日本国永住 | ナノ

 


ふぁっさふぁっさ♪






大荷物なのに上機嫌のファイ。




「♪〜♪♪」



口笛吹いてどこ行くの?





片肩に背負った稲穂が太陽の恵みを受けて、微笑ましい光を返す。


猫っ毛の金は、その恵みを慶ぶように、淡い淡い光を添える。



白い着物に身を通したファイが豊潤な稲穂の海原を歩んでいるとそれはもう、日本国に実りをもたらしてくれる、神の愛し子のようだった。







「あっ薬師様!」





そんなファイを呼びとめるのは、仲良しの女の子。


ファイは薬師として人びとを癒すために日本の薬草について日々勉強し始めた。近頃その躍進は目覚ましい。

元からなかなか物識りなファイは、その子にいろいろなことを教えてあげていた。そして代わりに、日本国について分からないことはその子に教えてもらう。



今では良いお友達。

少女は嬉しそうにファイに駆け寄ってくる。



ファイの周りを囲う稲穂の頭が、風に乗ってほわりと揺れる。


涼やかな風にファイはすぅっと瞼を落とした。








「薬師様、どちらまで?」


待っていた声に目を開いて、空と繋がっているように澄んだ蒼い瞳を見せて穏やかに笑う。少し、照れたような声で答えた。



「黒忍者さんのところまでね、・・・帰る、ところだよー」




ファイが追いついた小さな女の子に目線を合わせながら話すのはいつものことだ。
同じ背にまで屈んであげて、ほんわり笑顔を浮かべて頭を撫でてみる。





女の子は天の使いに頭を撫でてもらった心地がして、ほにゃりと笑った。





「わぁい、薬師様に撫でてもらったぁ〜」



きゃっきゃっと嬉しそうな声を上げて、「帰るね〜」と声を上げてその子は嬉しそうに走り去っていった。

桃色の頬をして。





そんな少女を笑顔で見送り、ファイはまた歩き始めた。自分が答えた一言を、胸の中でもう一度だけ、反芻しながら。












そう、帰り道だったんだ。






帰る、場所かぁ・・・。








ファイは走り去った女の子の笑顔を思い出しては、幸せそうに笑みを溢す。


今はあの女の子にだって、笑って帰れる場所があるから。










あの少女は今は元気いっぱいであるのだけれど、かつてはずっと、笑えなかったのだ。



独りぽっちで寂しくて、笑い方を知らなかった・・。










『諏倭の生き残り』


女の子は滅びた黒鋼の故郷、諏倭の最後に生き延びた子供だった。



魔物の襲撃によって繰り広げられた惨劇はずっと昔のことだけれど、黒鋼にとって一番悲しくて辛い思い出である。

その時の心の傷はきっと今でも黒鋼の胸にあるのだろう。






いつも心にある悲しい思い出。


でもそれだけではなくて、実は黒鋼にはもう1つ、気にかかっていることがあった。





それがあの、たった1人残された同族の少女だ。






黒鋼が気を失った後、蘇摩の部隊が生存者の探索を行った。
凄惨な諏倭の中を、蘇摩はすみずみまで探して生き残りを確認した。

しかし、荒れ果てた集落は静まりかえっていて、生きている者など残ってはいないようだった。



そう判断して、みんなを撤収させようとしたその時―――




「-‥ェ―」



民家の瓦礫の下から、か細く小さく泣く声が聞こえてきた。



あの場に唯一生き残っていたのは、産まれて間もない赤ん坊。

もう息の絶えていた母親が、大切なものを護るかのように、幾重もの着物に包みこんで赤子を抱きしめている。





着物の隙間から見えたのは、もみじのような小さな小さな手だった。








それからせめてと手厚く大切に育てられた少女。それなのにその発育は、極端に遅かった。

特に感情面での発育が。



少女は決して笑うことがなかった。どうしてなのか、誰にもわからない。

日本国の姫もそのことを気にかけていたが、どうしても心を開いてくれない。


黒鋼は日本国に帰って来てから少女に対面の機会を作り、ファイともその時に対面した。

対面の間中、少女の表情はやっぱりずっと、硬く強ばっていた。

黒鋼にはどうしようもなく、変わらない少女の様子に残念そうにただ、眉をひそめていた。


そしてそんな少女をじっと見つめていたのは、ファイだった。




それからというもの、ファイはそんな少女の元に幾日も幾日も飽くことなく通い続けた。

―それは「笑えない」少女に笑ってもらいたかったから。






「練習すればいいよぅ」



そう言っていつもほにゃりと微笑んでみせるファイ。いつか笑えなかった自分が、北の国で教えてもらったように。





すこしずつ、すこしずつ、時間をかけてゆっくりと――






とうとう少女は笑えるようになったのだった。











今では少女は、心から笑うことができる。

ファイも黒鋼も、側にいてくれるから。


こうして女の子に、心の棲みかができた。


帰ることのできる場所。
心のおうち。






それはファイにだって同じこと。

豊満な稲穂を肩に揺らしながら、黒鋼の待つ邸へと帰ってゆくファイ。








帰る場所。
帰る家。


帰りを待っていてくれる、人。








軽い足どりでファイが思い起こすのは、つい昨日、ファイに向かって黒鋼が呟いたあの言葉。



言ってくれたのだ。
二人歩いて邸へと向かう帰途で、突然立ち止まった黒鋼が。

気付いてどうしたのと、顔をのぞきこんだファイに。








「ありがとな、





ファイ」







その瞬間、ふたりの間に風がぶわりと通りぬけた。ファイはただ呆然と目を見開く。



日本国での幸せの象徴である黄金が、辺り一面いっぱいに実っている。その真ん中で、黒鋼がファイに向かって伝えた気持ちは、ただ一言だった。






でも、決して嘘をつかない黒鋼だから。いつだって決めたことは貫き徹す、彼だから。

初めて呼ばれた名前にはきっと彼の気持ちも決心も、ちゃんと込められているに違いない。








『ずっと側に、いてほしい』






その意味に気付いたファイは、黒鋼に初めてもらったこの一言を
――生涯、大切にしようと思ったのだった。












《かつて、日本国で最強と謳われた男が

異世界から連れ帰ってきたのは

孤独で幸せを知らない金色の天使。

舞い降りた天使は

幸せを習いにきたはずなのに

いつの間にか

男の心にも

幸せのあかりを灯していた。


そうして

ようやく天使にも

安心して居られる場所ができたのだった。》








幸せの場所。







それはきっと―――

帰りを待ってくれる人のいる、場所のこと。