《いつも月が傘をさせば雨が降るのかなぁ・・・》
あの月の涙が、ひかりの傘でぬぐわれたあとのお話。
先ほどまでふにゅりと微笑んでいたファイ。
まだ、崩しちゃだめだ。
黒鋼からの言葉は本当に、心の奥からとても嬉しかった。
それでも時間が経つとやっぱり、ぼんやり光る月を見やってしまう。さきほどのような先の見えない不安な気持ちのわけではないのだけれど。
かぐや姫が地上に降り立った理由。
それがどうしても知りたく思った。だから考えていた。
黒鋼に聞いてみるのがいいのかもしれない。けれど、この理由はファイ自身が考えてみたかったのだ。
そんなファイに黒鋼が声を掛ける。
風邪をひいてしまうからと、障子を閉めようとした黒鋼にファイが待ったを掛けたのはつい先ほどのこと。そしてしばらく黒鋼は屋敷の奥へ引っ込んでいた。
今現れた黒鋼の手には盆が携えられている。その上には二つの湯のみ。
「今日は冷えるな」
「そーだねぇ」
言いながら縁側に腰掛けるファイの隣にどかりと胡坐をかくと、黒鋼はファイに湯のみのうちの一つを手渡す。
湯のみからはほんわりと湯気が漂っている。
「ありがと〜、黒わんこ。これなぁに〜?」
「ワンコじゃねえ」
犬呼ばわりだけは今もどうにも突っ込まずにはいられないらしく、律儀に突っ込んでから黒鋼はまあ、飲んでみろ、と続ける。
ファイは目を閉じてすぅと香りを嗅いでみるが、やっぱり何であるのかはわからない。
不思議な香り。甘いものなのかもしれない?
どちらにせよ、苦い薬湯ではなさそうだ。
「熱いから気をつけろよ」
あぢっ
とろりとした液体にファイが舌を焼くのと黒鋼が注意したのとはほぼ同時だった。そんなファイに、はあ、と少しため息を吐いてから、黒鋼も湯のみに口つける。
「あま〜い」
しばらくしてからようやく味がわかるようになったファイは瞳をきらきらさせて、感嘆の声をあげる。喜ぶファイに黒鋼はにい、と笑う。
「黒たんのやつも――?」
「いや、これは酒だ。そんな甘ったるいモン飲めるか」
・・・・・
・・・・黒鋼さん?
お邸にはお二人で暮らしているからつまり、それは、ええと。
「黒様、オレのために用意していてくれたの―――?」
嬉しそうにファイが声を荒げると、黒鋼がしまったというように顔を背ける。
・・・黒鋼さん、少ぉしお耳がお赤いようです。
「それ飲んだらとっとと寝ちまえ」
そう言いながらいつもならとっとと奥にひっこんでしまう黒鋼なのに、今日はそう言った後もファイの横で酒をあおっているのは、先ほどのファイの様子がいつもと違っていたためだろうか。
(もう大丈夫なのに。黒たん、心配性だなぁ)
眉尻を下げつつも、ファイはこぼれる笑みを隠せない。
あたたかな幸せな気持ち。それは黒鋼の思いやりのためだけではない。
・・・この飲み物。
ファイは自分の身体がぽかぽかと温かくなってくるのを感じた。
一口、また一口飲む度に、じんわりとお腹の底があったまる。
「黒りー、これ・・・?」
ふんわりした心地でファイが尋ねる。頭もポウっとして、なんだかとってもいい気持ち。
「それはしょうが湯だ」
「にゃ?」
聞いても生姜が何であるか分からないファイはほよほよとした様子で聞き返す。
・・・もしかしてファイさん、酔っているようです。
お酒に強いファイが日本国にて、意外なもので酔うことが判明したもよう。
でもそれはふわふわ優しく、ぽかぽかじんわり温かい、そんな変わった酔い方。
ファイにとって初めての経験だった。
(黒ぽんコレ魔法薬〜?)
そんなことを考えながらも、ポカポカした身体には力が入らない。
幸せな余韻に浸りながら、ファイはいつの間にやら縁側でうつらうつらし始めた。そうしてとうとう湯のみが手から滑り落ちてゆき―――――――
と、そこで黒様ナイスキャッチ。さすがです。
ファイを抱えて黒鋼が部屋へと運ぶ。障子を閉めて、風邪などひいてしまわないようにと部屋にも小さく暖をとる。
ふんわりした夢心地の中、ああ、とファイは思った。
この温かさを、人のぬくもりを知っておくために、姫は地上に生まれ落ちたのだ、と。
そうして翌朝それを肯定するかのように、柔らかい朝の光がファイのまぶたを優しくくすぐったのだった。
《そっか、いつも雨だとは限らないんだ。》
――傘を被る月―