the place to stay of you | ナノ


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その頃、黒鋼は昨日訪れたはずの邸の前に立っていた。

不思議なことだが、どうも正確な道順を覚えていない。地理的な位置はおおよそ見当がつく気がするのだが、はっきりとした場所が分からないのだ。

周りの家に見覚えのあるようなないような、浮くような感覚に包まれる。


昨日と変わらない佇まいの家の扉を開けると、奥から「入ってきなさい」と声が聞こえた。――魔女だ。


警戒しながらも部屋に入っていくと、昨日とはまた違う感覚に襲われた。

昨日の室内はまるで異空間に誘うかのようなエキゾチックな印象だった。今日は何かこころに触れえるような深みのある空気。おそらく香が違うのだろう。

時間通りに訪れた黒鋼に満足したように、彼女はにやりと笑みを浮かべた。それを見て黒鋼は再び舌打ちする。

「さっさと用件を言え」

初めから終らせる気満々の黒鋼に対して彼女はクスリと笑う。

「せっかちねえ。逸らなくても貴方の大切なものは、ここにあるわよ」

そうして白い指先を見せるとその先に垂れたのは小さな袋だった。

昨日と変わらず元のままあったことに少し安堵した黒鋼は、ずいと前に出る。

「寄越せ」

「大切なもの、何か分かったかしら?」

またもや得意の禅問答だ。突然真顔で向けられた言葉に、黒鋼は少し動きを止める。

「昨日から一体何が言いてえんだ、てめえ」

無表情のまま、彼女は続けた。

「例えば、物ならば約束の籠められた品。人ならば………夢に視るほど焦がれる相手」
「……なんだと?」
「それほどまでに、大切なのでしょう」
「なっ?!」

一気に耳まで赤くして黒鋼の頭から蒸気上がった。

(まさか、今朝の夢のことか?いや、それ以前にそんな事どうしてこの女が知ってやがる…?)

内心不意を突かれて焦っていることが傍目にも丸解りな黒鋼に、彼女は落ち着いた様子で告げた。

「今朝の夢は、昨日から預かっているコレを対価に願いを叶えてあげたの。貴方が知りたいと願っていたものの断片を本人から聞くことができた筈よ」

もっとも、本人は忘れているかもしれないけれど、と彼女は付け足す。

「…一体てめえ何者だ?何でそんなこと…」
「まあ私のことはいいとして。貴方は彼が泣きそうに笑う理由を知りたかったのではないの?」

確かに、そうだ。黒鋼はずっと、金髪のクラスメートのことが気にかかっていた。彼の過去に興味などないが、彼が泣きそうに笑う理由が知りたかった。

きっとそれを知らなければ、彼の閉ざされた心の扉を開くことなど出来ない。しかしあの昔語りが彼の過去の一部であったのか。仮にそうであっても、黒鋼が疑う事実―彼が一人で二役を演じることの理由にはならない。



しかしそれが理由の一つであるならば。



黒鋼はぎりっと拳を握りしめた。力を籠められる拳に視線を向けて彼女は黒鋼に言う。


「人の心は儚く脆い。例えどんなに器用で強いと思う人間でもね」
「………」
「強く生きようと願うからこそ、人は脆くもなる」

「……」

「さあ。貴方は何を選ぶのかしら?」


「………アイツに教えてやる」




――独り背負って生きなくてもいいのだということ。



「そして…」




―――支えたい。



心の中で、彼に対して無条件にそこまで考えた自分に黒鋼は驚いた。しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべる。

あのクラスメートの背負っているものの正体はやはり分からないが、彼に対する自分の気持ちにはここまできて、ようやく気がついた。そうと分かれば、自分に誤魔化しなんて必要ない。

出来るのは突き進むことだけだった。

「願い、か」
「そう、貴方の願い。叶えてあげるわよ?」
「……いらねえ。願いは自分で叶える」
「そう」

彼女は予想していたかの様にあっさりと、黒鋼の主張を受け入れた。

「でもね、手遅れになるわよ」
「……どういう事だ?」

黒鋼が怪訝そうに聞き返す。

「彼に危険が迫っているから」





mae tugi