◇
そこは一面の白い世界だった。儚く朦朧とした夢の世界。
黒鋼は一本の桜の巨木の下に座っていた。
何気なく隣を見れば、ふんわりと微笑む金髪の彼。
この季節にも関わらず、気がつけば桜が淡く咲き誇る。
ちらちらと堕ちゆく淡き花びらたち。
ふわふわとした意識が不思議な感覚をもたらす。
彼が隣にいることがまるで当たり前のように感じて疑う余地もない。
時折重なる桜の花びらに彩られる彼はどこか愉しそうで。
いつしか手を彼の手の甲にそっと措く。
優しくそっと、手を繋いでやった。
その自分に重ねられた大きな手を見つめていた彼は、ふと哀しみを湛えた笑顔を浮かべて唇を開く。
向けられた蒼い目は、桜色とは全く異質なのに、見とれるくらい綺麗だった。
穢れのない、美しい宝石の色。
『ねえ、昔話を聞かせようか』
柔らかく微笑む彼に黒鋼は思わず、自分が頷いた気がした。
少し視線を逸らして紡錘ぎ始めた言葉に耳を澄ます。
なおも薄く笑みを浮かべながら彼は風に吟うように、言葉を象り始めた。
彼の声は風が凪ぐように聴覚に吸い込まれ、淡く蜃気楼のように揺らいでいく。
蒼い小鳥が孵ったんだ
世界にふたつとないくらいに珍しく、とても綺麗な羽根を持つ蒼い鳥
雛はこの世にある限りの恩恵を一身に受けて
両親からの惜しみない愛を与えられるはずだった
穢れなんてない世界に産まれ墜ちて
幸せいっぱいに育てられるはずだった
でもね
でも・・産まれた卵はふたつあったんだ
少し特殊なその鳥は雛を一羽しか育てることができない
親鳥たちはそのことを隠すことにした
どちらかいっぽうを
『選ぶ』日がくるまで
あまりに心地好く風に揺らめく声に聴き入っていたが、正直なところ黒鋼にはあまり話が見えてはいなかった。
彼は一体何について話しているのだろう。
それでも話は不穏な方向に流れていることだけは何となく分かった。ぼんやりと話を頭の中で反復しているうちに、傍らの彼は、少し声色を変えて話を続ける。
――けれど、春が近づき選択が迫るころ
そのことを雛鳥の片方だけが知った
自分たちの目前にまで迫っている恐ろしい現実を
彼は絶望した
いつまでもこのまま一緒にいられる
そう思っていたから
誰にも言えなくて、どうしたらいいのかわからなくて独り怯えた
小さな巣で震える彼の瞳に映っていたのは
遠く深くどこまでも広がる空があった
無限に広がりゆく綺麗な世界に見えた
だから思った
この世界はきっと、素晴らしい
まだ一歩も外に出たこともなかったけれど
でもたとえ未知でも美しいと思える世界であるならば
ならばせめて
もう片方はその眩く輝くこの世界で
しあわせに
そこで彼はいったん言葉を切る。
俯いた彼は、優しげだけれどどこか翳のある笑みを浮かべている。黒鋼は、黙って促すでもなく続きを待つ。すると再び薄く唇が開かれた。
本当に願いはそれだけだったんだよ
だから自分の存在さえ消してしまえばいいと思った
滑稽でしょう?
でもちっぽけな雛にはそれしか思いつかなかったし
何より信じてた
それでも残された片方は
『必ず、しあわせになれる』
そう信じてた――
話はそこで、仕舞いのようだった。
言い終えても、彼はなおも柔らかく切なげに微笑んでいた。頭は力無く項垂れているというのに。
金糸の狭間の蒼い光から、流れていくものを見た気がしたがその跡は見当たらない。
そんな泣きそうで泣かない笑顔を撫でようと、弛く手を伸ばすけれど届くことはなく。
朧気で美し過ぎる彼は、淡く淡く段々に、桜の花びらと共に霞んで遠くなっていくだけだった。
◇
窓の外からは朝の白い木洩れ日とともに、自由な小鳥の囀りが耳に届く。
目覚めた黒鋼は、ベッドで上半身を起こしていた。
―何だ、今の夢は。
どうして金髪のクラスメートの夢など見るのか、黒鋼には解らない。
昨日からどうにも理解しがたい現象が立て続いていた。
窓辺では、夢の中で彼が身につけていたシャツほど眩く白を放つ内カーテンが、ふわりと少し冷たい外気を含んで揺らめいた。
mae
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