしろ黒鋼を観賞していた。大学生だというのに擦れず飾らない反応。ファイが居る事でチラチラと視線は泳ぐが、それでもしっかりと流れゆく場面を食い入るように凝視している。

だが結局、そのまま最後まで見たらお互い「ヤバい」ということで、途中で黒鋼によって強引に電源を切られてしまった。えー、とブーイングを飛ばしてはみたが、ファイも淡泊なほうであるとはいえ、最後まで流れていたらきっとナニの処理に困っていただろうから助かったといえば助かったのだった。


「お前さり気なく声を掛けてきたが同じとこに通ってたんだな」

「そーだねー。いやーこれでも驚いてるよー?十分にー」

「嘘くせぇなおい」

実のところ、昨日部屋に並べられている教科書を見てから、ファイには学部に至るまでおおよその見当はついていた。この地区一帯には、あの教科書から類推できる学部のある総合大学は、ここしかなかったから。


「あ、黒鋼君だおはよう」

「ああ、」

「そうだ、またサークルの方にも顔出して頂戴ね」

「ああまたな」

二言三言言葉を交わすと、その女学生は手を振りながら去っていった。

「わー黒ろん人気者だー。サークルって?」

「お前には関係ねえ」

(軽音なんてガラじゃねんだよ)

「楽器なに?」

「お前……」

試しにもう一度だけ。そう念じて心の声に反応してやった。

さあどうでる?見せてみてよ。不気味がったっていい。そうすればもう、君に近づいたりしないから。だから、ただ一言。

ほら。

"気持ち悪い"って。


「ベースだ。高校時代にとった杵柄だがな。最近は少しドラムも齧ってはいる――って人が恥を忍んで教えてやってんのに、何だそのツラは?」

「・・・きみ、もしかして馬鹿?」

「ああ?!」

「だってあーもう頭割れそう。いいや、今日はこれでおしまいー」

「てめえまたしてもスムシかよ。そしてまた明日もごく自然に絡んできそうな口ぶりなのは俺の気のせいか?」

「いやもう何というか君という存在に疲れたんだよ今日は。うん、あ、これって褒めてるよ?褒めてるぅー」

景気を上げようと、とりあえずウキッと愛らしく両の手を頭上に挙げて見せてみた。

「変なやつだな・・・」

当然それで気分が上がるわけもなく。そのままぶつぶつ言いながら頭を抱えてしまったファイは、ぽかんとする黒鋼からの距離を伸ばしていく。


たった二日間のうちに今まで生きてきた常識を根幹から覆され、正直本気で頭痛がした。






「君ぃぃぃ!!!こまるよこまるよー!!!」

黒鋼から十分な距離をとった頃、突然掛けられた声に驚く。制服こそ着てはいないが高校で言うところの眼鏡の風紀委員のような風体の人物。彼に首元を抱えられて木陰の茂みへと連れて行かれる。

ふぁれー?と驚いている間に解放されて、あのオレそんな趣味ないですよ?と念のため釘を刺してみるが、そんなファイに頓着することなく真顔が接近してくる。陽光をレンズに反射させると、彼は圧し殺した小声で一気に捲し立ててきた。

(ダメだよ君!彼はサトラレなんだから!知っているでしょ、この国のサトラレに対する保護法と国民の義務を。このボクがそれを見張るために日々どんなに砕身していることかわかってるの?!彼に知られちゃ今までの苦労が水の泡なんだよ。わかる?だから非常に困るんだよね、君みたいなの!)

「さ?サ・・・?!サトラ・・・?」

(シィイイ!声がでかい!!彼にこの事はバレちゃダメなんだよ!!そうなったら君に責任なんてとれないでしょ?!)


「 ・ ・ ・ 」


突然明かされる事実にすんとも声が出ない。
一般知識程度には知っていたが、まさかこの学園内でお目にかかろうとは。

乖離性意志伝播過剰障害。
先天的に思ったことが口に出さずに周囲に筒抜けになってしまう特異な体質を指す。1000万人に1人ほどの確率で生まれてくる彼らは、例外なくIQ180以上の知能指数をもつという。

初めて存在を聞いたとき、彼らばかりが居る世界に行けたなら、どんなに楽に暮らせるんだろうと思った。そう願うのはファイにとっての利己的な理由に他ならないけれど。だがそう易々と会えるものでもない。数値の示すとおり彼らは稀な存在だし、たいてい心の声を聞かれることを厭い、自ら隔離を望んで無人の島などで暮らしていた。だからきっとこれからも会うことなんてないのだろう。そう思っていたのに。

めがねの彼と二人で木陰から黒鋼の方を窺ってみると、女子学生二人に話しかけられている彼の姿があった。くすくすと楽しげに女の子たちは笑っている。彼女たちは勿論彼を取り囲む友人全ては彼の正体を知っている。今も心の声を交えながら話しているのだろう。

なのにどうしてあんなにも楽しそうにしていられる?


だって彼の心の声、君たちにだって聞こえているんでしょう?




「彼は、サトラレ対策委員会によって推奨されている教育方針に沿って試験的に育てられた子供の一人だ。ほとんど思ったことをそのまま口に出すから日常生活にほとんど支障はない」

意識が足元に返ってきて、自然と笑顔が消えていたファイははっとして顔を上げた。

「  何ていうかすごく、、驚いたー」

しどろもどろに声を出す。

(この子顔色が悪いな。ショックが大きかったのか。しかしそれもよくあることだ)

「・・・」

めがね君の心の声が聞こえる。どうやら違う方向性で心配されているみたいだ。じっと見つめられてファイは曖昧に微笑んだ。そんなファイに助言を与えてくれる。

「・・・。もしも君が。彼の心の声を聞いて罪悪感を感じるようなら近づかないことをお奨めするよ。ただし、努々彼にバラすような言動は慎んでくれたまえ」


そう言いながら腰をあげて去っていく派遣員の背に、聞こえるのが彼だけなら苦労しないんだけどねぇ、と溜息混じりに苦笑して見送るファイだった。









mae tugi